日外会誌. 123(4): 339-345, 2022
特集
医療訴訟のここがポイント―外科医にとって今必要な知識―
7.医療事故調査制度と医療訴訟
1) 順天堂大学 医学部心臓血管外科学講座 川﨑 志保理1)2) , 小林 弘幸2) |
キーワード
医療事故調査制度, 医療訴訟, 医療安全, 病理解剖, 院内調査
I.はじめに
医療事故調査制度が発足して,特定機能病院や基幹病院だけでなく,一般の診療所や助産所もある条件下に死亡した患者の指定機関への届け出が法律的に義務付けられた.外科手術において一度事故が生じた場合には,患者に重大な不具合が生ずることは容易に予想され,さらに死亡した場合には医療事故調査制度に関わると同時に医療訴訟に発展することもある,まずは真摯に患者のご遺族と向き合うことが第一であることは言うまでもないが,事故を医学的に検証・分析して再発予防の構築も責務である.予期せぬ死亡として法に従い医療事故調査制度として届け出た場合でも,できれば医療訴訟は回避したいと誰しもが思うところではある.たとえ医療訴訟裁判となっても純粋に医学的な審議ができる環境づくりが推奨される.これらを踏まえ医療訴訟からみた医療事故調査制度に基づく医療側の対応につき解説していく.
II.医療事故調査制度の発足と東京都医師会の支援
厚生労働省は,平成27年(2015年)10月1日より「医療に係る予期しない死亡」に対して,医療事故調査・支援センターへの報告義務を法制化したことは周知の事実であろう1).その際,医療事故が起きた医療機関をサポートする目的で同省より認定された医療事故調査等支援団体(以下,支援団体)に対し,「医療事故調査を行うために必要な支援を求めるものとする」としている.
その支援団体の一つである東京都医師会は,全国のモデルケースになるべく,都医師会の院内調査委員会ワーキンググループを法施行の約2年前から立ち上げ,同省が支援として期待する①医療事故調査・支援センターに報告すべき医療事故かを判断するための助言 ②院内事故調査の手法(病理解剖,Ai(Autopsy Imaging:死亡時画像診断))・報告書作成の助言 ③院内事故調査に必要な専門家の派遣―などを筆者がグループ長に赴任して検討を重ねてきた.その対応として図1に示すように2015年6月より24時間365日対応する“よろず相談”窓口をすでに設置,電話番号も公表して稼働させてきた.よろず相談窓口ではその死亡が医師法21条として届け出る必要がある異状死体なのか,事故調査制度に係る医療にかかわる予期しない死亡なのか,はたまた病気の進行による病死なのか判断の支援も行っており,その結果によっては病理解剖やAi施設の紹介,報告書の作成支援,専門家としての外部委員派遣の斡旋など現場の職員には有用でありかつ好評である.
III.医療事故調査制度と外科症例
医療事故調査制度の年報が医療事故調査・支援センターより報告されている.図2に2020年の同年報における平成27年(2015年)10月から令和2年(2020年)12月の医療事故調査・支援センターへの報告における診療科別事故報告件数とその割合の年次統計を示した2).期間中に1,931件の報告がなされており外科系が半数強の52%であり,全国的には外科系・内科系の差はあまりみられない.日本外科学会に関与する外科,心臓血管外科,その他の外科系の一部に関していえば,全体の約1/3を占めており,外科的医療行為が医療事故調査制度からみればやはりハイリスクであることは統計結果が示しているといえよう.
また,医療事故調査・支援センターのホームページで,「再発防止に向けた提言」が公開されており,令和3年(2021年)12月の段階で過去に死亡事例があった13行為の分析がなされている3).ここで紹介されている事例はすべて医療事故調査・支援センターに報告があった事例とのことである.内容としては,事例の概要と再発予防に向けた提言が紹介されているが,中心静脈穿刺合併症に係る死亡の分析(2017年3月),急性肺血栓塞栓症に係る死亡事例の分析(2017年8月),腹腔鏡下胆嚢摘出術に係る死亡事例の分析(2018年9月),栄養剤投与目的に行われた胃管挿入に係る死亡事例の分析(2018年9月),大腸内視鏡検査等の前処置に係る死亡事例の分析(2020年3月),肝生検に係る死亡事例の分析(2020年3月),胃瘻造設・カテーテル交換に係る死亡事例の分析(2021年3月)に示すように13行為のうち7行為が外科に関与している.
