日外会誌. 122(3): 314-319, 2021
特集
乳癌診療の現状と課題
5.遺伝性乳癌卵巣癌症候群の現状と課題
昭和大学医学部 外科学講座乳腺外科 中村 清吾 |
キーワード
遺伝性乳癌卵巣癌, リスク低減乳房切除術, リスク低減卵管卵巣摘出術, 乳房MRI
I.はじめに
2020年4月より,遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC:Hereditary Breast and Ovarian Cancerの略)が疑われる乳癌もしくは卵巣癌患者(表1)に,BRCA検査(遺伝学的検査)が保険適用となった1).保険診療上,遺伝性乳癌が認知された出発点といえる.また,その結果として,陽性(病的変異)であれば,対側の予防的乳房切除,即ちリスク低減乳房切除術(RRM:Risk Reduction Mastectomyの略)および卵管卵巣の予防的切除,即ちリスク低減卵管卵巣摘出術(RRSO:Risk Reduction Salpingo-Oophrectomyの略),術後サーベイランスとしての乳房MRIも保険適用となった.ここでは,その背景について述べる.
II.わが国におけるHBOC診療の系譜
すべての癌は,遺伝子変異が積み重なり発症するが,そのすべてが遺伝性ではない.欧米では,乳癌全体の5~10%が遺伝性であるといわれてきた2).わが国の遺伝性乳癌卵巣癌がどの程度存在するかは,いくつかの研究プロジェクトで取り上げられてきたが,大規模なものは存在せず,2011~12年に,日本乳癌学会の班研究として,この時点での,日本で行われたBRCAの検査件数と陽性者数をまとめて報告した3).その後,NPO法人日本HBOCコンソーシアムを設立し,データベース作業を継続した.次第に,データベースの規模は大きくなり,本データベースを用いた研究も,指定課題,公募課題ともに活発に行われるようになった(図1)4)
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6).ただし,2020年3月までは,BRCA検査そのものが,自費で20~30万円したために,濃厚に疑われた患者のみに施行されてきた.2018年には,BRCA陽性者に特異的に奏効する薬剤(PARP阻害薬)が保険適用となったことにより,まずBRCA検査がPARP阻害薬のコンパニオン診断として保険適用となった.すなわち,本邦では2018年7月に「がん化学療法歴のあるBRCA遺伝子変異(Variant)陽性かつHER2陰性の手術不能又は再発乳癌」に対し,PARP阻害薬が保険適用となり,BRCA検査はコンパニオン診断として保険償還されるようになった.引き続き,2020年4月より,HBOCが疑われる乳癌或いは卵巣癌患者に対して,BRCA遺伝学的検査が,保険適用となったのである.わが国におけるRRM,RRSOの有用性に関しては,前述のJOHBOCが,外科系学会が臓器別のデータを登録しているNCD(National Clinical Database)上で,データ登録を行っており,施設認定制度のもとで,経過観察のデータも収集している.したがって,10年後或いは15年後には,わが国におけるRRM,RRSOを施行した長期に渡るデータ解析の結果も期待される.
III.わが国独自の変異パターン
HBOCのデータベースが大きくなるにつれ,わが国独自の変異パターンも確認されるようになった.一番顕著なのは,BRCA1陽性にみられるL63Xというアミノ酸の変異である.もともと,BRCA1の約80%が,トリプルネガティブ乳がんである7)が,その中でも,約26%と高率にL63Xに変異が認められている8).家族性卵巣癌では,やはりL63Xが高頻度で認められることと,主に東日本で検出されるということが報告されている9).ただし,L63Xが日本人の創始者変異であることを追求するためには,さらなるデータの積み上げが必要である.
IV.なぜ乳房MRIが必要か?
HBOCの方への乳房MRIを用いた経過観察の根拠は,2004年のWarner等の報告に遡る10).その後,医療経済的な検証も行われ,欧米の診療ガイドラインにも表記されるようになった11)
12).さらに,乳房MRIを定期的に行っているのであれば,マンモグラフィは不要ではないかという論文も出てきている12).わが国で頻用されている超音波検診は,欧米での評価は低く,乳房MRIは,マンモグラフィ単独あるいは,マンモグラフィと超音波併用のサーベイランスに比べ有用であるとする論文も出ている13).日本では,乳房超音波が頻用されているが,乳房MRIとの有用性の比較を行うことが,喫緊の課題である14).特に乳房MRIでのみ検出可能で乳房MRIでは検出できない場合の対応,すなわちMRガイド下生検(本邦では,保険適用)の有用性に関する評価が重要であると考える15).図2は,対側の経過観察として,乳房MRIを施行したところ,乳房MRIでのみ描出しえた4㎜程度の病変で,トリプルネガティブのDCISであった.図3は,やはり対側の乳房MRIのみで描出しえた病変で,MRガイド下生検を行い,トリプルネガティブ乳癌の診断を得て,皮下乳腺全摘術と人工乳房再建術を施行したが,摘出した乳房組織には,遺残する乳癌を認めず,生検のみにて消失したと推定できる小病変であった.特に,BRCA1変異陽性の場合,1㎝未満のトリプルネガティブ乳癌が,どの程度検出可能かの評価は,今後の重要な課題である.
V.HBOC診療の今後
2020年4月より,乳癌或いは卵巣癌の既発症者に対しては,BRCA遺伝学的検査,乳房MRIによるサーベイランス,対側乳房のリスク低減手術,リスク低減卵管卵巣摘出術が保険適用となった.また,BRCA2未発症陽性者に対しては,Tamoxifen10㎎/日経口×3年間の予防効果を観る研究が,AMED(国立研究開発法人日本医療研究開発研究機構)の班研究として行われている(図4).さらに,BRCA1未発症陽性者に対しては,デノスマブを用いた予防効果を観る国際共同治験が行われている(図5).未発症陽性者は,乳癌ハイリスクであることから,乳房MRIを用いた検診も世界的に行われており,保険医療に組み込まれるべき対象と考える.
また,米国では,BRCAを単体で調べるのではなく,遺伝性乳癌に関与する遺伝子をパネル検査として,同時に調べることが主流になってきている16).日本では,BRCA1/2以外の原因遺伝子を発見するために,家族集積性があるということでBRCA検査がなされたが陰性であった症例の残余検体に対してエキソーム解析を行い,既知の原因遺伝子ばかりでなく,未知の原因遺伝子の同定を目指した研究が行われている17).そこで,初診の時点で,80種類の遺伝性乳癌に関連する遺伝子を,全例に対して調べると,約30%の人に,何らかの治療法の変更につながる変異情報が得られたとの報告がある18).今後は,初診時に,まず針生検による乳癌そのものの診断やサブタイプの決定の他,血液もしくは唾液を用いた遺伝性であるか否かを診断することが重要となるであろう.
VI.おわりに
遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)症候群は,遺伝性乳癌の診断および治療に対する対応の第一歩といえる.今後は,未発症陽性者への対応に拡充していく(ハイリスク検診も含む)とともに,他の遺伝子群へのきめ細やかな対応を診療ガイドライン等で整備することが必要であろう.
利益相反
研究費:コニカミノルタジャパン株式会社
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