日外会誌. 122(4): 417-418, 2021
会員のための企画
医療訴訟事例から学ぶ(121)
―終末期医療における診察で過失が認められた事例―
1) 順天堂大学病院 管理学 岩井 完1)2) , 山本 宗孝1) , 浅田 眞弓1)3) , 梶谷 篤1)4) , 川﨑 志保理1) , 小林 弘幸1) |
キーワード
終末期医療, 心筋梗塞, 下顎呼吸, 当直
【本事例から得られる教訓】
カルテの記載については,時間がない中でも,他のスタッフや第三者が見てもその内容や目的が明確になるよう心がけたい.訴訟では裁判官はカルテの行間は読んでくれず,思わぬ誤解を生む可能性もある.
1.本事例の概要(注1)
今回は,終末期医療において患者死亡の約1時間前に行った診察に関する事例である.終末期医療に関する裁判例は以前にも紹介しているが(注2),本件は過失が認められた事例であり外科医の関心もあると思われ紹介する.
患者(女性・94歳)は平成27年12月28日に特別養護老人ホーム(以下,特養)に入所した(軽い認知症で,要介護認定3,歩行は自立).なお,特養には隣接する病院から医師が派遣され,入所者の診療に当たっていた.
平成28年1月7日,患者は医師の診察を受け,多少の貧血,胸部心雑音,軽度から中等度の下腿の浮腫および慢性腎不全が確認され,血圧は122/69,脈拍71,酸素飽和度100%であった.以降平成28年2月9日までの間,患者には左足背部の血流障害による壊死が確認され,また,連日不眠による薬剤処方がなされる等し,2月6日頃からは喘鳴や意識レベルの低下が認められていた.
平成28年2月9日,患者は1日中眠気が強く覚醒が見られず,昼食および夕食は欠食し,夜間には喘鳴が生じていた.
平成28年2月10日,朝食時の7:35頃,患者は車椅子に移乗し離床したが反応がなく肩呼吸で,血圧は54/31,脈拍は38,酸素飽和度は70%であったため,職員は,7:40頃,病院に電話連絡し,当直中の医師Aが来所した.
医師Aは,患者を診察するのは初めてであった.7:50頃,職員から,患者前日からの病状等を口頭で確認するとともに,患者のケース記録の前日および前々日の記載を確認した.
医師Aは,患者の胸部に聴診器を当てて微弱な心音等を確認し,胸骨への刺激による痛覚反応および呼びかけによる知覚反応を調べたところ,全く反応がなく,さらに,患者の手首に指を当てて脈拍を取ったところ,動脈の脈は非常に弱く微弱であった.医師Aは,患者の診察の間に,職員に対し,患者のカルテを求めたが,カルテは特養にないとのことであったため,カルテを見ることはなかった.
医師Aは,患者の家族に対し直接の連絡はせず,職員に対し,患者の家族に容態の変化があるということを伝えるよう要請した.職員は,8時頃,長男に対し,患者は現在肩呼吸であるが,医師が来て診察をしている旨を連絡した.
当時のことを記録したケース記録には,「カルテがなく適切な診断ができない為様子見とのこと」との記載がある.
医師Aは,患者の診察後,病院の当直録に,「嘔気 血圧低下 意識低下 痛覚反応(-) 家族連絡指示」と記載したが,カルテには記載をしなかった(なお,医師Aの当直勤務は8時までであり,8:10頃に帰宅し,9時頃,別の病院に出勤した).
8:40頃,患者の容態が急変しバイタルの測定が不可能になり,病院から医師Bが来所し,9:07に患者の死亡を確認した.医師Bは死亡診断書に,直接死因として「心筋梗塞」と記載した.
2.本件の争点
主な争点は,医師Aが診察した当時,患者は死亡直前の状態にあったといえるかという点であった.
3.裁判所の判断
第1審では,裁判所は,患者には,2月6日から喘鳴および意識レベルの低下が生じ,7日には食事の自力摂取ができないという死が迫っていることを示す兆候が生じており,死亡前日である2月9日には覚醒がなく,昼食および夕食を欠食して夜間喘鳴するなど,その兆候が強まり,死亡当日に下顎呼吸という晩期死亡前徴候が起きていたことを認定した(医師Aは下顎呼吸であった旨を主張していた).また2月10日の血圧は,2月5日の118/60から54/31へ大幅に低下し,それに加えて痛覚反応および知覚反応がなく,動脈の脈が非常に弱く微弱であったという症状も認められたこと等も認定した.これらを踏まえ,患者は,老衰によって心臓の機能を含めた全身の状態が不可逆的に著しく悪化し,医師Aの診察を受けた時点においては,死亡直前の状態であったと認め,従って,医師Aが患者を診察した際に行うべき処置等は認められないとして,医師Aの過失を否定した.
これに対し,控訴審では,医師Aは,患者が重篤な容態にあることを認識したのであるから,少なくとも患者のカルテを(病院で)閲覧して従前の診断および治療の経過を確認するとともに必要に応じて酸素吸入等の応急処置を行うなど,適切な医療処置を施すべき義務があったとし,医師Aの過失を肯定した(注3).
なお,控訴審では,第1審で認定した晩期死亡前徴候である下顎呼吸につき,下顎呼吸であったことの客観的な証拠は見当たらず,医師Aの作成した当直録にもその旨の記載はないこと等から,下顎呼吸の事実を認めなかった.
また,医師Aの,患者は不可逆的な終末期状態にあったという主張については,医師Aはカルテ等により従前の病状および治療経過を確認しておらず,「適切な診断ができない」として「様子見」をすることとしていること,職員に対しても,患者が終末期にあることを家族に連絡するよう指示もしていないこと等から,不可逆的な終末期状態にあったとは認められないとした.
4.本事例から学ぶべき点
医師Aは控訴審において,家族に患者の重篤度等を具体的に説明しなかったこと等につき,直後に別の病院で勤務があったため,家族の到着を待って説明する時間的余裕がなく,そこで,病院に戻り直ちに当直録を作成し,その後の対応は同病院の医師に依頼することにした旨を述べている.
医師Aは,時間の問題から当直録の記載も不十分となり,特養の職員に対しても,急ぐあまり半ば曖昧なことを指示してしまったのかもしれない.
しかし裁判所はそこまで医師の事情を汲むことはできず,証拠から判断せざるを得ない.もし上述のような事情が事実であれば,カルテ記載等が不十分であったことは残念である.本件も,カルテの記載の重要性を痛感する事例と言えよう.
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