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日外会誌. 124(1): 8-10, 2023

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若手外科医の声

先天性心臓外科医への「道」

順天堂大学 心臓血管外科

中西 啓介

[平成20(2008)年卒]

内容要旨
「絶滅危惧種」とも言われている先天性心臓外科医を目指した理由は,学生実習の時に経験したフォンタン手術がきっかけだった.先天性心臓外科医として,これまで歩んできた「道」について若手外科医としての考えや経験したことを書こうと思う.これから歩む先天性心臓外科医の道はまた苦しい事の連続だと思うが,これまで育ててくれた両親,同僚や先輩医師,そして患者達へ恩返しをするためにも,先天性心疾患患者の砦になれるような一流の先天性心臓外科医を目指して精進していこうと思う.

キーワード
先天性心疾患, 心臓血管外科, 小児心臓外科

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I.はじめに
先天性心臓外科医は「絶滅危惧種である」などと言われ1),今や若手外科医が目指しにくい領域になってしまった.その理由には技術の面もあるだろうし,職場環境の面もあるだろうし,時代的背景も関係してくると思われる.そんな中で今回の話をいただき,自分が若手心臓外科医時代に歩んできた考えや経験を書く事で後輩が自分も目指そうと思うきっかけにしてくれたり,いま正に頑張っている私と同世代の仲間にも伝えられたりしたらと思う次第である.

II.人生の分岐点
自分が医師を目指したきっかけは,ある子供との出会いだった.当時高校2年生の1学期,医学部を目指す友達に付き合って近くの病院へふらっと寄った時,車いすに乗った赤いカーディガンを羽織った10歳ぐらいの女の子とすれ違った.鼻には栄養チューブが入り,点滴をぶら下げている姿は衝撃的で,自分はなんて適当な気持ちでこの場に来てしまったのだろうと心の底から恥じ入った.そんな些細なことで,子供を治す医師になりたいと思い立った.生来頭の構造が単純なのだろう.医学部では,ラグビーに没頭する傍ら,小児の外科医「小児外科」になろうと考えていた.そんな折,学生実習時に小児科循環器グループで担当したフォンタン手術の患児はまた自分の人生を変えた.小児心臓外科チーフであった川﨑志保理先生に手術に入らせてもらい,術後川﨑先生が両親に対して,手術が無事に終了し「これで大人になれますね.」と伝えている様子や劇的な血行動態の変化を目の当たりにして感銘をうけ「小児心臓外科医」になることを決心した.

III.若手外科医としての歩み
研修医時代が終わり小児心臓外科医として働き始めると,それまで研修医として少しは成長したと思っていた自分がいかに一人よがりで,勘違いをしていたかをまざまざとみせつけられた.何も出来ずにただ過ぎていく時間に焦りを感じながら最初の4年間は過ごしたのではないだろうか.そんな時に自分を奮い起こしてくれたのは,患児が元気になる姿や患児の両親からかけられた言葉だった.医師として6年目,自信もなくなっていた時,退院する患児の母親から「先生はたぶん忘れちゃうかもしれませんが,ずっと感謝します.良いお医者さんになってください.」と言われた言葉などは記憶に残っている.また,小児科の先生達にも元気がない自分を随分と励まして頂いた,この場を借りてお礼を述べたい.

IV.外科医としての運
外科医としてターニングポイントになった症例がある.他院からductal shockで搬送されてきた患児は,すぐさま手術が必要な状態で,助けを乞うように川﨑先生に連絡をしたが,「じゃあ頑張って.」と電話を切られた.これは「君ならもう一人でも十分にやれる」という意味であるという覚悟を決めて臨んだ手術は順調に終了し,患児も元気に退院してくれた.この経験はどこかでまだ人に頼っていた自分を見つめ直すきっかけになった.考えてみると自分は常に運が良い外科医人生を歩ませて頂いたと思う.不思議な事に自分のその時点での技術と難易度を合わせたように患児が来てくれたように感じる.川﨑先生から症例を引き継ぐタイミングも1,2年違うだけで,全く違う状況になっていた可能性もある.そんな運もあって現在は先天性心臓外科チーフを担わせて頂けるようになった.もちろん上手くいく患者ばかりではなく,自分が手術した患者の中にも失われた命がある.その時常に思うのは,自分にもっと知識や技術があれば助けられたのかという葛藤である.その失われた命は自分の肩に乗っているように感じ,そんな現実から逃げ出したい気持ちを抑え,自らの糧として前進していく精神力は常に全力で患児に向き合って来たという自負から生じているのではないかと思う.小児心臓外科医として歩んできた中で,まさに生まれてから成人に至るまでの先天性心疾患を持った患者の人生を丸ごと任せてもらえるような医師になろうと決心した.それは成人症例が豊富な施設にいたため違和感なく当然そうあるべきだろうと考えるに至った.振り返ってみると自分は本当に色々な応援してくれる人との出会いや運に助けられてこれまでやってきていると感じる.

V.先天性心臓外科医としてのこれから
自分が育てて頂いたのと同じように,後進を育てていく事も重要な任務だと考える.医療はインフラの一つであると考える.先天性心疾患の治療は全国どこにいっても治療が必要な患者に対して,適切で精度の高い治療が日本中で受けられるようにしなければいけないし,またその医療体制が持続可能であることが大事である.現在若手教育が各分野で盛んに議論されている.システマチックに外科医を育てられる環境が作られようとしているが,外科医は技術だけでなく自己の健康や医師としての覚悟・倫理観,そして判断力も育てることが重要な事だと考える.これから歩む先天性心臓外科医の道はまた苦しい事の連続だと思うが,これまで育ててくれた両親,同僚や先輩医師,そして患者達へ恩返しをするためにも,先天性心疾患患者の砦になれるような一流の先天性心臓外科医を目指して精進していこうと思う.

VI.おわりに
私が順天堂大学心臓血管外科学講座に入局した当時の主任教授は誰でも知るところの天野篤先生であった.天野篤先生の手術を間近に見て,職人芸と言えるような手術技術・術中判断の早さから多くを学び自分の手術に落とし込む事が出来た環境,日常の会話から得られる外科医としての覚悟などを学べたことに感謝している.先天性心臓外科医としてまさに基礎からたたき上げていただいた川﨑志保理先生にはいくら感謝しても足りない.多くの偉大なメンター,患者に支えられ育てられ自分はここまで歩んできたと思う.これまで先人達が作り上げてきた道を受け継ぎ,自分もその大きな流れの中の一人として役割を果たしながらこの道を歩んでいきたい.

 
利益相反:なし

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文献
1) 朴 仁三:「心からの…」. Ped Cardiol Card Surg, 32(5): 355‒356, 2016

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