IV.手術室における医療安全
医療事故調査制度の対象になる「提供した医療にかかわる予期しない死亡」は初回の予防は困難であることが多く,再発予防すら叶わない事例を筆者は外部委員として複数の施設で経験している.医療事故調査制度事例イコール医療訴訟というわけではなく,医療訴訟は医療安全の順守により回避していく別個の事案と考える.
手術室に特化した医療安全は,多くが全身麻酔下での治療であるため,患者が無意識であることが特徴であり,患者取り違え,左右の誤認,アプローチの誤認が起こりうる.さらに,外科医側と麻酔側との視野が必ずしも同一であるとは限らずむしろ別々と考えた方がよく,それに因をなす情報共有不足が起こりうる.また,外科手術,麻酔,処置時の鎮静,血液および血液製剤の使用,ならびにその他のハイリスク治療および処置の前に,インフォームドコンセントの入手は必須であり,規定された方法でぜひ行ってほしい.ここでは患者が無意識であるが故のリスクと外科医-麻酔医間の情報共有,インフォームドコンセントについて言及したいと思う.
1.マーキング・タイムアウト
マーキングもタイムアウトも患者誤認と手術部位誤認を予防する重要な行為である.著者の施設は2022年に国際認証(JCI:Joint Commission International)を更新しているが,このマーキング・タイムアウトはその中の最も重要な国際患者安全目標(IPSG:International Patient Safety Goal)に含まれる重要な指標の一つでもある4).マーキングとは患者が手術の説明を受けてインフォームドコンセントを入手した後に,患者が覚醒している状態で説明を受けた手術部位(主に左右の部位)に対してマークを付ける行為である.これは患者が手術部位を言及してそれが説明した部位と一致している事を確認後に術者(術者になり得る者も含む)がマーキングすることにより手術部位の左右誤認を予防するという行為である.タイムアウトは手術チームメンバー全員の参加を得て処置の開始直前に行われる.タイムアウトの最中は手術チームのメンバーにより,患者識別,予定術式,外科的処置の部位が確認され共有される.タイムアウトは手術が行われる場所で実施される.マーキング・タイムアウトもその方法をポリシーとして明文化してそれを遵守すると同時に決まったフォーマットとしてカルテ上に残すことが重要である.
2.術中ブリーフィング(ハドル)
術中ブリーフィングとは手術室で術中の患者の異変や方針の変更,診断の違いなどに対してそれらの情報を術場にいるすべてのスタッフ間で共有する行為である.術中ハドルと呼称するところもある.術視野は術者や第1助手にしか見えないことも多く,麻酔科や術場の看護師,臨床工学技士が手術の進行状況を把握できないことがある.逆に術者は術視野に集中していて患者のバイタルが不安定であることに気づかないこともある.それぞれ状況によっては避けられないことであるが,はじめに患者の異変や診断の違いに気付いたスタッフがその旨を術場の全てのスタッフに伝え,出来れば全員が手を止めてその情報を共有することが非常に重要である.筆者の施設でも麻酔科医がなぜ血圧が不安定なのか訝しがって麻酔が深すぎていないかなど確認していたところ,実は麻酔科医から見えない部分から出血しておりそれを外科医がその旨を告げずに止血操作をしていたという事例があった.幸い大事には至らなかったが,まさに術中ブリーフィングを行っていればより早期に対応が出来た事例でもあった.
3.インフォームドコンセント
確実な患者のインフォームドコンセントの入手は,病院の定義したプロセスに従って患者の理解できる方法と言語で行うこととしている5).インフォームドコンセントの入手の前に説明する内容の要素として,a)患者の状態,b)提案される治療または処置,c)治療を行う者の氏名,d)潜在的な利点と欠点,e)可能な代替案,f)成功する可能性,g)回復に関連して考えられる問題,h)治療をしなかった場合に考えられる結果のa)~h)のすべての情報を提供して,その内容を記録することが推奨される5)6).これらを遵守することにより術後の合併症など患者の不具合が生じた際に「このようなことが起こりうる話は事前に聞いていない」,「このようなことが起こりうるのであれば,今回の手術は受けなかった」のような言動を受けることも少なくなることが期待され,医療訴訟に発展することへの回避が期待できる.
