日外会誌. 124(1): 125-127, 2023
定期学術集会特別企画記録
第122回日本外科学会定期学術集会
特別企画(8)「手術教育のイノベーション」
6.コロナ禍におけるカダバーサージカルトレーニング―第121回日本外科学会の経験―
1) 千葉大学 先端応用外科学 加野 将之1)2) , 鈴木 崇根3) , 大平 学1) , 豊住 武司1) , 遠藤 悟史1) , 磯崎 哲朗1) , 藏田 能裕1) , 中野 明1) , 栃木 透1) , 今西 俊介1) , 早野 康一1) , 村上 健太郎1) , 坂田 治人1) , 宮内 英聡1) , 林 秀樹1)4) , 松原 久裕1) (2022年4月16日受付) |
キーワード
Cadaver Surgical Training, Medical Education, Surgical Skill Education, Fresh Frozen Cadaver, Saturated Salt Solution Method
I.はじめに
現代の高度な手術手技の習得は人体の解剖を詳細に学ぶ必要があり,座学や動物,人工モデルでは不十分であると考えられる.この目的に海外を中心にカダバーサージカルトレーニング(CST)が行われている.CSTは実際の手術アプローチ,手技に沿った形でヒトの解剖学的構造の学習が可能となり,高度な手術をより安全に行いうるに必要な知識を習得できる教育法である.医療安全への社会的な関心の高まりを受け,わが国も2012年に日本外科学会と日本解剖学会が連名で「臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドライン」(2018年改訂)1)2)を発行した.これにより死体解剖資格を有さないわれわれ外科医に解剖やCSTを実施できる法的な整備が整い,さらにガイドライン遵守を現場レベルで徹底するため,「臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドラインに関するQ&A」と「遺体を用いた医療機器研究開発の実施におけるリコメンデーション」3)も追加で発行されている.このように徐々に国内でCSTが普及しつつあるが1)4),医療者がCSTを受ける機会は非常に限られている.
II.千葉大学CALにおけるCSTの実際
千葉大学ではCST専用の解剖施設としてClinical Anatomy Lab.(CAL)が2010年10月に設立され,解剖学教室による遺体の直接管理を除く,手術物品・機器の管理,清掃などの施設の管理,研究,教育企画の運営などが外科系臨床講座により自律的に行われている5).
CSTの企画は,主に以下のように行われる.
1.参加者登録,同意取得
参加者の氏名と勤務先の登録,参加同意書を取得する.2020年からは万一のCOVID-19クラスター発生に迅速に対応するためメールアドレス,電話番号を登録している.
2.手術体位,ドレーピング,物品の準備
実技に先立ち,手術体位,ドレーピング,手術必要器具・物品の準備,配置を行う.ドレーピングは必要な術野以外はすべて覆うようルール化されている.遺体の露出を最小限とし,市民・ご遺族の遺体への敬虔感情をむやみに刺激しないためである.
3.倫理講習(解剖学教室の講師より),手術手技講習
CSTの倫理と法的,社会的背景を基盤としたCSTを行う者としての心構え,注意点を解剖学教室の講師が解説し,参加者全員(スタッフ含む)が聴講する.その後に外科講師による当日の実習に関係する講習を行う.
4.黙祷
5.実技
6.黙祷
7.片付け,清掃
第121回日本外科学会定期学術集会のセッションとしてCSTの企画が行われることとなった.
III.COVID-19パンデミック下における医学教育企画の在り方
COVID-19感染蔓延下における科学的根拠に基づく感染症対策を行う一方,貴重なCSTの機会を多くの外科医と共有し,多くの学びへと繋げることを企画した.人数の制限と距離の確保,体温計測,体調の問診,連絡先登録,環境の消毒を徹底した.
IV.企画・運営の方法
CST施設で行われる手術を学会会場にてライブで供覧,議論を行うことが企画された.流れのなかでの手術手技,その基礎となる解剖学をより多くの外科医で共有し,貴重な学びの機会を共有することが議論された.ライブでの無編集の遺体動画を一般のインターネット回線を用いて放映することは,わが国では時期尚早と判断され,CST施設と放映会場間にてクローズドネットワークを構築した.
一方,撮影,回線,放映のトラブルが起これば,大人数参加のCSTの進行に支障をきたすため,その可能性に備えたバックアップ動画撮影を行うこととなった.
CSTにおける遺体の固定法は新鮮凍結屍体(Fresh Frozen Cadaver=FFC法),Thiel法,SSS(Saturated Salt Solution)法が報告されている6).死因が肺炎であるご遺体が一定数あり,呼吸器系の手術はバイオハザードリスクが高い.そのため殺菌力が期待できるThiel法の遺体を採用し,FFC法によるCSTはそれ以外の領域に限定した.
各々の手術により標準的な進行に基づく手術シナリオが作成され,演者,司会,企画運営側で共有された.万一のトラブル発生に瞬時にライブ映像との切り替えが可能なよう,これに沿った動画編集が行われた.
V.わが国におけるCST
江戸時代から始まったわが国における解剖は,死者を大事に思うことそのものと,市民のその感情に配慮するという二段構成の敬虔感情,双方に配慮することを前提に認められてきた.そのため,解剖者の悪意の有無に関わらず,遺族その他一般市民が不快と感じることそのものが死体への礼意を失っていると判断され,少しの丁寧さを欠く言葉や行為により,大きな社会問題となり社会的制裁を受けるだけでなく,死体損壊罪が適応され法的にも罰せられる可能性がある.
近年,国内外において患者家族,一般市民への敬虔感情への配慮の不足により,社会的問題が発生している.放送によりモザイクなしの臓器を目の当たりにし,医師による臓器を評価する言葉が「遺体を物のように扱った」と感じた遺族は,訴訟で「故人に対する遺族の敬愛・追慕の情は,他者から意に反した刺激を与えられることなく静かに故人を偲ぶ権利で,私的領域に関する人格権として,法律上保護される利益に当たる」と訴えた.敬虔感情への配慮の不足が及ぼす影響の大きさを知ることができる.CSTに参加する外科医は,遺体,臓器を丁寧に扱うだけでなく,少しでも礼節を欠く態度,言葉,振る舞いを厳に慎み,医療者として理想的な態度と言葉遣いをすることが重要である.評価するのは医療者ではなく,それを目にする一般市民,場合によっては悪意の第三者の可能性すらあることを肝に銘じなければならない.
インターネット,SNSの時代は,動画・音声などが流出した場合に,テレビ放送以上の反響が起こる.CST実施過程においてこういった社会的問題が発生した場合,外科教育だけでなく,医学教育全体の極めて重要な基盤である基礎解剖学の危機にも繋がる.
VI.考察
CSTは,実際の手術アプローチと流れ,展開,手技に沿った形でヒトの解剖学的構造の学習が微細構造に至るまで可能となり,高度な手術をより安全に行うのに必要な知識を習得できる.さらにはその貴重な機会を,近年のIoT技術を用いて,情報セキュリティを担保しながらより多くの外科医に共有することも可能となった.また,手術術式により適切な遺体固定法があることも理解しておきたい.加えて,CSTの必要性や効果のみに目を奪われることなく,社会倫理的背景を十分に配慮した議論を今後も継続することが重要と思われる.
VII.おわりに
第121回日本外科学会定期学術集会においてCST企画を行った.人体解剖の詳細について学ぶのは外科医の務めであり,時代と手術法の進歩,IoTなどの技術革新,社会情勢とそれに応じた議論に対する創意工夫が可能であると考える.
利益相反:なし
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