日外会誌. 124(1): 12-17, 2023
特集
独自の進歩を見せる日本の甲状腺癌治療学
2.甲状腺癌の過剰診断・過剰治療とその対策
東京女子医科大学 内分泌外科 吉田 有策 |
キーワード
甲状腺癌, 甲状腺微小乳頭癌, 過剰診断, 過剰治療, 積極的経過観察
I.はじめに
近年,悪性腫瘍に対する治療は大きく進歩し予後は飛躍的に改善している.この要因には,手術,放射線治療,薬物治療による集学的治療が進歩したことのみならず,検診の普及や使用する検査機器の精度向上による早期発見により早期治療が可能になったことが考えられる.患者は早期発見,早期治療を望むであろう.一方で,検診の普及による新たな問題も生じている.過剰検査による癌の過剰な発見(過剰診断)により,本来治療せずとも予後に関わることのない癌を治療してしまうこと(過剰治療)が起き,結果的に患者に害を与えてしまうという新たな悩みを生じさせる.Welchらは,前立腺癌,乳癌,肺癌,甲状腺癌,メラノーマ,神経芽腫,腎癌など多くの癌腫で過剰診断の可能性があることに警鐘を鳴らしている1).このような疫学的な視点で論じる過剰診断と,病理学的な視点から論じる過剰診断は意味合いが異なり,病理学的な過剰診断の言葉の意味は誤診にあたるという意見もある2)
~
4).はたして患者の視点からは,癌の早期発見は過剰診断なのであろうか.おかれる立場で過剰診断のとらえ方は異なるが,患者が不必要な治療である可能性を理解していないままに過剰治療を行うことは避けるべきである.この過剰診断,過剰治療という課題解決にむけてわが国で行われてきた対応について述べる.
II.甲状腺癌の過剰診断・過剰治療
超音波検査は甲状腺診療において今や欠かすことのできない検査機器である.甲状腺結節の診断へ超音波検査を使用した最初の報告はわが国のFujimotoらが1967年に行ったものである5).そしてほぼ同時期である1969年,高橋は臨床的に甲状腺癌を認めていなかった剖検例の甲状腺を検索し,320例のうち9.7%が甲状腺乳頭癌を有していたことを報告した6).超音波検査が普及し,その精度が向上するほどに,臨床的に甲状腺乳頭癌と診断される患者が増えていくことは今考えると当然の結果である.1994年には武部らは成人女性を対象として超音波検査と細胞診検査を積極的に行った結果,3.5%の被験者が甲状腺乳頭癌と診断されたことを報告した7).図1にわが国の甲状腺癌の年齢調整罹患率と年齢調整死亡率を示す.疫学データは国立がん研究センターのがん情報サービス(http://ganjoho.jp/public/index.html)に公開されているデータを使用し,年齢調整指標は1985年のモデル人口を基準人口としている.わが国では甲状腺結節に対する超音波検査の報告後,甲状腺癌の年間調整罹患率は1975年の1.8から2018年には11.2と6.2倍に増加しているが,死亡率の低下はごく僅かである.このような背景から,様々な推論はあるものの,近年増加した乳頭癌のほとんどは寿命に関係しない小さな乳頭癌を検査によってみつけている,つまり過剰診断している可能性があると考えられている.
海外に目を向けると,やはり同時期に甲状腺癌の増加が報告されている.米国の疾患データベースを用いた研究報告がされており,それによれば人口10万人あたりの年間調整罹患率が1973年の3.6から2002年には8.7と2.4倍に増加していた.その増加のほとんどは甲状腺乳頭癌であり,人口10万人あたりの年間調整罹患率は1973年の2.7から2002年には7.7と2.4倍に増加していた.1988年以降の腫瘍径が記録されているデータに限れば増加した腫瘍の腫瘍径は49%が10mm未満,87%が20mm未満と,そのほとんどが小さな乳頭癌であり,甲状腺癌による死亡率は変化していなかった8).同様に世界各国から小さな乳頭癌の増加に関する報告がなされ,過剰診断,過剰治療が課題となっていった.
