日外会誌. 123(6): 574-575, 2022
会員のための企画
医療訴訟事例から学ぶ(129)
―リンパ節生検時の副神経損傷に関し説明義務違反が認められた事例―
1) 順天堂大学病院 管理学 岩井 完1)2) , 山本 宗孝1) , 浅田 眞弓1)3) , 梶谷 篤1)4) , 川﨑 志保理1) , 小林 弘幸1) |
キーワード
頚部リンパ節生検, 副神経, 合併症, 説明義務
【本事例から得られる教訓】
手術に関する説明同意文書をもう一度見直したい.執刀医が認識している合併症は記載されているだろうか.記載がない際には加筆し更新すべきである.
1.本事例の概要(注1)
今回は,説明義務に関する事例である.説明義務に関する事例はこれまで幾つも紹介しているが,今回は,説明義務の有無が鑑定で決せられた等の特徴もあり,外科医の参考になると思われ紹介する次第である(なお,本事例は争点が多岐にわたっているため,以下の時系列は説明義務に関するものを中心に記載している).
患者(女性・事故当時63歳位・脳出血により片麻痺の既往あり)は,平成6年1月26日,本件病院(以下,「病院」)の耳鼻咽喉科において,右頚部リンパ節に腫脹がある旨の指摘を受け,CT検査の結果,異常所見なしと診断された.
平成6年3月1日,同腫脹部分に1.8cm×1.0cmの腫瘤が確認され,患者はリンパ節生検を希望したが,その後患者が通院しなくなり,同生検は実施されなかった.
平成8年7月10日から平成19年3月20日にかけ,患者は約12回病院を受診したが,格別の処置が必要との指摘はされなかった.
平成19年5月8日,担当医は患者に対し,同リンパ節が悪性腫瘍か否かの鑑別には生検が必要である旨を説明し,平成19年6月11日に生検が予定された.
平成19年6月5日,担当医は患者に対し,本件生検に関する術前の説明を行った.担当医は,出血,腫脹,違和感のリスクは具体的に説明したものの,副神経損傷による麻痺の可能性があることに関しては具体的な指摘はなく,合併症の可能性があるという抽象的な文言の説明にとどまった.
平成19年6月11日,リンパ節生検を実施したところ,患者は,生検直後から,右上肢の挙上が困難になるなどした.その後,患者は,本件生検により右肩関節の可動域が自動屈曲60度程度,自動外転60度程度に制限されるに至った(裁判所の認定より).
なお,生検の病理検査の結果では,明らかな悪性所見は認められなかった.
2.本件の争点
本稿では説明義務違反の有無の争点に絞って説明する.
3.裁判所の判断
本件では,医師の意見書が提出され,また,専門委員(注2)が関与し,鑑定人医師による鑑定も実施された.
【鑑定人等の医師らの見解】
C医師(患者側協力医と思われる)は,副神経損傷の可能性は当然説明すべきと述べた.
鑑定人D医師は,本件生検の施術痕の付近は,副神経僧帽筋枝の損傷の可能性がある部位であるから,その付近についてリンパ節生検を実施する場合には,術後の血腫,創部の痺れ,創部の傷痕,副神経麻痺を来す可能性を説明するのが通常と述べた.
鑑定人E医師は,同医師が担当する診療科においては,頚部リンパ節生検の同意を得る際,患者に対し,術後合併症として副神経損傷の危険性を説明していると述べた.
専門委員のF医師は,同医師の所属する医療機関の頚部リンパ節生検の術前説明の同意文書に,副神経損傷について記載がなかった旨を説明した.
病院のA医師・B医師らは,合併症の可能性があるという包括的な説明により,副神経損傷のリスクについては説明がつくされていると述べた.
【裁判所の認定】
裁判所は,鑑定人の意見を採用し,副神経損傷は,リンパ節生検により生ずる確率が高くないとしても,生じた場合には,麻痺等の軽微にとどまらない後遺症を来すおそれがあるため,リンパ節生検の実施に先立ち,副神経損傷の可能性を指摘して説明をすべきことが医療水準であるとし,本件ではそうした説明がないため説明義務違反があるとした(注3).
一方,裁判所は,患者は長年にわたりリンパ節の腫瘤を強く気に掛けており,本件生検による正確な鑑別診断を強く望んでいたことが窺われると述べ,仮に担当医から適切な説明があったとしても,患者は本件生検を受ける選択をしたものと推認されるとした(つまり,説明義務違反と患者の現在の症状の間の因果関係を否定した).そして,担当医の説明義務違反が,患者の意思決定の自由に及ぼした影響はそれほど大きいとは言えないとも述べた.
しかし,患者が事前説明を受け副神経損傷等の可能性を認識した上で,当該症状が発症した場合に比べると,事前説明を受けずに当該症状が発症した場合には,事前に予想していなかった症状が発症することで精神的苦痛が生じるとして,慰謝料70万円を認めた.
4.本事例から学ぶべき点
本件では,事故から少なくとも6年以上は経過した後の鑑定人の意見によって,術前の説明義務の有無が決せられている(事故は平成19年,訴訟提起は平成25年).その判断の当否の詳細は本稿では立ち入らないが,周知の通り,鑑定人の意見は様々で,常に正しい医学的知見が述べられるとは限らない.鑑定人の意見で説明義務の有無が左右されるとなると,事故時点における術前説明において,医師側に不安が生じる可能性もある.
また,裁判所は,因果関係を否定し,さらに,説明義務違反が患者の意思決定に及ぼした影響は大きくないと述べ,自己決定権の侵害も認められないかのような記載をしている(※判決で自己決定権の明示はないため筆者の私見).しかしながら,同じ合併症が生じた場合でも,事前にその可能性の説明を受けた場合と受けていない場合では精神的苦痛に差がある旨を述べ,慰謝料を認定している.個人的には医療機関側に厳しい判決の感がある.
しかし,日々患者と向き合う外科医が委縮するわけにはいかず,ただ本件のような判決が出た以上,合併症等の説明につき見直す必要があろう.執刀医の経験や症例報告等により,軽微でない合併症の可能性を認識しているにも拘わらず,術前の説明同意文書に記載がない場合には,加筆しておくべきだろう.
利益相反:なし
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