日外会誌. 122(4): 386-391, 2021
特集
直腸癌治療の温故知新
5.究極の肛門温存術ISRがもたらしたもの
久留米大学 外科学 赤木 由人 , 藤田 文彦 , 吉田 武史 , 合志 健一 , 大地 貴史 |
キーワード
Intersphincteric resection, 排便障害, 肛門解剖
I.はじめに
大腸癌の診断後,手術目的で紹介されてこられる患者は,直腸癌のみならず結腸癌においても永久人工肛門のことを気にされておられる方が多い.腹部から便が排泄される人工肛門はボディーイメージが悪く,当事者であれば不便な生活を強いられると懸念されるのは当然のことである.肛門近傍の直腸癌に対して,可能な限り肛門を温存できる方法はないかと考案された術式がISR1)である.本術式が癌に対する根治術として施行される背景には,腫瘍肛門側や壁外への癌の進展が明らかでなければならない.また根治術はできたものの,排便障害などで術後のQuality of life(QOL)を損なうものであってはならない.手術は理論的,技術的に可能ではあっても術後成績や術後の状態が患者の満足度を伴わなければ,“究極”の術式とは言いがたい.ISRは1994年に考案され,本邦でも21世紀に入って大腸肛門疾患を扱う専門施設から徐々に広がり,一般的とはいかないまでも浸透してきている.本稿では直腸癌に対するISRが大腸外科医に何をもたらしたか考えてみたい.
II.肛門温存手術の歴史(図1)
直腸癌手術の始まりは19世紀前半ころとされる.1900年初頭にMilesが提唱したAbdomioperineal Excesion(APE)は,現代でもAbdomioperineal Resection(APR)として低位直腸癌に対する根治術式の選択肢の第一にあげられている.当時は腫瘍が肛門から離れた部位でも肛門温存はなされていなかったようである.Dixon(1939年)が肛門括約筋温存手術であるAnterior Resectionを提唱し,直腸の切離・吻合部がさらに肛門側である低位前方切除術の手技やその適応が論じられるようになった.Parksは肛門を温存するために経肛門的に吻合を行う術式Colo-Anal Anastomosis(CAA)を考案した2).一方で器械を用いて吻合するLow Anterior Resectionが考案され,Double Stapler Technique(DST)という新しい手技も誕生した3).器械吻合の登場は施設間の格差や個人的技量の格差を小さくし,肛門温存術を容易にできるようにした.そしてCAAのような手技的に煩雑な経肛門的な手縫い吻合は敬遠されるようになったと考えられる.更に,直腸癌伸展の特性の研究が進み,根治性の追及や直腸機能を保持する試みがなされ,1990年代にSchiesselら1)がISRという,肛門に極めて近い下部直腸癌に対して肛門括約筋切除を伴う肛門温存術を考案した.ISRは本邦でも2000年頃より限られた施設で施行され4),括約筋間直腸切除術として2018年に大腸癌取扱い規約第9版5)の手術の種類に追加掲載された.
III.ISRの手技と適応
ISRは,経腹・経肛門的アプローチで内・外括約筋間を剥離し,腫瘍と共に直腸を切除する術式であるため,肛門機能は温存された一部の内括約筋と外括約筋で保持することになる.教室で行っている方法を簡単に示す(図2).
腹腔内操作は上方D3郭清を伴う低位前方切除術と全く同じ操作で,結腸・直腸を授動・遊離する6).吻合が経肛門的になるので,再建腸管は十分に余裕のある長さであること,そしてその血流を保つことに留意しなければならない.最近は結腸断端側の血流確認をICGを用いて行っている7).
骨盤腔内操作も同様に,直腸間膜はTotal Mesorectal Excision(TME)の層で挙筋付着部まで剥離し,可能な場合はさらに内・外括約筋間を剥離しておく.直腸前壁はDenonvilliers筋膜を残すように,前立腺との間を可能なところまで遊離する.
経肛門操作は肛門管における内・外括約筋間の剥離と結腸・肛門吻合を行う,本術式において最も重要な操作である.指診にて外肛門括約筋皮下部,括約筋間溝,腫瘍の壁在方向と歯状線からの距離と可動性を確認する.肛門側の切離は腫瘍下縁より1㎝以上離した肛門上皮で行う.内腔側から垂直に上皮,内括約筋を切り込み,外括約筋を露出する.内括約筋は白色の筋線束で形成されるので容易に認識でき,外括約筋は電気メスの通電で収縮するので判断できる.左右壁の括約筋間の剥離操作,後壁の剥離は比較的容易に鈍的に可能である.一方,前壁(10時から2時方向)の剥離は,括約筋が菲薄になっており,周囲臓器との層の確認が困難で極めて難易度の高い手技となる.吻合前には腸管に緊張や捻じれがないこと,血流が十分あることを再確認し,結腸断端と肛門上皮とを過不足なく縫合する.縫合は肛門狭窄をきたさないように合計12~16針程度にとどめる.