III.過剰診断の対策としての微小癌に対する積極的経過観察
世界各国で微小乳頭癌の増加に注目が集まる中,わが国の隈病院,がん研有明病院の内分泌外科医はすでに甲状腺微小乳頭癌(腫瘍径1cm以下の乳頭癌)に対して手術を行わず経過観察する管理方針(積極的経過観察)の前向き観察研究を開始していた.隈病院からの報告では,1993年から2001年に診断に至った甲状腺微小乳頭癌患者に平均46.5カ月の間,積極的経過観察を行い,70%以上の症例で増大を認めなかった9).また,がん研有明病院では1995年から積極的経過観察を導入し,1999年までの観察で,81.2%の病巣が腫瘍径の増大を認めなかったことを報告した10).いずれも現在の積極的経過観察の適応や,病状進行の判定基準とは異なる研究であるものの,甲状腺微小乳頭癌に手術を行わずに経過観察を行うことを選択肢とするには足りるエビデンスであった.当時,これらのエビデンスを国内および国際学会で報告した際には議論があり,理解を得るのに大変苦労したと聞いている.癌に手術を行わないということは,当時の常識を覆す選択肢であり,情報を発信し続けた先人達には頭が下がるばかりである.その結果,2010年発行の日本内分泌外科学会・日本甲状腺外科学会による甲状腺腫瘍診療ガイドラインにおいて,転移や浸潤の徴候がない微小乳頭癌(低リスク微小乳頭癌)の管理方針として積極的経過観察の選択肢が示された.世界に先駆けて甲状腺癌に対して手術以外の選択肢を提示したガイドラインであり11),「癌に対する治療=手術」という極めて一般的な考え方に反する方針であったが,エビデンスの蓄積に伴い2015年には米国甲状腺学会による成人の甲状腺腫瘍取り扱いガイドライン12)においても積極的経過観察が容認された.そして現在では,低リスク微小乳頭癌に対して積極的経過観察を行った場合に,腫瘍が進行(腫瘍径が3mm以上増大,リンパ節転移が出現)する頻度が約10%と低いこと,たとえそうなってから手術を行っても重大な再発や癌死をきたした症例がないこと,経過観察中に遠隔転移が出現した症例や癌死した症例が皆無であること,などのエビデンスが示されており13)14),甲状腺腫瘍診療ガイドライン2018では「患者が十分な説明を受けたうえで非手術経過観察を希望する場合には,適切な診療体制のもとで行うことを推奨する」と記載され,低リスク微小乳頭癌の管理方針の一つとして積極的経過観察を推奨している15).
IV.積極的経過観察の普及に向けた学会としての取り組み
積極的経過観察は,病気の進行のリスクといった腫瘍学的アウトカムをみれば安全な管理方針であるが,癌に対して手術を行わない管理方針を選択するにあたり,その適応と方法に不安を覚えることは想定され,安全な実施と普及が課題であった.日本内分泌外科学会,甲状腺微小癌取り扱い班は,各施設が低リスク微小癌をどのように取り扱っているか,日本内分泌外科学会・日本甲状腺外科学会会員を対象としたアンケート調査を2018年に行い,計134施設からの回答がえられた16).結果「低リスク微小乳頭癌と診断された場合に,即時手術を勧める」と回答したのは1施設のみで,「手術と積極的経過観察の両方の選択肢を提示するが,医師の判断として手術を第一選択として勧める」が26.1%,「医師の判断は一切はさまない」が38.8%,「積極的経過観察を第一選択として勧める」が31.3%であり,わが国における積極的経過観察の普及が確認された.アンケート結果で,低リスク微小乳頭癌に手術を勧める要件としては,腫瘍の局在が背側被膜に近い(98施設),微小癌の多発(91施設),腫瘍径が1cmに近い(45施設),家族歴がある(25施設),妊娠希望(24施設),40歳以下(20施設),60歳以上(13施設),などがあげられ積極的経過観察の適応基準が確立しているわけではなかった.この結果から,積極的経過観察の安全で安心なさらなる普及のためには,積極的経過観察を実施する具体的な指針の作成,一般医家および国民への啓発が必要であると考えられた.
