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日外会誌. 123(6): 511-512, 2022

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胃癌治療ガイドライン:日本初のがん治療ガイドライン

公益財団法人がん研究会有明病院 

山口 俊晴



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I.はじめに:広く普及したガイドライン
学会や研究会をはじめ,様々な団体により医療に関するガイドラインが多数公開されている.欧米ではEBMの一環として,診療ガイドラインは1980年代から作成されていたが,本邦では21世紀になりようやく作成が開始された.その嚆矢といえるのが,胃癌治療ガイドラインである.本稿では胃癌治療ガイドライン公開までの道のりと,その後のガイドラインの普及と発展について振り返る.そして,現在のガイドラインの問題点や課題についても言及する.

II.胃癌取り扱い規約(胃癌研究会)から胃癌治療ガイドライン(胃癌学会)へ
胃癌に係る基礎研究者と臨床家が一堂に会し,胃癌研究を推進するために1961年に胃癌研究会が発足した.病理,外科,内科,放射線など異なった部門の研究者が集まったこの組織は,現代のトランスレーショナルリサーチをいわば先取りした組織であった.その基盤となるのは胃癌取り扱い規約であり,病理所見,進行度の定義などが詳細に取り決められた.この規約は様々な背景をもった研究者が共通の言語や尺度のもとに,科学的な議論を進めるためにも必須のツールとなった.会員施設からは膨大なデータが研究会のたび発表され,規約の妥当性が検討され,その結果規約は頻繁に改定されることとなったが,規約が変わるたびに現場は混乱することとなった.1998年には胃癌研究会がその役割を終え,日本胃癌学会が設立され,英文誌の発行など新しい事業が展開されたが,そのうちの一つが胃がん治療ガイドライン作成であった.
個人的には1996年頃から漠然と,現時点での研究成果をまとめた胃癌の治療指針的なものがあればと考えていたが,そんな時ある学会で国際胃癌学会設立の準備委員会でご一緒した癌研究会の中島聰總先生とお会いした.その際に,中島先生は胃癌の標準治療を取りまとめることを思いつき,何人かに話してみたが極めて否定的な回答しかないことを嘆いておられることを知った.きちんとした診療指針が学会から示されないまま,雑誌や学会発表から得た知識で,拡大郭清を試みた結果,過大な侵襲に苦しむ患者を少なからず見ていたので,中島先生と共に学会の診療指針作りを目指すこととした.

III.胃癌治療ガイドラインの作成と公開
1998年に日本胃癌学会に,新たに標準治療検討委員会が設置され,中島委員長のもとガイドライン作成に向けて活動が開始された.当時の主な反対意見は,「標準的な治療が示されることで,自由な医療ができなくなる」という懸念であった.しかし,ガイドラインは自由な医療を制限するものではなく,「個人的な思い込みによる医療」に陥らないように,エビデンスに基づいた治療指針を示すものであるということを理解してもらえるよう努力した.また,当時外保連で指導を頂いていた出月康夫先生は,迂闊に標準治療を提示すると,厚生労働省に医療費抑制のために利用される可能性がある事を強く危惧しておられた.これは米国では保険会社がガイドラインを利用して,診療を強く制限しようとしていた実情からも注意する必要があった.
日本でも厚生労働省は1999年から高血圧,糖尿病などのガイドライン作りを開始し,2001年には胃癌,肺癌,乳癌のガイドライン作りに取り掛かった.診療報酬の抑制が,その目的の一つであったことは疑いない.このような状況で座視するよりは,学会が積極的に適切な治療指針を定め,公開する方が健全であると考え,ガイドライン作成を急いだ.指針作成にあたっては,胃癌治療に関するエビデンスが少ないので,まず現状把握のために施設のアンケート調査を実施した.したがって当初はコンセンサスレベルのエビデンスが多く,ガイドラインとしての信頼度のレベルは低かった.
アンケート調査の結果を受けて,1999年には胃癌学会総会で「胃癌の標準治療の確立」と題したシンポジウムが開催された.司会は中島先生と,最も手厳しいご意見の出月先生に担当していただいた.シンポジストには小生のような推進派ばかりでなく,どちらかといえば批判的な先生にも加わっていただいた.シンポジウムの終わりには,司会の出月先生から「標準治療という呼称はおかしいので,ガイドラインとすべきである」とのご発言をいただき,ある程度ご理解いただいたものと安堵した.標準治療検討委員会は早速,ガイドライン検討委員会と改称し,2000年の2月にはガイドライン案に関するコンセンサスミーティングが開かれた.2001年3月には「胃癌治療ガイドライン」が公開・刊行された.ガイドライン刊行後,アンケート調査が行われた.その中のガイドライン公開後治療方針が変わったかとの設問に対して,変わらないが47%,一部変わったが52%,大幅に変わったが1%であった.このガイドラインのインパクトの大きさを如実に示す数字といえる.

IV.その後のガイドラインと課題
ガイドラインが発行されたことで,例えば標準的治療が手術単独であることが明示された.その結果,手術単独をコントロールとしたACTS-GCのような補助化学療法の臨床試験が可能になり,科学的なエビデンスが発信されるようになったことには大きな意義があった.その後日本胃癌学会におけるガイドラインのコンセンサスミーティングが恒例化し,抗がん剤治療の発展と世界への情報発信に大きく貢献した.
ガイドラインには資料が次々に追加され,厚さを増すのはある程度は止むをえない.しかし,ガイドラインのエッセンスは大部の書物を紐解かなくてもわかるものであるべきで,エッセンスの形で無料で広く公開されることが望ましい.学会のホームページには常に,最新のガイドラインのエッセンスが公開されていることを強く望みたい.また,患者用のガイドラインは2001年の11月にいち早く刊行され,2版まで作られたがその後は刊行されていない.患者用の解説には,医師用のガイドラインとは違った難しさがあるが,もっと力を入れる必要がある.

V.ガイドラインを盲信してはいけない:おわりにかえて
ガイドラインは新しいエビデンスが出るたびに,迅速な改定が必要であり,作成者は改訂の努力を怠ってはならない.また,すべての患者に適応できるものではなく,せいぜい70~80%の患者に適用可能であり,ガイドラインを規則や規約のようなものと誤解してはならない.ガイドラインが適用できない症例に,どのような治療ができるかでその施設の診療レベルが判定できるともいえよう.ガイドラインが広く普及するとともに,正しく使われることを期待している.

 
利益相反:なし

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