日外会誌. 122(1): 123-125, 2021
定期学術集会特別企画記録
第120回日本外科学会定期学術集会
特別企画(4)「希望と安心をもたらす医療安全管理―無過失補償制度の可能性も含めて―」
9.無過失補償制度が外科医の妥当な医療行為を推進する
福岡山王病院 大腸センター(前:久留米大学外科学講座) 衣笠 哲史 (2020年8月14日受付) |
キーワード
医療訴訟, 無過失補償制度, 紛争処理機構
I.はじめに
日本の外科治療における無過失損害補償制度導入について検討した.
II.日本の医療と外科医療の現状
日本の医療は,2019年WHO:World Health Organization(世界保健機関)による医療制度の優秀度ランキングで「世界1位」と評価されている1).しかし,日本では医療事故に警察が介入し医師が犯罪の被疑者として扱われ犯罪者となる可能性がある.刑事事件案件とならずとも医師が民事での医療訴訟の当事者となりえる.
日本の外科医療は,自分の時間を割いて患者のために働くという自己犠牲の精神をもつ外科医により支えられているため,過労死や燃え尽き症候群の原因となり外科医療から立ち去ることにもつながっている.このような労働条件では,若い医師からの「外科」人気はなく,外科医の減少という「負のスパイラル」が確立されている.それに追い打ちをかけるのが医療訴訟である.2012年の日本外科学会のアンケートでは,約80%が「医療訴訟のリスクが治療の選択・実施に影響した」と答え,52.2%が「訴訟リスク対策」を希望していた2).
III.患者やマスコミの医療に対する考え
一部の患者とその家族の要求やマスコミの論調は,医療や保険診療の限界を無視し「治してもらって当然」・「患者のためには24時間365日働くことは当たり前」など,患者の権利を守る主張が目立つ.そのため,世間では「治療では完全な結果を求めるのは当然のことであり,不幸な結果となれば,医師に責任があるとして償わせる」という風潮で「医療が進歩するほど紛争は増える」という皮肉な状況となっている.
IV.医療行為における手術
手術,特に切除手術では病態の改善・予後の改善など患者が得るものがある一方で,手術侵襲の影響・合併症・後遺症など患者が失うものが必ずある.その状況で,患者にとって得られることが多いと判断したときに,最適なタイミングで適切な術式が選択される.しかし,医療とは不確実の連続であるために,手術での不幸な結果はある一定の割合で起こりえることも事実である.
V.医療事故調査制度
2015年10月医療法が改正され医療事故調査・支援センター設立により,医療事故調査制度が発足した.医療事故が発生した医療機関において院内調査を行い,その調査報告を民間の第三者機関が収集・分析することで再発防止につなげ,医療の安全を確保するシステムである.注意すべき点は,死亡症例に適応され,後遺症や合併症などの症例は含まれていないことである.
VI.無過失損害補償制度とは
医療行為において,医師には過失がないのに不可避的に生じうる患者の障害に対し,その患者や家族の精神的・経済的負担を国が補償する制度が無過失損害補償制度である.医師の過失の有無にかかわらず補償を行う国もある.諸外国の無過失損害補償制度の一覧を表1に示す.1974年創設したニュージーランドの制度は,国内の事故による死亡・傷害に対する補償を目的とし,医師の過失の有無は問わない.フランスの制度は2002年に施行され,国立医療事故補償公社が運営している.申請をうけ,原因調査・過失の有無などを検討し「過失」か「無過失」かの見解を出し,「過失」なら保険会社が賠償を,「無過失」なら公社が補償をすることになっている.
VII.日本での無過失損害補償制度の現状
日本医師会は1975年に無過失補償制度の創設や国家機構としての紛争機構の創設などを提言している.日本外科学会は,2009年に厚生労働省に対し「無過失損害補償制度」の設立を含め提言した3).
それを受け,厚生労働省は医療の質の向上に資する無過失補償制度等のあり方に関する検討会を組織し,2011年から無過失補償制度のあり方や課題について検討が開始された.無過失補償制度の創設にあたり,本制度が医療事故に係る調査等の制度抜きには語れないという意見のため,2012年に「検討部会」が設けられ,医療事故調査制度のあり方について議論された.結果として,①届出・調査対象を死亡事例に限定していること,②過失の有無は判断しないことを基軸としており,無過失補償制度の検討の前提にできる仕組みとはならなかったため,2013年6月以降検討そのものが中止となっている.
VIII.無過失損害補償制度の問題点・課題
この制度の課題は,①国民がこのシステムを受け入れるか,②過失・無過失をどのような組織で認定するか,③補償範囲どこまでとするか,④誰が費用を負担するか,⑤医療事故調査制度との相互性,だと思われる.
IX.外科医療の今後
難しい症例やリスクある症例に対して「妥当な医療行為」を行ったとしても,患者やその家族が納得いかない結果になれば,外科医は常に医療訴訟のリスクを持つことになる.前述のごとく既に治療に影響を与えており,外科治療の萎縮は現実のものとなっている.その結果,ますます外科医が減少すると懸念される.これまでの経緯を鑑みると,日本外科学会は国に対し「無過失損害補償制度の導入」と「紛争処理機構の創設」を併せて行うよう早急かつ積極的に提言し,また関与すべきである.これらの制度が導入されれば,外科医が安心して妥当な医療行為を推進する環境が構築され,結果として医師・患者・患者の家族の負担軽減につながると考えている.今,行動しなければ,世間からは完全な治療結果が当然のことと主張され,外科医は医療の不確実性を説得できないまま非難され続けることになるのではないかと危惧している.
X.おわりに
同時並行的な「無過失損害補償制度の導入」と「紛争処理機構の創設」は,外科医の妥当な医療行為を推進することにつながると考える.また,若い医師が「外科」を希望する環境整備につながると信じている.
利益相反:なし
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