日外会誌. 122(3): 289-291, 2021
先達に聞く
「愚直の奨め」から「炎症と外科」へ
東京大学名誉教授,公立昭和病院企業長兼院長 上西 紀夫 |
I.愚直の奨め
わたしのモットーの一つに「愚直になれ」があります.外科手術は患者に侵襲を与えます.その侵襲を如何に抑えて目的を達成するのかが外科の基本的な在り方です.その意味で最近の腹腔鏡下や胸腔鏡下手術,さらにはロボット手術の発展は大変な成果の一つです.しかしながら,術後合併症を引き起こせばその成果は激減します.
個人的な印象ですが,出血量も少なく予定よりも短時間で手術を終えた後に生じた合併症が時に厳しいことがある一方で,術中に出血がやや多く止血に時間を要した手術後に,意外に合併症が起きないことを経験しています.それは,後者の場合は丁寧に,まさに「愚直に」止血操作を行い,確認して手術を終えた結果です.医療安全の意味でも重要なことと思います.事故発生に関するハインリッヒの法則は有名ですが,その背景には「愚直さ」に欠け,「まあいいや」という気持ちがベースにあると思います.
この「愚直」に通ずるかと思いますが,教科書に載っていることを鵜呑みにすることは如何かと思います.例えば,何故女性は男性に比べて長寿なのでしょうか,消化器癌の手術後の予後は何故女性の方が成績が良いのでしょうか,敗血症で入院,治療した場合,女性の方が予後が良いのは何故でしょうか,何故女性に自己免疫疾患が多いのでしょうか,など様々な不思議なことがあります.そこで,この男女差について実験を行ったところ,侵襲や炎症に対する反応に差があることが判明しました1).
このように愚直に疑問に思ったことから新たな発見や知見が得られることがあります.このような姿勢は外科に限らず医学,医療の発展につながる可能性があり,それが患者のメリットになります.
II.炎症と発がん
われわれの教室は長年にわたって胃がんの発生,進展,治療について検討を行ってきました.その中で大変ショックであったのがHelicobacter pylori(以下,H.P.)が胃発がんの第一因子であるというWHOの疫学的見地からの報告でした.「炎症と発がん」の関係性については今や常識とも言えますが,当時では胃がんは感染症の結果であるとの指摘は受け入れ難いことでした.そこで,この問題を解決するのは胃がん研究のトップリーダーであるわが国でしか出来ない,また,しなければならないと考え,愛知県がんセンター病理部の立松正衞博士と共同研究を行い,H.P.感染と胃がんとの関係,そして除菌による胃がん発生の抑制を世界で初めて示すことができました2)
3).その後H.P.の除菌が保険収載され,胃がん発生の抑制につながっていることは大変うれしいことです.
このように「炎症」とくに「慢性炎症」により発がんが生ずることにはいくつか例を挙げることができます.永年のアルコール摂取による食道扁平上皮がん,逆流性食道炎によるBarrett 腺がん,ウイルス感染による肝臓がん,腸内細菌叢の変化や潰瘍性大腸炎による大腸がん,などです.また,このような外的な要因だけではなく,何らかの原因による内的なサイトカインの持続的な刺激による発がんも考えられます.従って炎症を抑えることにより発がんの予防,抑制の可能性が広がります.
III.体系化の奨め
以上のように,外科においては「炎症」という現象と密接に関連しています.発がんに関係するのみでなく,術後に合併症を生ずると予後が明らかに不良になることも最近報告されています.
この「炎症」については「急性炎症」と「慢性炎症」とに分けて考えることが重要です.前者においては,侵襲を受けた組織は炎症の大きさに拘わらず短期間であることから元の組織に戻ります.一方,後者においては炎症の大きさよりも持続期間が重要です.炎症の原因である刺激に対して適用すべく組織が変化や分化していきます.すなわち「化生」現象で,うまく適応できなかった場合に「化生」の道からはずれて発がんに至ると考えられます.
このように「炎症」をキーワードとして様々な現象を体系化し,整理していくことは臨床的課題を探索していく上で極めて重要ではないかと思います(図1).
いずれにしても,医療の高度化,複雑化には目覚ましいものがあり患者にとってもメリットが多いこともありますが,外科において上記のような体系化の視点を加味した考え方がやや薄れているのではないか,低侵襲性や簡便性に目が行き技術的な面への傾倒が強まっているのではないか,それがひいては外科への関心の低さに結びついているのではないかと危惧しているところです.魅力のある,刺激溢れる外科の構築,発展を祈っています.
利益相反:なし
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