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日外会誌. 124(2): 147, 2023

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Editorial

外科医の心得―鬼手仏心―

東京女子医科大学 乳腺外科

神尾 孝子



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『鬼手仏心』は,医師(特に外科医)を表す表現であり,外科医は手術の際,鬼のように残酷に大胆に患者の体にメスを入れるが,それは何としても患者を救いたいという仏のような慈しみに満ちた温かい心があってこそだという意味で用いられる.
言葉の由来は,仏教の経典にある『鬼手菩薩心』という言葉にあるとされる.
解剖学,麻酔法,無菌法は近代外科の基礎とされるが,このうち麻酔法は19世紀半ばに開発された.ボストンでのウイリアム・トーマス・グリーン・モートンのエーテル麻酔の成功やエディンバラのジェイムズ・ヤング・シンプソンによるクロロフォルム麻酔の発見により手術に伴う疼痛の克服が可能となり,外科史における極めて重要なブレークスルーとなったことは周知のとおりである.麻酔法のない時代の手術は外科医,患者双方にとって極めて過酷であり,外科医が頑なに心を鬼にして手術を行っていたであろうことはウイリアム・ジョン・ビショップやクロード・ダレーヌなどの外科史に詳しい.因みに,麻酔法の発明は,その後の外科の劇的な発展をもたらし,これとほぼ時期を一にしてなされたイギリスの若き外科医ジョセフ・リスターによる消毒法の発明とともにまさに医学史上の“外科革命”であった.
わが国において,華岡青洲が,動物実験だけでなく母,妻の協力による人体実験を繰り返し実に20年の歳月をかけて開発した麻酔薬“通仙散”を用いて世界初の全身麻酔下の外科手術(乳癌の切除)を成功させたのは,なんと1804年(文化元年)のことである.モートンがエーテル麻酔下手術の公開実験に成功した1846年に先立つこと40年余り前の快挙であったことに感慨を覚えずにはいられない.
麻酔法の開発により,鬼のように過酷な痛みを患者に強いることから解放された現代の外科医にとって,しかし冷静で大胆に,そして繊細で綿密な技術を駆使して万全の手術を行うことが求められていることに変わりはない.時にはぎりぎりの選択を強いられるなか,常に患者にとってのbestを念頭においての判断が迫られる.
鬼の手,神の手,麻姑の手に例えられる外科医の手に,近年は鉗子やロボットの手が加わった.AIや新たな知識,技術の導入も日進月歩で進められている.
限界に挑む一歩一歩の挑戦が新たな外科の歴史を紡いでいくことに疑いはない.
驕ることなく,プロとしての自覚と責任をもって日々技術と心を磨く精進を重ねていきたいものである.

 
利益相反:なし

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