日本甲状腺学会では,成人における低リスク微小乳頭癌の取り扱い方法について,国民に向けて積極的経過観察の根拠と成績を示すとともに,一般医家の啓発を図る目的で「成人の低リスク甲状腺微小乳頭癌(cT1aN0M0)の取り扱いについてのポジション・ペーパー」を制作することとし,2018年8月,臨床重要課題として取り上げた17).一方,2019年5月に日本内分泌外科学会では,甲状腺微小癌取り扱い委員会を立ち上げ,積極的経過観察を施行する医師を対象に,具体的な積極的経過観察の適応と方法を提示するため「成人の甲状腺低リスク微小乳頭癌cT1aN0M0に対する積極的経過観察の適応と方法:日本内分泌外科学会 甲状腺微小癌取扱い委員会による提言」としてコンセンサス・ステートメントを制作した18)19).これらの委員会の委員は内科医,外科医,耳鼻咽喉科医,病理医,基礎研究者から構成されており,領域横断的に協力してエビデンスを集積し成果物を作成した.いずれも各学会ホームページで閲覧可能であり参照されたい(コンセンサス・ステートメント「http://jaes.umin.jp/pdf/news2020033101.pdf」,ポシション・ペーパー「http://www.japanthyroid.jp/doctor/img/p_20210514.pdf」).
V.積極的経過観察の今後の課題
日本甲状腺学会からのポジション・ペーパー,日本内分泌外科学会からのコンセンサス・ステートメントは,積極的経過観察に関する現時点でのエビデンスを集約しており,これを作成することで,いまだエビデンスが不十分である今後の課題が表出してきた.
日本内分泌外科学会甲状腺微小乳頭癌取り扱い委員会では具体的な課題として,海外では微小癌の治療選択肢になっているRFA(radiofrequency ablation)治療は適応となるのか,T1b(11~20mm)の乳頭癌への積極的経過観察の適応拡大は可能であるか,20歳未満の患者へ積極的経過観察は適応となるか,積極的経過観察を行った際に未分化転化などの不都合事象は本当に発生しないのか,医療経済的に手術と積極的経過観察はどちらがすぐれるのか,積極的経過観察中はTSH抑制療法の併用が好ましいのか,進行を予測する分子マーカーは確立できないか,患者説明ツールの作成によりshared-decision makingの質を向上できないか,長期的な患者視点の健康状態からは手術と積極的経過観察はどちらがよいか,などをあげており,これらの課題解決を目標に学会主導の研究でエビデンスを創出する計画を進めている.その結果,より多くの医療機関で安全な積極的経過観察が可能となり,患者も医療者も満足できる意思決定ができるようになることを望む.
VI.おわりに
わが国の内分泌外科医が中心となって行ってきた,甲状腺癌の過剰診断・過剰治療に対する対策について述べた.冒頭にも述べたが,過剰診断のとらえ方はおかれる立場で異なる.その中で,過剰診断は防げなくとも,過剰治療を減らすことを目的に行ってきた積極的経過観察という対策は,腫瘍学的アウトカムは良好であることはもちろん,患者が不必要な治療である可能性を理解していないままに手術を受ける機会を減らした素晴らしい成果である.今後,様々な癌腫においても過剰治療への対策として取り入れられていくことになるかもしれない.その一方,積極的経過観察は癌に手術を行わない管理方針であり,おかれる立場でとらえ方が異なることを理解して診療にあたる必要がある.
利益相反:なし
PDFを閲覧するためには Adobe Reader が必要です。