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日外会誌. 122(6): 591-592, 2021

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若手外科医の声

私なりの外科医の心得

日本医科大学 千葉北総病院外科・消化器外科

保田 智彦

[平成21(2009)年卒]

内容要旨
外科医となって10年が経過し,これまでを振り返りながら私自身が外科医として心に留めていることを述べさせていただきたいと思います.

キーワード
外科医, 手術, 研究

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I.はじめに
この度は日本外科学会雑誌の「若手外科医の声」を執筆させて頂き,日本外科学会編集委員長の小澤壯治先生をはじめ,編集委員の先生方に深く感謝致します.
まだまだ外科医として11年目の未熟者であり,手術や研究のどれをとっても人にお伝えできるものはありませんが,これまでを振り返り,略式ではございますが私見を述べさせて頂きます.

II.外科への入局
私は2009年に日本医科大学を卒業し,母校の大学病院で初期研修を行った後,2011年に消化器外科の医局に入局しました.この時から外科医として,『日本の弓術』1)に書かれているような澄み切った精神と技術で,手術が出来るようになりたいという大きな目標がありましたが,大学病院としての研究に関する興味は持ち合わせておりませんでした.また母校の外科医局に進んだ理由も,他の進路を深く考えなかったためか,先輩方の指導で自然な選択だったと思います.

III.外科医としての動機
入局し外科医として仕事を始めると,鈎引きやカメラ持ちなどをして手術を学ばせて頂きながら,病棟での術後管理や処置が1日の大半を占めるような仕事をしていました.仕事の合間に手術の本を読んだり,手術の動画を見たりしながら,ドライボックスで練習を繰り返し,これらの時間で楽しさを感じる一方で,病棟での仕事は長く大変で患者の苦しむ姿を見ることもあり,自分の思い描いていた外科医とはかけ離れたところを彷徨っているような気がしていました.
しかし今振り返ってみると,この時期に先輩方に教えて貰いながら行う手術の中,ビデオで見た様な手さばきや練習したことすらも上手くできない悔しさと,手術を終えて元気な姿を見送ったはずの患者と再発播種によって再び会うことの悲しさを経験したことは,外科医を追求していく上での大きな動機になったと思います.

IV.外科医としての研究
私は図らずも大学病院に勤めるという進路を選びましたが,私の中には大学病院に務める医師は外科医であっても研究を行いAcademic surgeonを目指すという医師像がありました.多くの先輩方が実際にそのような仕事をしているのを見ておりますが,使命感や大きな志の無い私にとっても,この進路はとても幸運な選択だったと思っています.本当に大きな志と愛情をもった先生方に出会う機会をたくさん頂き,その一人が私にとって福島県坪井病院の湖山信篤先生であり,東京大学医学部附属病院の野村幸世先生です.
私は外科医として3年目に赴任した坪井病院で,毎日のように手術に入り,尊敬する湖山信篤先生と山下直行先生から一挙手一投足そして呼吸に至るまで忍耐強く教えて頂きました.勿論手術室以外の時間や場所でも手術を教わることが多く,正に手術漬けの日々を送っていましたが,手術室の控室で不意に湖山先生からかけて頂いたのは『僕はね~,もう少ししたら留学して研究をしたいんだけど,保田先生はどうですか?』という言葉でした.それまで人が言う研究という言葉からは,どうしても業績やキャリアという意味合いを考えずにはいられなかった私にとって,その年に還暦を迎えた湖山先生の『研究』という言葉には,何か新しいことに挑む好奇心のようなものが根底にあり,外科医として手術だけでなく興味を持った課題に取り組む必要があることを諭されたように思います.
それから3年が経ち私は大学院に進みましたが,それまでの臨床経験から胃がんの予防と腹膜播種についてどうしても研究したいという希望がありました.私は胃がんと腹膜播種を理解することが自分の外科医としての課題だと感じており,吉田寛教授と内田英二教授にお願いをして,東京大学医学部附属病院の野村幸世先生の下で勉強する貴重な機会を頂きました.野村幸世先生は基礎研究の実験を何一つ知らなかった私に,研究の志望理由を聞き,そんな私のことを『同士』だと言って,忙しい臨床と家庭の合間に指導して下さいました.全く研究が進まず,何カ月も同じ実験を繰り返したことも多くありましたが,𠮟咤激励を頂きながら少しずつですが研究者としての基礎を学んだように思います.また,それ以上に私が野村幸世先生から教わった貴重なことは,基礎研究を通じて臨床が全く異なる景色で見えてくるということです.今,目の前にある標準的な治療も,私たちの想像もつかないような新しい治療も,その殆どが基礎研究から生まれてきます.現在も治療が難しい腹膜播種ですが,これを克服できるのは日々手術の鍛錬を積みながら,再発を目にして悔しさを経験した外科医の研究であると信じ,これからも手術と共に基礎研究を続けて行きたいと思います.

V.おわりに
これまで外科医として10年間,本当にたくさんの方々との出会いの機会を頂きました.日々色々なことを教えていただき,多くの方の援助があってここまで歩むことができました.特に私が所属する日本医科大学の消化器外科の医局の先生方には,これまで色々な我儘を聞いて貰いながらも親身に御指導頂きましたことに感謝申し上げます.また私の勝手は家庭でも狂奔することがあり,本当にいつも支えて貰っている家族には感謝してもしきれません.これからも一人の外科医として,そして一人の成人として成長を続け,少しでも医療や多くの方々に還元できればと思います.

 
利益相反:なし

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文献
1) Herrigel E (原著), 柴田 治三郎 (翻訳):日本の弓術.岩波文庫,東京,1982.

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