[書誌情報] [全文HTML] [全文PDF] (600KB) [全文PDFのみ会員限定]

日外会誌. 123(4): 297-298, 2022

項目選択

先達に聞く

技術指導とパワーハラスメント

日本外科学会名誉会員,地方独立行政法人埼玉県立病院機構理事長,東京大学名誉教授 

岩中 督



<< 前の論文へ次の論文へ >>

I.はじめに
現役の外科医をリタイアし,複数の病院の統括を担当して5年になるが,最近増えつつあるパワーハラスメント(以下,パワハラ)に頭を悩ませている.パワハラという概念が普遍化し一般に広く普及したことも増加の理由の一つと思うが,指導者の力量の低下や研修者の捉え方・感受性も関係しているのではと思う.外科領域に限らず,院内のいたる場所,いたる部門で生じており,心を痛めた結果診療現場から離脱する職員も珍しいことではない.

II.自身の経験談
私自身が外科の研修を受けていた頃,40年ほど昔のことだが,外科技術の指導は徒弟制度,いわゆる「お師匠さんから弟子へ技術を継承する仕組み」の上下関係の中で厳しく指導を受けるのが当たり前であった.私自身はその仕組みに何らの不満も違和感もなく,早く一人前の外科医になりたくて,無我夢中で修練した.その後20年近くたち,自身が診療科を任せていただけるようになってからは,自分が学んできた方法に何ら異論を感じず,時には厳しく,手術中の叱責も含め今でいうところの不適切な指導も行っていた.ただ後輩たちは一心不乱に研修し,少なくとも心を痛めて離脱したものはいなかったと思う.どこが違うのか?あらためて反省も込めて考える毎日である.
私自身が執刀していたときは,仮に助手をしている後輩の手際が悪くても,厳しく叱責することは少なかったと思う.厳しかったのは,手術の全責任を持つ立場で第一助手を担当し,若手外科医が経験の少ない未熟な手術を執刀するときであった.ウェットラボなどで指導している時は,どんなにまずい手技を見せられても,苦笑いしながらやさしく対応できていたことから,患者に対する責任の重さが自身の緊張感を高め,結果的に指導に余裕がなくなっていたのかなと今は思っている.またどのような事態になってもトラブルシューティングできるという自信があれば,指導の仕方も変わっていたかもしれない.

III.パワーハラスメントの実態
私が所属している組織では,増加傾向にあるパワハラ事案,ならびにパワハラの結果としての職員の適応障害・病気休職などの事案の一義的な責任者はもちろん病院長である.一方で,すべての常勤医師や看護師は管理者たる理事長の任命であることより,いわゆるパワハラに相当する不適切事案は,各病院の労務・職員担当者から病院長を経て私のところへ届けられ,その後審査を経て処分が行われる.パワハラが発生しやすい部署は,専門家としての技術が要求される領域,外科系領域以外でも内視鏡領域や循環器領域など,難易度の高い技術の承継が行われている部門で多く発生している.つい最近も,後輩を心の病に追い込んだ上司を戒告処分にしたところ,結果的にその上司は自主退職した.ここまで追い込むことなく,もっと早く適切な対応ができなかったか反省しているが,いまだに適切な解決法はみつけることができていない.
2020年6月1日より,改正労働施策総合推進法が施行された1).この法律は職場内のパワハラを防止する規定が盛り込まれていることから,いわゆるパワハラ防止法とも呼ばれている.パワハラは,①優越的な関係を背景とした,②業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により,③労働者の就業関係を害すること,という3要素を全て満たすものとされている2).パワハラはセクシャルハラスメントと異なり,訴えられたら即ハラスメント扱いされるものではない.業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導についてはパワハラに該当しないため,厳しい指導や叱責などの圧力のある発言が,指導の範囲内であるかどうか,の客観的な判断が必要である.また,すべての業務指示・指導を控えれば,適正な業務の遂行のみならず後進の育成ができないことは明らかである.前述のこれら3要素を外科手術中の技術指導に当てはめてみると,声を荒げて「バカ,何をやっているんだ!」「へたくそ!」などの𠮟責や,手の甲をたたいたり足蹴にしたりするなどの行為などはパワハラに該当する.またそのようなことが繰り返された結果,若手外科医が身体的・精神的苦痛のために適応障害などを発症し,休職したり外科医を続けられなくなった場合などは当然厳しい処分の対象になる.なお手術中の的確な指導はもちろんパワハラには相当しないので,そのあたりの境界をどのように考えるか,後輩がどのように受け止めているか,などが非常に重要と考えている.

IV.パワハラ防止に向けて
私自身からは,どのようなパワハラであっても防止できる確実な具体的方策をお示しできないが,「虐待の負の連鎖」「『いじめられっ子』は,その後『いじめっ子』に変貌しやすい」という視点から考えると,「職場で先輩からされた指導を同じように後輩にする」という「関係性の質の連鎖」を断ち切ることが,これからのパワハラ防止には最も効果的ではないか,また厳しい指導をしてもその直後の暖かいフォローアップが重要ではないか,と考える.すなわち優しくクールなこれからの指導者の育成には,圧力をかけずに研修者を育てる現指導者の懐の深さとコミュニケーション力が不可欠と考える.コミュニケーションが下手でちょっと不器用な研修者にも,相手に合わせた丁寧な指導を根気よく続けることができるのか,できたとすれば本当にこれで優秀な外科医が育つのか,私自身は確証が持てず少々悩んでいるところである.ぜひ諸先輩のご意見や経験談を賜りたい.
一方で即効性を期待し,埼玉県立病院機構では「明るい職場づくりキャンペーン」を展開し,パワハラ予防に努めている.職員のコミュニケーション力を高め,情報収集をこまめに行い,軽めの注意を繰り返し行ってパワハラの芽を早く摘んでしまうことも現実的には重要と考えている.職員誰もが,パワハラもどきの事案に接したときに,胸のポケットから黄色い紙を取り出し,「それイエローカードですよ」といえるような文化を作りたいものである.

 
利益相反:なし

このページのトップへ戻る


文献
1) 厚生労働省ホームページ.厚生労働省告示第5号.2022年1月20日. https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000584512.pdf
2) 厚生労働省ホームページ.パワハラ防止指針.2022年1月20日. https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000605661.pdf

このページのトップへ戻る


PDFを閲覧するためには Adobe Reader が必要です。