ISRという術式を考慮するのはDSTやCAAができない症例である.さらに適応の最低条件となるのは上述の手術操作で癌が露出しないことである.つまり,Distal margin(DR)とCircumferential resection margin(CRM)が十分に担保できる症例が適応となる.Shirouzuは肛門管癌の進展を病理組織学的に詳細に検討し,他臓器転移のない直腸癌の約95%は肛門側進展は1㎝未満であること8),腫瘍肛門側が歯状線を越えない直腸癌は外括約筋まで浸潤する症例が10%以下9)であることを示している.術前の深達度診断やリンパ節転移の精度が重要であるが,確立した診断方法はないため術中の判断が極めて大切である.
IV.診断と治療
ISRで危惧される局所再発はCRMがlmm未満では高いことが示されていることから,術前に進展程度の判断が重要である.超音波検査,CT,MRI等を用いた画像診断で,組織学的進展をどこまで読み取れるか疑問のあるところではある.描出された画像を客観的に表現するなどの工夫はなされているが,普遍的とは言い難い.これらの中では様々な方向から解析できるMRIによる診断が良いと思われる10).手術手技においては,確実なCRMの確保のため術野展開の工夫(開肛器)や内鏡視の拡大視効果を生かし,組織の微細画像を確認しながら行える手術(Transanal TME;TaTME)が用いられるようになった.
V.排便機能
ISRの論議がなされるようになって最も危惧されたのが術後排便障害である.実際にほとんどの報告で何らかの排便障害があることが示され,本邦においても中長期の機能成績の報告がある11)
~
14).排便障害は,直腸の全摘出による便貯留能の喪失,内括約筋を切除と歯状線部の除去などによることが大きく影響していると考えられている.さらに経肛門操作時の圧挫や牽引等による組織障害や直腸周囲の神経損傷も念頭においておかなければならない.
ボディーイメージの低下は抑えられたものの,排便障害によるQOLの低下が著しいのでは本術式の定着には疑問が残る.このような点の改良を目指し様々な取り組みが行われている.排便障害や便失禁の程度を知るものとして,Wexner incontinence score,Kirwan scoreが用いられている.肛門機能の客観的評価や排便障害の発生機序は,defecography, Manometry, 3-dimentional vector manometryを用いた検討がなされている.これらによって実態の解明が進められることが望まれる.そのためにはどの組織を切離し,どの位置で腸管(括約筋)を切離したかを明確に記録しておく必要がある.
VI.肛門管解剖(図3)
ISRを施行する術者として肛門解剖の理解度は必要条件である.ISRが知られるようになる前は,痔核や痔瘻などの肛門疾患治療のための解説が主であった.直腸癌手術における解剖と言えば,TMEや自律神経温存術を行うのに必要な挙筋着部までの筋膜や神経などについての解説が主であった.ISRでは,さらに肛門側解剖の認識が必要となった.実際の手技には歯状線,筋間溝,内括約筋,外括約筋,連合縦走筋,hiatal ligament,恥骨直腸筋,恥骨尿道筋,これらを支配する神経などについての知識が要求される.このような解剖の解説の他にも,内括約筋の長さ6)
15),肛門管を取り巻くそれぞれの筋肉の厚さなどの報告16)もみられるようになった.
VII.術後合併症と再建術
ISR術後合併症は,低位前方切除術後に発生することとあまり変わらないが,発生頻度は吻合方法や吻合位置により異なる.合併症の種類は他の直腸癌手術と同様に縫合不全が多い.ISRに特異的な合併症としては,術後早期の再建腸管における粘膜壊死を経験することがある.また術後しばらくしてからの腸管脱出,膿瘍形成,縫合不全や粘膜壊死後の狭窄などがある.いずれも頻度としては少ないが,それぞれの処置,治療に難渋することが多い.術後早期に起こる合併症対策として十分な血流の確保,再建に適した腸管の部位(直腸,S状結腸,下行結腸),再建方法(straight, side to end, J-pouch)の工夫が行われてきた.
VIII.おわりに
ISRが肛門近傍の直腸癌治療方法に一石を投じたことには間違いない.従来は永久人工肛門が一般的であった症例の一部に肛門温存を可能にした.しかし肛門を温存したがためにQOLを落としている症例があることも事実である.ISRがもたらしたことは,根治性を担保し安全に施行するための肛門の臨床解剖や生理機能,診断能の向上,手術手技の工夫などproctologyへの貢献と思われる.これらのことは現在も曖昧なところがあり,今後さらなる知見が得られるものと期待している.ISRには改善する課題があり,ISRを実施するには直腸癌に対する十分な経験を積んだのちに行うことが望ましい.
利益相反:なし
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