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日外会誌. 122(6): 587-588, 2021

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新規プロジェクトの立ち上げ

日本外科学会特別会員,医療法人社団幸隆会多摩丘陵病院病院長 

島津 元秀



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何事につけ新しいことを始めるには,Prospect(展望)とPlan(計画)とPreparation(準備)と,そして最後にPractice(実施)の4Pが必要である.さらにそれを定着させるPersistence(継続)の5Pが揃って,はじめてそのプロジェクトは成功したと言えよう.
約30年前,私に任された新規プロジェクトとは慶應義塾大学(以下,慶應と略す)外科における肝移植プログラムの立ち上げであった.1991年北島政樹先生が教授に就任され,教室の研究テーマとして,①低侵襲・個別化手術,②臓器移植,③外科腫瘍学の3本柱を掲げた.1992年藤田保健衛生大学(現藤田医科大学,以下,藤田と略す)にいた私が帰局を命じられ,初代移植班班長に任命された1).肝移植は外科医になり肝胆膵外科を専攻した時から興味を抱いたテーマであり,レジデント時代の指導者である都築俊治先生からも将来肝移植は肝切除とともに肝臓外科の両輪になるべきだと聞かされた2).都築先生の勧めもあり,藤田に赴任する直前の1983年にピッツバーグ大学に短期留学し,スターツル教授らの肝移植を見学したが,自身の経験としてはその程度であった.藤田時代の指導者であった青木春夫教授は慶應における肝移植研究の先駆者であり,肝移植の黎明期である1960年代に生体部分肝移植の理論的妥当性を先見的に指摘し,動物実験の結果を論文にまとめている3).しかし当時の藤田では肝移植の実験を行う環境はなく,肝胆膵手術を任されて日常臨床に没頭していた.1989年に島根医科大学で本邦初の生体肝移植が行われ,翌年には京都大学,信州大学で相次いで実施された時期に突然の招集があり,先輩方との交流の中で肝移植の道に導かれた運命を感じた.
北島教授のProspectとPlanに基づき移植班が組織され,有為な人材が集められ,Preparationが始まった.「基礎研究に立脚した臨床」「数を競うのではなく質を上げる」というスローガンのもと,多くのレジデント,スタッフが虚血再灌流障害の発生機序解明と予防・治療法の開発のため,微小循環,サイトカイン,フリーラジカルなどの基礎研究に従事した.臨床の前段階としてブタを用いた部分肝移植実験を開始し,移植マニュアルの作成,病棟・手術室・ICUのナースとの肝移植勉強会など準備を進めた.医学部倫理委員会の承認,肝移植適応検討委員会の許可,病院内でのチーム編成,関係部署への協力依頼など諸々の手続きを経て,初めてPracticeに至った.
慶應で初めて生体肝移植が行われた1995年はわれわれにとっては記念すべき明るい年であるが,全国的には大惨事の暗い年であった.1月17日に阪神・淡路大震災が発生し,3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が引き起こされ,多数の死傷者が出た.そのような大事件で世間が騒然とし,慶應病院も震災への救護医師団の派遣やサリン中毒患者の受け入れであわただしい中,計画通り4月に生体肝移植が実施された.巷間言われるように1例目は産みの苦しみで,手術は長時間に及び,術後も黄疸が遷延して退院まで3カ月以上を要した.以降,慶應での生体肝移植は,1997年6月に成人例,1998年11月に成人ABO血液型不適合例,2000年2月に遠隔ドミノ肝移植,2005年8月100例と継続的に実施された.更に2007年に教室は北川雄光教授に引き継がれ,2012年11月200例,2018年8月300例が達成され順調に発展している.血液型不適合移植ではわれわれが開発した門注療法を軸とするKEIO protocolがブレイクスルーとなった.その間,2006年9月に生体小腸移植,2013年4月に脳死肝移植が成功裏に実施された.
私の次のプロジェクトは東京医科大学八王子医療センター(以下,HMCと略す)での生体肝移植プログラムの再開であった.HMCでは前チームにより2000年から2007年まで52例の生体肝移植が行われていたが,治療成績について一部の患者遺族からの訴え,更にはメディアからの問題提起があり,プログラムが一旦中止され検証されることになった.2006年に赴任した私は外部委員を中心に構成された検証委員会のメンバー,さらに内部委員のみの院内調査委員会の委員長に任命された.検証・調査の結果,1)慎重な症例選択のため外部専門家を加えた適応委員会の設置,2)適切な手術および周術期管理体制の構築のため移植チームの再編と院内協力体制の確立,3)十分なインフォームド・コンセントの取得のため説明文書,同意書などの全面改訂と繰り返し丁寧な説明を行うこと,などが提言され,移植を再開する場合には学内,院内,患者に対して具体的な改善策を提示してコンセンサスを得る事が必要とされた.そのため,消化器外科・移植外科の統合,肝移植チームの刷新,肝移植マニュアルの改訂,院内勉強会・連絡会の開催などを行って準備を進めた.具体的な移植候補者が紹介された後は,外部委員を含む実施検討委員会の承認,適応決定委員会の承認,大学執行部の承認,厚生労働省への報告,ホームページで移植再開の情報公開という過程を経て,2012年に5年ぶりに生体肝移植が再開された.ゼロからの出発というよりマイナスからの再出発という感が強かったが,私が定年退職した以降も,後任の河地茂行主任教授らによって継続されている.
これらのプロジェクトで冒頭述べた5Pが揃ったのは,指導者,同僚医師,コーディネーター・看護師・薬剤師・ME・栄養士などのメディカルスタッフ,各診療科医師など多くの仲間に恵まれたからに他ならない.これらのメンバーが垣根のない一つの移植チームを作り,そしてこの大きなチームの輪の中心には患者さんがいた.移植医療は病院の総合力が反映される究極のチーム医療であり,このチームワークは他分野の組織運営でも大いに参考になる.
臨床を行う上で重要で,医療人として共有したいキーワードとして,常日頃から職員に発信している以下のTPPPP(1T4P)を後生にも伝えたい.
Teamwork, Patient-first, Professionalism, Pride, Positiveness

 
利益相反:なし

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文献
1) 北島 政樹 :私の医歴書.m3.com医療維新「スペシャル企画」2015 https://www.m3.com/news/iryoishin/552652(アクセス日:2015年9月18日)
2) 都築 俊治 :―外科医の覚え書 ―肝臓外科と共に―.藤原印刷KK, 東京, pp11, 1995.
3) Aoki H , Wang T , Matsumura H , et al.: Partial liver transplantation with primary revascularization in dogs. Preliminary report on new method and its theoretical background. Keio J Med, 16: 205-221, 1967.

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