V.医療訴訟からみた医療事故調査制度
ここでは,外科系の医療行為のうち,医療事故調査制度として医療事故調査・支援センターに報告してかつ医療訴訟になったあるいは訴訟が予期される場合の医療側の対応につき解説する.
複数の判例検索データベースを調査した結果「外科系の症例で医療事故調査・支援センターに報告した事例で医療訴訟になった」ことが確認できる事例は公開されていない.
外科系に限らない場合でも「医療事故調査・支援センターに報告した事例で医療訴訟になった」ことを確認ができた事例は,令和3年2月17日判決(京都地裁:抗菌薬投与に関する判断)7)のみであった.医療事故調査・支援センターに確認したが,報告された事例のうちどの事例が訴訟になったかについては公開されていないとのことであった.一方,前述の東京都医師会が東京都医師会支援実施医療機関に2018年に独自にアンケート調査を行った結果を表1に示した.医療事故調査・支援センターに報告した事例のうち約21%が訴訟(5.3%)または訴訟の可能性あり(15.8%)と回答している.ここからは推察となるが,医療事故調査・支援センターに報告がなされた事例の多くは事案の性質上,訴訟外の示談による解決がなされていると思われ,医療事故調査制度が開始されて10年に満たない現時点では裁判例の蓄積に至っていないものと考えている.
医療訴訟,示談にかかわらず医療側の対応としては院内調査が重要である.ここでいう院内調査は,医療事故が発生した医療機関において院内調査を行い,その調査報告を民間の第三者機関(医療事故調査・支援センター)が収集・分析することで再発防止につなげるための医療事故に係る調査の仕組み等を,医療法に位置づけ,医療の安全を確保する目的で行われる調査を指す1).院内調査における留意点を表2に示したが,院内調査は医療事故の究明のために行うこと,すなわち目的としては死因の特定,事故発生の原因の究明,再発防止策が重要である.この中でも死因の特定が最も重要であり院内調査の第一歩でもある.そこには病理解剖の実施は欠かせない.図3に2020年の同年報における平成27年(2015年)10月から令和2年(2020年)12月の医療事故調査・支援センターへの届け出における解剖実施件数とその割合の年次統計を示した8).解剖実施率は38%にとどまっており死因の究明のためには病理解剖は積極的に実施することが望ましいと思われる.日本医療安全調査機構からは,病理解剖の必要性をご遺族への説明の際に用いてほしいということで,「ご遺族(ご家族)の皆様へ 病理解剖について」が作成されホームページに公開されている9).ご遺族への説明時に配慮しつつ病理解剖をご了承いただくために利用していただきたい.
外部委員の派遣について,法律上は外部委員を含む院内調査を要求はされていないが法律の制定経緯からしてほぼ必須のものと考えられている.選任には専門性・中立性に配慮し,支援団体から斡旋してもらいかつ2名以上が望ましいと考える.院内調査の際には「次に同種事例が発生した場合,救命可能か」,「外部委員の医療機関であれば同種事例で事故が発生していたと思うか」の二つのポイントに留意することにより,外部委員の施設や技量に偏った議論に進まずに医学的に一般的な調査結果が得られると期待できる.
VI.おわりに
これまで述べてきたように,医療安全はインシデントを分析して再発予防を行うことから始まり多くの施設で到達されていると思われる.しかし医療安全は医療者,医療施設と患者との信頼関係の構築に他ならない.どんなに医療安全文化をガバナンスして取り入れても,それぞれの信頼関係のもとに成立するという原点に立ち返る必要がある.医療事故調査制度もこのコンセプトをもとに制定されており,検証した結果をまずはご遺族へご遺族が望む方法で報告するように定められている.それらをもとにご遺族のご理解が得られればそれに越したことはないが,万が一医療訴訟へ発展してしまったとしても,医療事故調査制度が推奨している院内調査を粛々と進めることが重要であり,純粋に医学的な自然科学的な検証をもって対応していくことが再発予防に重点を置いた論議を展開していくためにも必要かつ十分と思う次第である.
本稿の執筆にあたりデータベースや判決文を提供していただいた淺野陽介先生(諏訪・淺野法律事務所)に感謝の意を表します.
利益相反:なし
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