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日外会誌. 122(6): 683-685, 2021

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定期学術集会特別企画記録

第121回日本外科学会定期学術集会

特別企画(4)「情熱・努力を継続できる外科教育」
7.I have a dream~世界で貢献できる外科医になりたい~

高山赤十字病院 外科

白子 隆志

(2021年4月9日受付)



キーワード
戦傷外科, 外科医, 国際貢献

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I.はじめに
「何でも治せる外科医になりたい」と思い35年前に外科医になり,消化器外科のみならず,脳外科・小児外科・麻酔などの一般外科研修を行ってきた.いつか世界で活躍したいと思ったが,英会話は苦手,技術も不十分で,いつ,どこで,どうやって実現できるのかまったくわからないまま,1991年に高山赤十字病院に赴任した.1995年の阪神淡路大震災で赤十字救護班として現地で活動する機会を得て,災害医療や外傷診療に興味を抱きはじめた.2002年に初めて赤十字国際委員会(ICRC)外科医としてケニアに派遣され,2018年までにアフリカ・アジアの紛争地で外科医として計7回の派遣を経験した(図1).

図01

II.国際医療救援の実際
【ケニア】スーダン紛争は,石油資源の利権・民族・宗教対立によって200万人が死亡した第二次世界大戦後最大の紛争であるが,日本でこの惨状を知る人は少ない.ICRCは,1987年からスーダン国境のケニア・ロキチョキオにロピディン戦傷外科病院を建設し,多くの患者をスーダンからケニアに飛行機で搬送し年間4,000例の手術を行った.戦傷外科病院の手術室には3台の手術台があり,外科医3人と多くの現地スタッフによって流れ作業のように手術が行われた(図2).80%が銃創を中心とした戦傷外科であったが,腹膜炎・帝王切開・鼠径ヘルニアなどの緊急手術も含め,毎日25件の手術に追われる日々であった1). ICUは看護師一人でモニターは無く,夜間の新規入院患者や手術後観察はICUの屋外にある軒下のベッドで行われた.ここでは人工呼吸器がないため,「呼吸できない=死」を意味し,「人間は自分で治るもので,それを邪魔しないことが大切である」ことを学んだ2)
【アフガニスタン】アフガニスタン紛争終了後の復興支援事業で,アフガニスタン北部クンドゥス州タロカン病院に対し,医療インフラ・医療器材・薬品の支援を行うとともに,医師・看護師に対する周術期管理の教育を目的に2004年に派遣された.タリバン政権崩壊後の不安定な時期で,都市周辺には多数の地雷が埋設されており,地雷による四肢切断や銃創などの外傷が多く見られた.アフガニスタン人外科医の知識・技術は高く,多くの一般外科手術・外傷処置が行われていたが,輸血での死亡事故など周術期管理に多くの課題があった.
イスラム教の規律は厳格であり,飲酒や女性の服装に関しては,われわれ外国人も尊重し従う必要があった.また,安全上の問題から2カ月間,病院と宿舎以外に出ることは許されなかった.派遣終了時,飛行機が離陸滑走中にプロペラが破損したため,陸路500km移動し別の飛行機で無事帰国できたが,派遣には予期せぬトラブルがあることを知った.
【ウガンダ北部病院外科支援事業】日本赤十字社(日赤)は,アフリカ・ウガンダ北部カロンゴ病院に対し,物的支援に加え現地研修医の教育と外科支援を目的に外科医を2010年から7年間派遣した.多くの分野で効率が悪い病院運営であったので,物品管理や予定表を作成し,病棟診療補助を行った.手術室では麻酔科医が不在のため,手術室看護師を麻酔看護師として教育した.熱帯地域特有の感染症に伴う腹膜炎や,骨折,熱傷などの手術を高温多湿な手術室の環境下で行った.HIV陽性率も30%と高いため,針刺し事故に十分な注意が必要であった.腹部銃創では,CTがないため試験開腹で損傷部位を確認し,腸切除を行った.S状結腸捻転での人工肛門造設では,既製品のパウチの代わりにゴム手袋とテープでパウチを作製した.小児の外傷,特に骨折と熱傷が多く,整復固定処置や植皮,皮弁作成などの形成外科手術を必要とした.小児外科症例では,術者自ら麻酔導入と手術を同時に行う必要があった3)
国際救援を志して当院にきた若い外科医が,約半年間ウガンダに行くことができた.若い医師たちにとって,指導者がいない,物がないところで,一人で治療方針を決断し手術をする経験は,苦しいものであったが,彼らを大きく成長させた.

図02

III.次世代の外科医たちへ
日赤では,医療資源の少ない地域での診療や紛争地での外科的処置を次世代に教えるためのコ研修会(災害外傷セミナー)を11回行ってきた.国際医療救援では,様々な人・文化に接することができ,日本で決してできない経験ができる.「われわれが治すのではなく,患者さんが治っていく」「ないからできないではなく,あるもので最善を尽くす」という医療の原点に出会うことができる.どこにいても無駄なことは一つもなく,地方病院での研修は専門性に捉われず広く一般外科研修ができることから,国際救援には役立つものと考える2).是非,目標を持って進んでいただきたい.

IV.おわりに
アフガニスタンに命を捧げた中村哲先生のようにはなれないけれど,私自身も挑戦する気持ちをもち続け,世界で貢献できる次世代の外科医を育てたい.
I have a dream.

 
利益相反:なし

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文献
1) 白子 隆志 :スーダン紛争被災者医療救援活動報告.日集団災医会誌,8: 258-263, 2004.
2) 白子 隆志 :日本赤十字社の海外医療支援.ERマガジン,5: 334-341, 2008.
3) 白子 隆志 :ウガンダ・アンボロソリ医師記念病院外科支援事業 アフリカの現状.高山赤十字病紀,34: 3-7, 2010.

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