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日外会誌. 121(1): 67-68, 2020

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会員のための企画

医療訴訟事例から学ぶ(112)

―急性胃腸炎との確定診断後に絞扼性イレウスを見落とした事例―

1) 順天堂大学病院 管理学
2) 弁護士法人岩井法律事務所 
3) 丸ビルあおい法律事務所 
4) 梶谷綜合法律事務所 

岩井 完1)2) , 浅田 眞弓1)3) , 梶谷 篤1)4) , 川﨑 志保理1) , 小林 弘幸1)



キーワード
急性腹症, 絞扼性イレウス, 急性胃腸炎, 確定診断

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【本事例から得られる教訓】
確定診断に至っても,患者の症状の推移には常に注意を払い,確定診断にこだわらないよう意識する姿勢が必要である.

1.本事例の概要(注1)
今回は,絞扼性イレウスの見落としが生じた事案である.
平成18年(2006年)2月20日午前3時45分頃,患者(8歳2カ月の男子小学生)は,強い心窩部痛を訴え,数回嘔吐し(最初1,2回の吐物色は茶褐色),午前4時20分頃病院に救急搬送された.診察したD医師の所見は,「胸部正常呼吸音,腹部は平坦で軟,心窩部から臍下部に圧痛あり,限局する圧痛点はない」というもので,患者を経過観察とし,点滴投与を開始した.
午前9時頃,Y医師は,来院した際の患者の症状および鑑別診断のために行った腹部単純X線検査,腹部超音波検査等の結果から,腹部単純X線写真においてイレウスでみられるべき小腸ガスがみられなかったこと,腹部超音波検査において,イレウスで認められるべき腸管の拡張,腸管壁の浮腫ないし肥厚,腸管内容を示す点状エコー等が認められなかったことからイレウスを否定し,腹部超音波検査において腸間膜リンパ節腫大が多数認められたところ,虫垂の腫大がなかったことから急性虫垂炎を否定し,急性胃腸炎と診断した.
午前10時45分頃,患者は唾液を嘔吐した.病院来院後の患者の吐物は,潜血陽性であった.
病院の医師らは,患者を入院させることにしたが,患者は「おなかが痛くて歩けない.」と述べたため,午後2時25分頃,ストレッチャーに乗せられ救急処置室から病棟4階に移された.
入院後も患者には間欠的に強い腹痛がみられ,午後4時過ぎには「痛いよー.痛いよー.」と訴えてうずくまり,苦痛様の表情がみられた.この様子を観察したE看護師は,午後4時10分頃,患者の症状に疑問を持ちC医師に報告した.
上記報告を受け,午後4時10分頃にC医師が患者を診察したところ,患者には腹部膨満と臍上部の圧痛がみられ,排便はなかった.C医師は,診療録に「腹痛は間歇的で腸管由来だろう.急性胃腸炎として絶飲食,点滴中.」と記載した.
C医師は,午後4時38分頃,細菌性胃腸炎の鑑別のため,患者の便培養検査を指示し,また,腸重積の鑑別のため,血便の有無を確認する目的で,患者に対するグリセリン浣腸60mgの施行等を指示した.浣腸により,患者には少量の排便がみられ,患者の腹痛は少し治まった.
患者は,午後5時20分頃,看護師に強い腹痛を訴え,痛み止めが欲しいと希望したため,Y医師の指示でC医師が患者に鎮静剤であるソセゴンを注射した.
患者は,同月21日午前1時過ぎ頃,「気持ち悪い.」と言って,約100mlのコーヒー残渣様のもの(潜血3+)を嘔吐した.
患者は,同日午前2時30分頃,看護師に対し便意を訴えたが,排尿のみで排便はみられなかった.
看護師は,同日午前2時40分頃,患者の呼吸が停止しているのに気付き,Y医師らは心肺蘇生処置を施行したが,同日午前4時50分,患者の死亡が確認された.
病理解剖の結果,患者の腹腔内には約600mlのヘモグロビン浸潤色の腹水が貯留し,小腸間膜に3.2㎝×3.7㎝の大きさの異常裂孔が存在した.そして,空腸上部(幽門部から16.5㎝)の部位から,空腸,回腸の大部分(回盲部より27㎝の所まで)は腸間膜裂孔に嵌頓し,絞扼性イレウスを呈していた.また,絞扼されていた小腸と腸間膜は出血性壊死を呈し,小腸の内腔には約400mlの出血がみられた.

2.本件の争点
主な争点の一つは,急性胃腸炎の診断後,患者のイレウスを疑い所要の検査を行うべきであったかという点であった.

3.裁判所の判断
裁判所は,患者を急性胃腸炎であると確定診断したとしても,確定診断後の経過において,確定診断を下した際の症状の一般的推移と異なる経過が現れた場合には,それが確定診断と積極的に矛盾するものとまではいえなくとも,確定診断にこだわることなく,診察や検査を行って確定診断を再検討する必要があるとした.
そして,Y医師が2月20日午前9時頃患者を急性胃腸炎であると診断した後も,患者の容態は一向に改善しなかったこと,午後4時過ぎには「痛いよー,痛いよー」と訴えてうずくまり,苦痛様の表情がみられたこと,単純な胃腸炎による腹痛とは違うのではないかという疑問を持った看護師の報告を受けたC医師が患者を診察したところ,腹部膨満と臍上部の圧痛がみられたこと,この間,排便がないこと,さらに,午後4時38分頃,C医師においてグリセリン浣腸を施行したため,患者の腹痛が少し治まり,絶飲食および点滴を続行したにも拘らず,午後5時20分頃,患者の希望により鎮静剤ソセゴンが注射される程の腹痛が襲ってきたことに言及し,その中でも,特に「痛いよー,痛いよー」と訴えてうずくまる,あるいは痛み止めを希望するほどの間欠的な腹痛が遷延していたこと,腹部膨満がみられるに至ったこと,排便がないことは,イレウスを疑わせる所見ということができるとした.
以上の事実や鑑定結果等から,裁判所は,午後5時20分頃の時点でイレウスを疑い,患者に対し腹部レントゲン検査,CT検査および腹部超音波検査を実施すべき注意義務があったとし,Y医師には過失があると認定した.

4.本事例から学ぶべき点
小児の絞扼性イレウスは稀であり,病院は,急性胃腸炎の確定診断がなされていたこと等を強調し争ったが,裁判所の採用した鑑定医3名のいずれも,午後5時20分頃の時点ではイレウスを疑うべき所見があったとした.あくまで筆者の推測に過ぎないが,病院の医師らは,急性胃腸炎という確定診断に至ったことで,急性胃腸炎という前提に囚われてしまい,新たに別の疾患を疑うという発想が生じにくくなっていたのではなかろうか.こうした思い込みに起因する誤りは,重篤な結果を招く危険がある.重要なのは患者の「今」の所見である.肝に銘じたい.
なお,本件の腹部理学的所見の診療録記載はいずれも研修医の所見であった.研修医指導の点でも本件は参考になると思われる.

 
利益相反:なし

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引用文献および補足説明
注1) 横浜地裁平成21年10月14日

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