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日外会誌. 123(1): 68-69, 2022

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医療訴訟事例から学ぶ(124)

―歯科治療中の局所麻酔(オーラ注)で4歳児が死亡した事例―

1) 順天堂大学病院 管理学
2) 弁護士法人岩井法律事務所 
3) 丸ビルあおい法律事務所 
4) 梶谷綜合法律事務所 

岩井 完1)2) , 山本 宗孝1) , 浅田 眞弓1)3) , 梶谷 篤1)4) , 川﨑 志保理1) , 小林 弘幸1)



キーワード
歯科用局所麻酔剤, オーラ注, アナフィラキシーショック, バイタルサイン

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【本事例から得られる教訓】
日常的に用いる局所麻酔剤でも死亡事例は起こり得る.「まさか」が自分自身の診療において現実になり得ることを,医師は常に念頭に置き診療に当たりたい.

 
1.本事例の概要(注1)
今回は,歯科事例である.10回前の連載でも歯科事例を紹介させて頂いているが(注2),歯科医療訴訟の件数は,内科,外科についで多くなっており(注3),本件のような重篤な症状に至る事例では,救急搬送等により外科医が関与する場合もあり得るため,関心も高いと思われることから紹介する次第である.
患児(当時4歳・判決からは性別不詳)は,平成14年5月14日から本件歯科医院を受診し,平成14年6月15日の16:20頃,右下顎第2乳臼歯の治療を行った.
診察室に入室した際の患児は,少し泣いている様子で,担当医の指示で歯科助手が患児の体の下にタオルケットを敷き,その両端を左右から患児の上に掛けて患児の体をくるんだ.
タオルケットにくるまれた患児は,診療を嫌がるように首を揺すってむずがる様子を見せており,母親は(注4),担当医から指示を受け,患児の診療中,患児の足下の方から患児の体を押さえていた.
16:25頃,担当医は患児に対し,オーラ注1.0mgのうちごく少量を注射し,約30秒後,患児に異常な徴候が生じないことを確認し,さらに残量を注射した.
16:26頃,担当医はなかなかラバーダム(注5)を装着することができず,16:33頃にようやく患児にラバーダムを装着し治療を開始した.
患児は,歯髄除去が行われる16:38頃には泣きやんだ.同時刻ころ,担当医は,患児がいつの間にか泣きやんだことに気がついたが,オーラ注の影響により患児が眠ったものと判断し,眠っている間に治療を進めようと考え,呼びかけに対する反応を確認すること等はせず,患児の治療を継続した(なお,裁判所が認定した事実によれば,患児は,16:38頃,オーラ注を原因とするアナフィラキシーショックを発症し,直ちにアナフィラキシーショックを原因とする呼吸停止状態から低酸素血症による血圧低下を起こし,同時に,循環虚脱に陥り心肺停止状態となっていた.患児のアナフィラキシーショックは,皮膚・粘膜等に症状が発現する間もなく,直ちに呼吸停止から循環虚脱に陥る重篤なものであり,患児にアナフィラキシーショックの皮膚所見は現れなかった).
担当医は,患児の治療中,治療器具を変える度に患児の顔や唇を観察し,手を患児の下顎に触れながら患児の治療を行っていたが,16:57頃までの間,患児の異常に気がつかなかった.
16:57頃,担当医は患児の顔面が蒼白になっていることに気がつき,16:58頃,救急車を呼んだ.
17:02に救急車が到着し,患児はA病院に搬送されたが,17:42,患児の死亡が確認された.
司法解剖の結果,患児には,喉頭入口部の粘膜に軽度の浮腫が認められたほか,強度の肺水腫,広範囲にわたる肺出血,分泌物による気管の閉塞が認められた.また,免疫組織科学的検査では,患児の肺組織内の肥満細胞の顆粒および静脈血内のヒスタミンの増加が認められた.患児の心臓血の血漿中ヒスタミン濃度は260nMol/L(正常値の170~350倍程度)であった.
2.本件の争点
争点は複数あるが,本稿では,過失が認定されたバイタルサインの観察義務の争点について説明する.
3.裁判所の判断
裁判所は,一般に,ショック症状などを早期に確知認識するには,バイタルサインを中心とした患者の全身状態の観察が必要とされていることや,オーラ注の添付文書に,ショックの可能性があるため観察を十分に行う旨の記載があること等から,歯科医師は,局所麻酔剤を使用する場合には,治療中,患者が重篤なアナフィラキシーショックを発症した場合でもその症状を早期に確知認識することができるように,患者の観察等によりバイタルサインを確認すべき注意義務を負っているとした.
その上で,本件では,ラバーダムにより患者の顔の一部,特に口唇が隠れ,さらにバイトブロックにより患者の下顎の開閉運動が制限され疼痛時の反応や睡眠中の不随運動が判明しにくくなるため,担当医は,通常よりも注意深く患児のバイタルサインを把握しておく必要があったとした.
特に,16:38頃には,それまで泣いていた患児が泣きやんでいるため,このような患児の変化を察知した担当医としては,患児に声をかけて無理に反応を見ようとする必要まではなかったものの,バイトブロックおよびラバーダムを着用した状態の患児の顔や唇を観察するだけではなく,患児の変化が入眠したことによるものなのか,何らかの異常が生じたことによるものなのかを鑑別すべく,患児の鼻や口に手をかざすなどの方法により患児が鼻や口のすき間から呼吸をしているかどうかを確認し,場合によっては手を止めて脈を取るなど,入念に患児のバイタルサインの確認を行う必要があったとして,担当医の過失を認めた(注6).
4.本事例から学ぶべき点
本件担当医にとって,歯科診療で頻繁に用いる局所麻酔剤で患児がアナフィラキシーショックに陥り死亡したことは,「まさか」の想定外だったかもしれない.
しかし,オーラ注の添付文書に記載もある以上,判決の結論もやむを得ないといえよう.本判決は歯科の同種事故に限らず,医科全般の想定外の事故再発防止に関する教訓になるものと思われる.
頻度は低い合併症であっても,自身の診療中にその「まさか」が起こり得ることを,肝に銘じて診療に当たりたい.

 
利益相反:なし

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引用文献および補足説明
注1) さいたま地裁平成22年12月16日判決.
注2) 日外会誌121(3):334-335,2020.
注3) 最高裁統計資料(R02速報値)より.
注4) 判決上は父母の明示はないが,本稿では母親として記載する.
注5) 治療歯を唾液から守り,口唇,頬,舌などの障害物から隔離するゴム製シートのこと(判決記載より).
注6) 因果関係については,バイタルサインの観察を尽していても救命可能性は相当程度の可能性しかなかったとして,過失と死亡との間の因果関係は否定され,慰謝料等440万円のみが認定されている(紙面の都合上詳細は割愛).

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