日外会誌. 124(5): 381, 2023
Editorial
関東大震災から100年─災害対策;机上の空想の罠─
国立病院機構災害医療センター 大友 康裕 |
1923年9月1日に発生した関東大震災によって,10万5,000人の命が失われた.今年は,その関東大震災から100年にあたる.大震災後,国は防災の啓発のために9月1日を「防災の日」と定め,同日を含む1週間を「防災週間」として講演会や防災訓練を実施してきた.また,1959年の伊勢湾台風の災害を受けて災害対策基本法を制定し,防災対策を進めていた.
しかし,1995年にいざ阪神・淡路大震災が起きた際,それまで真剣に進めていたはずの防災対策はほとんど役に立たなかった.1月17日午前5時46分の発災後,定例の経済関係の閣議が粛々と開催され,震災対策関係閣僚会議が設置されたのが10時40分であった.筆者の記憶によると,午前11時に行われた当時の首相の会見ではまだ「死者数20~30人」としか述べていなかった.政府レベルでの情報管理が極めて脆弱であったと言える.
1923~95年の72年間,途中に太平洋戦争があったにせよ,国を挙げて真剣に震災対策を行ってきたはずであるのに,なぜこうなってしまうのか?その原因は,「真面目にやってはいるが,机上・想像の中での対策・計画発案にとどまっているため」と考える.東京都で毎年9月1日に実施されていた「ビッグレスキュー」という大規模防災訓練では,阪神大震災の際に被災地内の病院に患者が殺到したという実態が明らかとなった後も,しばらくの間,公園や学校に医療救護所を設置して最重症患者のトリアージや応急処置を施すという訓練を行っていた.大怪我をした人が,公園に搬送されるはずがないのにである.
また現在都内で実施されている震災机上訓練では,二次医療圏に1カ所設置される医療対策拠点を中心として,圏内での災害派遣医療チームの配分や重症患者転院搬送の調整を行う訓練がなされている.圏内の各区から参加する担当者より,「区に災害拠点病院が1カ所しかなく,想定される患者数を収容することが難しい」という発言を頻繁に聞くが,平時,その区の区民の多くは,他の区の病院を受診しているではないか?「災害発生時,自分の区の中でなんとかしなければならない」という机上の空想に陥ってしまう具体例である.
このような行政・緊急対応機関・医療機関における災害対策の「机上の空想の罠」は,あらゆるレベルで発生する.例えば,地下鉄サリン事件以降経験していない大規模テロへの対応だ.タニケット装着の実技を学び,「テロ対策への準備はできた」とする医療機関が多く存在することも,大阪万国博覧会ほか,国際的イベントが目白押しの中,不安要素である.
内閣感染症危機管理統括庁に関しても気がかりだ.司令塔機能を持つにふさわしいのは,大規模な危機対応のオペレーションを担当できる「危機対応の」専門家だ.しかし,感染症の専門家に危機対応の専門家としての知見を求める,といったちぐはぐなことが起こりかねないのではないかと危惧している.「机上の空想の罠」の典型例にならないことを祈る.
利益相反:なし
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