日外会誌. 125(4): 297-298, 2024
先達に聞く
刺激伝導系研究の軌跡・Finishを決める
日本外科学会特別会員,東京慈恵会医科大学客員教授,榊原サピアタワークリニック 黒澤 博身 |
I.今野草二教授の一言
1970年東京女子医大・日本心臓血圧研究所(心研)・榊原外科に入局して数年後,Fallot四徴症の右脚ブロック防止法が話題になっていたある日,今野教授のVSD閉鎖術の第2助手をしていた私は「右脚はどこを走っているのですか?」と聞いてみた.すると教授は「今忙しいから後で」と言って手術を進めた.手術が終わってICUに戻ると奥にある小さなコーヒールームに呼ばれ「実は僕も知らないんだ」と衝撃の一言.これが刺激伝導系研究開始の小さな号砲となった.すぐに心研・標本室でFallot四徴症の標本を選び,連続切片で刺激伝導系を調べた.しかしその結果は世界で唯一の報告例であったLevの研究結果とは違うものであった.どちらがFallot四徴症の基本形なのか?この疑問を解明するためこの分野で造詣の深いAmsterdam大学Becker教授のもとで研究したいと考えていたところ,ちょうどオランダ政府留学生試験に合格して留学の道が開けた.
II.Van Mierop教授の教え
オランダへ行く前に先天性心疾患の発生・病理の知識が必要と考え,高尾篤良心研所長が主催した国際シンポジウムで先天性心疾患の発生機序を講演したFlorida大学Van Mierop教授のもとで勉強させて頂くことにした.Van Mierop教授は心標本にホルマリンを点滴注入して心臓の形態をありのままに固定する方法で見事なコレクションを作り上げていた.700個の心標本を詳細に計測し,病態をスケッチし,教授のコメントを加えた記録は今でも研究の最も重要な資料になっている.教授に教えて頂いた“前方大血管は右室から起始し,後方大血管は左室から起始する”という心臓発生の大原則はその後の複雑先天性心疾患研究の中核になった.教授が晩年に出版した自叙伝“Bob”の中で,指導した研究生のうち私を最も大きく取り上げており,驚くとともに深く感謝している.
III.Becker教授との共同研究
Amsterdam大学Becker教授との刺激伝導系研究の第一歩は心標本をどの方向に切るかであった.教授は今まで通り房室弁輪と平行に連続切片を切ることを主張したが,私はVSDの形は疾患により違うのでそれぞれに適した方向に切ることで手術に役立つ正確な情報が得られると主張した.教授は「私の言う通りの結果が出たら全てAmsterdam大学方式でやってもらうが,君のいう通りの結果が出たら全て君が考える通りにやって良い」と言ってくれた.第1例目は私が予想した通りだったので以後全ての症例を外科的視点で実施した.当時医学部長であったBecker教授は私がオランダ政府留学生であることを踏まえ,標本室,写真部,工作室,デザイン室,秘書の全てを私の研究のサポートチームとして運用してくれた.その後,Amsterdam大学と女子医大心研での研究結果をまとめ,文部科学省の研究助成を受け再度Amsterdamを訪れ,Becker教授の自宅に二人で籠り(図1),まとめ上げた成果がAtrioventricular Conduction in Congenital Heart Disease. Surgical Anatomy (Springer-Verlag 1987)である.本書は数年後には完売したが2013年Springer-Verlag社が創立130周年記念事業としてそれまでに出版した数十万部の書籍から40冊を厳選して電子書籍として永久保存版とする企画を発表し,本書はその一冊に選ばれた.誠に名誉なことである.現在,本書はhttps://link.springer.com/book/10.1007/978-4-431-68045-1より電子書籍を購入できる.
Amsterdam大学でのもう一つの貴重な経験はBecker教授の盟友であるLondon大学Anderson教授との交流である.刺激伝導系の発生から病理まで,紛れもない世界の第一人者である.大のゴルフ好きで,私を永久スクラッチの相手にしている.現在,International Society for Nomenclature of Pediatric and Congenital Heart DiseaseのメンバーとしてICD-11やCHD Atlasの編集に共に関わり,活発な議論を続けている.
留学から帰国後,東京慈恵会医科大学と東京女子医科大学での手術経験をもとに外科医の視点で捉えた臨床的知見を加えた「心臓外科の刺激伝導系(医学書院 2013年)」を出版した.表紙にはVan Mierop教授が留学記念にと手渡してくれた自筆の修正大血管転位症のスケッチを使わせて頂いた.出版から10年経過した現在,1,000冊の初版はほぼ完売とのことである.
2016年6月Italy・Veniceで開催された米国・欧州小児心臓外科合同学会でHarvard大学Boston小児病院のCastaneda教授が「世界の小児心臓外科の発展に貢献した外科医」の特別講演を行い,日本からKonno, Kawashima, ImaiとともにKurosawaの名を揚げて頂いた.誠に名誉なことであった.
大学を退任して15年,術後の患者を毎日診ていると不整脈の新知見に時々遭遇する.両大血管右室起始症では前後房室伝導路が残る“sling”になっていると考えられることがある.さらにTbx3-positive cellが関連すると考えられる心房性不整脈が多脾症以外の患者でも診察中にしばしば確認される.これらの新知見を盛り込んだConduction System最新版がKirklin/Barratt-Boyes Cardiac Surgery 第5版に初掲載され出版される.そして2025年の国際学会で集大成を発表し,一区切りとしたい.
“先天性心疾患の手術を受けた患者にはできるだけ普通の人生を送って欲しい”という一念で臨床と研究の二足の草鞋を履き続けてきた50年である.研究でfinishを決めることは難しいが最後まで続けたいと思う.
利益相反:なし
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