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日外会誌. 126(2): 125-126, 2025

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先達に聞く

「女性」外科医として働いた経験から

神戸学園神戸動植物環境専門学校校長,さいたま市立病院小児外科排便外来,吉川小児科排便外来 

中野 美和子



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厚生労働省の医師統計の概況では,医師総数は増えているが,外科医数は減少傾向で,若手の外科志望が減れば,更に減少する.日本外科学会では,2022年に「外科医希望者の伸び悩みについての再考」なる一文が理事長名で出され,その分析の中で,女性医師への配慮に乏しい事を理由の一つに挙げている.医学部医学科入学者の女性の割合は,それまでの30%台から2023年に40.2%に増えた.若手医師では女性が半数になる時代はすぐそこに来ている.
当学会はこの状況を認識し「女性外科医支援委員会」を発足.名称は「男女共同参画委員会」,さらに現在の「ダイバーシティ推進委員会」と変わり,女性医師への配慮だけでは解決にならない,全員のワークライフバランスを考えようという時代になった.2022年のデータでは外科専門医のうち女性は10.1%,小児外科専門医では17.2%まで増えている.女性外科医問題に関する様々なデータと分析等は既に論文があるので,そちらに譲ろう.今年は私にとって,外科医になって50年目,個人的な経験の一部を振り返りたい.
私が医学部を志望した理由の一つは,待遇面で男女差が公式にはないだろうということだった.1969年に入学した神戸大学の医学部の建物には,女性用のトイレはなかったし,病院実習用の女性用更衣室もなかった.
大阪市立小児保健センター(現 大阪府立総合医療センター)外科の植田隆先生の特別講義を拝聴し,ためらうことなく小児外科医になることを決心した.卒後は大学の医局に入る時代で,母校の外科では小児外科の業績が少なかったため,進路を相談したが,どの先輩からも反対された.女性が外科系に進むことは特別視される時代で,外科に限らず,女性お断りの医局は珍しくなかったが,女子学生は全国的に約10%だったのでそれで通用したのだ.困った私は,小児麻酔の権威だった麻酔科の岩井誠三教授に相談,彼もまた大反対だったが,最後には全国の小児外科教室に問い合わせてくれた.しかしどこからも,女性が入局した実績のある大学からも断られ,最後に慶應義塾大学外科の小児外科,勝俣慶三先生が引き受けてくれた.入局試験では,慶應は一外科制なので阿部教授をはじめ,教授,助教授,講師の先生方から,研修が厳しいが大丈夫かと訊かれたが,大丈夫ですと言うしかない.その際に女性の新卒入局者は初めてだということを知った.
1975年,外科医としての「修業」を大学病院で始めた.2年後に慶應卒の内藤(現 向井)千秋さんが入局,後に心臓血管外科に所属,レジデント時代は交流があり,後輩の存在が嬉しかったが,まもなく宇宙飛行士が決まり,外科の臨床から離れてしまった.
外科医局の上層部は優しく受け入れてくれたが,臨床の場にいる外科医はそうはいかない.女性が外科医になること自体がともかく気に入らない,というレベルの発言が聞こえてくる.結局,向井さん以降も,女性の入局者が定着することは30年近くなかった.
一般外科の研修を経て,4年目から小児外科グループに所属し,9年目に国立小児病院(現 国立成育医療研究センター)外科に赴任した.その間,1980年に日本は女性差別撤廃条約を批准し,1986年に男女雇用機会均等法が施行された.法律は改訂され,セクハラ防止が強化されたが,世の中がすぐに変わるわけではない.「セクシュアルハラスメント」という言葉を私が知ったのは1989年,新語・流行語大賞をとったからだ.今までのモヤっとした感情はこれだったのか,なんてすてきな言葉だろうと思ったものだ.セクハラ,パワハラは外科医になった時点での想定内だから平気,と思い続けてきたが,そうではない.感じない,考えないことにしていただけで,実際は苦しかった.当時の外科医の多くはハラスメントの概念自体,理解不能だったろう.これは女性に対して,に限らない.「無意識のバイアス(偏見)」「小さな攻撃性」を学生に講義する度に,バイアスは誰もがもっていると,自戒している.人間は合理的判断に従わない,そして損をしたくない.教授が歓迎しても,結婚,育児をする女性外科医を自分のチームに受け入れることは,できれば避けたいという外科医はまだ多い.
性別役割分担意識が強い時代に育ち,頭が固かった私は,「ちゃんと」家事,育児ができない状況なら,結婚し子どもを持つことは無理だと思い込んでいたし,仕事第1という目標を優先すると,そんなヒマはないというのが実情だ.確かに24時間働くことはあったが,1年365日全て忙しかったわけではない.小児外科の性質上,当時は常時オンコールという体制で,心の余裕がなかった.
「中年の危機」年齢ともなると,それまでの働き方,患者への向き合い方では通用しなくなる.これは男女関係ない.私自身は友人の勧めで心理療法のトレーニングを受け,ものの見方が変わっていった.その経験は,外科医を退職後も外来は続けているので,役立っている.難治性の慢性機能性便秘症と,小児外科手術後のトランジション患者が対象の専門外来である.
後悔ばかりの小児外科医人生だが,小児専門施設で働き,飛躍的な医学の進歩を経験でき,地方の公立病院で地域医療への貢献もできた.退職後に非常勤ではあるが,熊本大学病院の小児外科を手伝い,大学病院の難しさの一端を見ることもできた.多少の達成感はある.
外科医をスタートするにあたり心に決めた目標の一つは,臨床の一小児外科医として退職する,女性であってもそれが可能なこと,を示すことで,このことは果たせた.現役小児外科医で退職することは,男性であっても容易ではない,ラッキーであった,周囲の支えがあったからこそと思う.何よりも患児とその家族からは,一度も性差別を感じたことはなく,信頼してもらえた.私自身の歩みが女性外科医のロールモデルにはとてもならない,見習う必要もない.良い時代がきた,と信じたい,若い外科医には高い目標を持って自分らしく外科医を続けていただきたい.

 
利益相反:なし

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