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日外会誌. 124(4): 309-310, 2023

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先達に聞く

いま,ふたたび「考える外科学」

日本外科学会名誉会頭,群馬大学特別教授・名誉教授,福岡市民病院名誉院長, 遠賀中間医師会おかがき病院地域総合支援センター長 

桑野 博行



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「考えるとは,合理的に考えることだ.
どうしてそんな馬鹿げた事をいいたいかというと,現代の合理的風潮に乗じて,物を考える人々の考え方を観察していると,どうやら能率的に考える事が,合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ.
当人は考えているつもりだが,実は考える手間を省いている.そんな光景が至るところに見える.物を考えるとは,物を掴んだら離さぬという事だ.画家がモデルを掴んだら得心の行くまで離さぬというのと同じ事だ.
だから考えれば考えるほどわからなくなるというのも,物を合理的に極めようとする人には,極めて正常なことである.だが,これは能率的に考えている人には異常なことだろう.」
(小林秀雄,1902~1983,『考えるヒント』「良心」より)
この言葉は,不肖,私がお世話させていただいた,「第117回日本外科学会定期学術集会」における「医療安全そして考える外科学」という主題・テーマに基づいて行わせていただいた会頭講演「外科学の臨床と研究から垣間みられたこと―考える外科学の実践―」の際に引用させていただいた文章である.小林氏の文章は時として難解なこともあるが,私なりにこの「合理的」を解釈すると,「無駄なく能率的」ということではなく「道理や論理にかなう」,更には「事象全体を手間を省かず,すべからく考える事」ではないかと愚考する.
当然,研究や論文においては症例報告であれ,原著論文であれ,その論文としての「新奇性(novelty)」が重要性であることは言うまでもないが,一般に原著論文の場合,様々の観点から対象の母集団を分析し,その中から「ある普遍的」,「より共通の原理または傾向」を見出してゆく作業に基づくことが多い.そしてそこには存在する「より普遍的」な事象を据えて成果とし,その事象が「普遍的」であればある程,その価値は高いものとなることが一般的である.一方,症例報告においては,その症例が珍しく,それ自体が「特殊性」を有していれば有している程,その価値は高いものとなることが通常である.その一方で,すぐには臨床には役立たないかもしれない,もしかしたらずっと役立たないかもしれないが,臨床での特殊な症例,実験も含め仮説には必ずしもそぐわない結果,言い換えれば例外的な事象にも心を置いて,これらも含め詳細に観察することで新たな知見にたどり着けることもあるのではないかと考えている.普遍的な事象を追い求める能率的思考だけではなく,一見例外と思われる事象にも心を置きつつ,ものごと全体を捉えて本質に少しでも近づく研究姿勢,つまり「合理的思考」に基づいて,私たちは今後の研究に取り組んでいけたらと切に願っている.
次に,「外科学のもう一つの使命,外科切除による臓器機能の解明」という観点から考えてみたい.コッヘルの鉗子でも有名な,Emil Theodor Kocher(1841~1917)はスイスの外科医で,ノーベル賞を受賞されているが,その受賞理由は甲状腺の生理学,病理学および外科学に関する研究での業績によるものである.甲状腺手術に伴う欠損状態により惹起される患者の病態を詳細に観察することで,外科学・病理学に加え,甲状腺の生理学的な機能を解明し,外科医として初のノーベル賞受賞につながったと言われている.また,イヌの膵臓摘出実験に加え膵管閉塞による膵外分泌機能廃絶後もランゲルハンス島は残る事実の着目がFrederick Banting(1891~1941)らのInsulin発見の偉業となった事は多くの方々がご存じの通りである.さらに消化器外科の領域で,かつて胃全摘術により引き起こされる無胃性貧血,悪性貧血の患者の観察から,胃の造血機能への関与が示唆され,内因子,ビタミンB12の吸収のメカニズム解明につながっていった.
外科医の使命は,腫瘍に対し一義的には病変を含む臓器,組織を切除することにあるが,同様に貴重な臓器を取り出させていただく責任のもと,その臓器,組織の存在意義をみつめることが,私共外科医のもう一つの使命ではないかと考える.
われわれも群馬大学外科学教室において,ささやかな動物実験ではあるが,十二指腸を切除することにより,その胃運動への関与や1),腹腔鏡下幽門輪温存胃切除術時の迷走神経幽門枝の意義2)を報告した.更には胃切除の際の迷走神経腹腔枝に関し,温存群,非温存群で比較した結果,温存群で有意に十二指腸,小腸の収縮能が高く,インスリンの分泌能も保たれている結果を得た3).このことの,臨床的重要度は別に評価が必要であるが,迷走神経腹腔枝が残胃の消化管運動だけでなく,ホルモン分泌に寄与しているという事が,初めてみえてきた.現在は拡大手術から縮小手術の時代とも言えると思われ,また腹腔鏡下手術の普及による組織の拡大視効果が期待でき,このような時こそ外科医は臓器全体の機能解析にとどまらず,臓器内の一部や,さまざまの組織のより詳細な限られた部分の機能を見出せる可能性があると私は考えている.
外科医は,研究はもとより,日常の診療,手術を含め様々の機会に常に考え続けることが肝要であろう.さらに,先に述べた「考える外科学」は,一見例外にみえることにも心を置いて考える視点や,また,ことがら全体を捉えて考える「合理的」視点から,深く思いをめぐらせていただけたらという気持ちで前述した学術集会を企画し,そしてその思いを「いま,ふたたび」本稿で述べさせて頂いた.
目前に迫った,「医師の働き方改革」により,研究力の低下を危惧する声や,学問を積極的に行う外科医と,そうでない人に二極化する可能性も多く聞かれる.ここは,時間を長く費やすというより,日常から常に考える姿勢を持ち「考える外科医」であり続けることの大切さを強調して筆をおきたい.

 
利益相反:なし

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文献
1) Suzuki H, Mochiki E, Kuwano H, et al.: Effect of duodenectomy on gastric motility and gastric hormones in dogs. Ann Surg, 233(3) : 353-359, 2001.
2) Nakabayashi T, Mochiki E, Kuwano H, et al.: Pyloric motility after pylorus-preserving gastrectomy with or without the pyloric branch of the vagus nerve. World J Surg, 26(5): 577-583, 2002.
3) Ando H, Mochiki E, Kuwano H, et al.: Effect of distal subtotal gastrectomy with preservation of the celiac branch of the vagus nerve to gastrointestinal function: an experimental study in conscious dogs. Ann Surg, 247(6): 976-986, 2008.

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