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日外会誌. 125(5): 388-389, 2024

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先達に聞く

大学の法人化と社会のグローバル化

日本外科学会特別会員, 横浜市立大学名誉教授, 港南台病院顧問 

嶋田 紘



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私の時代にはロボット支援手術でPDを行うなど想像もしなかった.故にわれわれの外科研究は癌治療の原則確立には貢献したかもしれないが今のMIS時代にもの申すことは出来ない.
しかし現役が細分化したミクロ的科学研究を行っているとすればOBは医学・医療を取り巻く社会の変遷を俯瞰的に観る事が出来る.
以下,自分も含めて現役にも耳の痛い話かもしれないが法人化前後の大学改革で感じることを述べたい.
日本の大学は長引く経済停滞,学生数減少,研究力低下で大学を取り巻く情勢は激しい.更に働き方改革を迎えて付属病院をもつ大学は学生にとって如何に魅力的な大学にするか正念場を迎えている.
独法化と相前後して60年ぶりの教育基本法改正(2006年)が行われた.大学の役割に研究成果による社会貢献が加わった.研究による社会貢献とは研究のシーズから特許権を取得し,スタートアップ企業を立ち上げてイノベーションを起こし大学経営を潤沢にすると共に雇用を創出し地域社会に貢献する事である.このことは法人化の目的である大学の主体的運営,経営にとって不可欠な法律改正であった.
さて,私は20年前の2005年に母校,横浜市立大学の医学部長を拝命した.その年に公立大学に先駆けて中田市長のもとに激しい法人化改革が行われた.
市長が外部から任命した学長,理事長,副学長のもとに国の方針に従い国公立大学は独立的,主体的運営・経営を目的としてガバナンス強化が行われた.教授会は人事を含む大学運営の重要な審議機関であると自負していたが実際は報告の場になり下ってしまった.
理事会等の上級会議では「あり方懇談会やプロジェクトR委員会で決議された法人化改革を行っているので問題は無いでしょう」という官僚主義的雰囲気の中で事務系主導の改革が粛々と実行された.
しかし現場で実践,指導していくうちに「学問の自由」,「大学の自治」がないがしろにされトップダウンの大学運営でうまくいくのだろうか.
少なくとも改革を続けるためには中間評価とKPIを大学人,市民に開示する必要があろうと思った.
さて問題の国公立の大学法人化であるが20年経った現在,概して評判は良くない.一般運営交付金削減によって若い研究員の雇用は制限され,競争的運営交付金や外部資金は人材や設備に勝る旧帝国大学へ集中的に配付される傾向がある. 教員は競争的交付金の申請,中期目標,外部資金確保の事務作業に追われる等,大学改革の乱発で疲弊している.評価者を任命する設置者に対する忖度文化がはびこり研究が屈折しているとすれば大学の危機だ.
本来,大学の研究力は独創性や有用性が評価される市場に任せ,持続的な向上がなければ意味が無い.
わが国の高等教育機関に対する公財政支出の対GDP比は0.4%1)に過ぎずOECD中,最下位である.更に法人化以降,大学院の進学率や社会人学生や留学生の比率もOECD諸国と比べかなり低い2)
高等教育への公財政の支援が少ない上に交付金を削ったら若い研究者は敬遠して研究力が低下するのが自然だろう.
更に,米国の有名大学に倣った外部資金獲得では研究のシーズや特許取得数は増加しているがスタートアップ企業による外部資金の獲得は見劣りする3).特許の将来を評価する目利き人,スタートアップ企業に投資するエンジェル投資家,弁理士,弁護士,など知財戦略の支援サービスのエコシステムの構築や企業誘致のための法人税減税や高度な国際的専門的人材のための環境整備,さらに国公立大学の株式保有制限についての検証も必要であろう.
一方教職員も長年染みついた公務員的考えはそうたやすく払拭できない.お上を頼りにし,組織を守るためにリスクを避け短期的な利益ばかりを追求しヒエラルキーにおける昇進自体が目標になっているのではないか.小さな組織の固定的な人間関係の中で挑戦を嫌う慣習では多様性で流動的な人間関係で構成されるグローバル世界では刃が立たない.
個人を埋没させていた共同体(地域,身分,職能)システムは20世紀後半のグローバル化でその枠組みは崩壊した.現代のグローバル世界は現場がリスクを判断して決済して,その結果責任を取るというのが普通のルールのようだ.
そのため一人一人が自立的で個性的で,多様性にも対応できる能力を持ち,利他的で勇気と実行力のある人材でなければならない.
 自分の幸福は世の中のあり方と行方に依存し,他人の幸福から行動する勇気を導き出されることを学ばなければならない.
21世紀の日本の課題である経済停滞,少子高齢化,格差社会などの課題を解決するためには教育への投資が重要であることを社会全体が認識しなければならない.また教育の内容は自由ではあるが国民としての共通意識が薄れないよう共通の価値観や目標を示すことも重要であろう.
野球,サッカーや最近のバレーボールやバスケットボールなどスポーツ界のグローバル化は日本人のアイデンティティの基に選手はゼロからの挑戦を長い期間をかけて行いようやく国際的に評価されるようになった.
大学人も一度立ち止まって,法人化の目的である主体性,独立性を再認識して自力で改革する勇気と力を持たなければ大学の再興はありえない.
大学ばかりでなくわれわれが所属する学会,医師会などもそれぞれの組織の価値観や慣習が国際的に通用するか自問し,変えるべきものを変えなければ日本の競争力や研究力は下がり続ける様な気がする.

 
利益相反:なし

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文献
1) 文部科学省:高等教育を支える投資 高等教育の公財政支出.2024年3月6日. https://www.mext.go.jp/content/1413715_018.pdf
2) 文部科学省:第7期大学分科会の審議事項に係る関連資料・データ 25歳以上の学士課程への入学者の割合(国際比較) 各国の学生に占める留学生の内訳.2024年3月6日. https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2013/04/16/1333453_2.pdf
3) 内閣府資料:日米の大学におけるライセンス収入の推移,TLOの状況.2024年3月11日. https:// www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/seisaku/c_torimatome/kihonhoushin5.pdf

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