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日外会誌. 122(1): 114-116, 2021

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定期学術集会特別企画記録

第120回日本外科学会定期学術集会

特別企画(4)「希望と安心をもたらす医療安全管理―無過失補償制度の可能性も含めて―」
6.診療ガイドラインと医療訴訟

帝京大学医学部 外科学講座

橋口 陽二郎 , 小澤 毅士 , 松田 圭二

(2020年8月14日受付)



キーワード
大腸癌治療ガイドライン, 推奨, 説明責任, 民事訴訟

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I.はじめに
診療ガイドラインの数は増加の一途を辿っており,臨床医としては,診療に関わるガイドラインのすべてを把握することは困難となりつつある.ガイドラインは患者と医療者の意思決定を支援する文書である.Eddy1)によれば,Optionは40~60%の患者が,Guidelineは60~95%の患者が,そしてStandardは95~99%の患者が遵守することを前提としているとされる.大腸癌治療ガイドラインにおいては,前半の各論の多くは「標準治療」を記載しており,推奨をつけているCQの部分がいわゆるGuidelineの本質的な部分である.この点からも,ガイドラインにおいては,その診療行為について議論が分かれるようなトピックをとりあげて推奨をつけており,遵守しなければ医療過誤と考えられるような常識的なことばかりが書かれているわけではない.

II.ガイドライン作成者の立場
例えば,大腸癌治療ガイドライン2)においては,「本ガイドラインは,大腸癌に対する治療方針を立てる際の目安を示すものであり,記載されている以外の治療方針や治療法を規制するものではない」,「本ガイドラインとは異なる治療方針や治療法を選択する場合にも,その根拠を説明する資料として利用することもできる」と記載されている.「ガイドラインに従わなければ,すなわち医療過誤ということにはならない」という立場である.
法令や規則は基本的には「従う」ことが前提となっているが,法令や規則に準ずるいわゆる“soft law”と呼ばれるような事項で,このComply or Explainという手法が取り入れられることが多い.Comply or Explainでは,強制するのではなく,従う(comply)かどうかは自主性に任せつつ,従わない場合には説明責任(explain)を果たすことが求められる.したがって,診療ガイドラインの作成者においては,ガイドラインが医療訴訟の証拠として用いられるべきではないと考えている場合が多い.

III.ガイドラインの安全性への配慮
医療訴訟との関連に限らず,患者の安全確保は最優先される事項であるため,ガイドラインにおいては,合併症等の問題が発生しやすいと危惧される治療の推奨には施行者に関する条件を但し書きとしてつけていることがある.ガイドラインで推奨される前提として記載された必要条件が満たされていることが重要であり,このことが守られなければガイドラインを遵守したことにはならない.
例えば,大腸癌治療ガイドラインにおいては,腹腔鏡下大腸切除術については,但し書きとして,「ただし,横行結腸癌および直腸癌に対する腹腔鏡下手術の有効性は十分に確立されていないことを患者に説明したうえで実施する.局所進行癌,肥満や癒着症例は難度が高いので,個々の手術チームの習熟度を十分に考慮して適応を決定する」と記載されている.

IV.ガイドラインにおいて行わないことが推奨されている治療への配慮
大腸癌治療ガイドラインにおいて,日本医療機能評価機構(minds)の指針に従い,推奨は直裁な表現で記載されている.その推奨の中には,「行わないことを弱く推奨する」,あるいは「行わないことを強く推奨する」というような推奨が存在する.例えば,大腸癌肝転移に対する肝動注療法については,「全身薬物療法が可能な場合,切除不能肝転移に対して肝動注療法を行わないことを強く推奨する」と記載されている.このような推奨が行われている治療を実施する場合は,基本的にはガイドライン不遵守となるため,十分な患者への説明が必要となる.

V.裁判所の立場
民事訴訟では,裁判所は裁判におけるすべてのことを斟酌して自由な心証によって判断しうるとされている.その結果,ガイドラインを医療訴訟で用いることは禁止されておらず,したがって,ガイドラインには一定の証拠能力があることになる.
裁判判例検索システムを用いた桑原ら3)の検索によると,近年,診療ガイドラインが医療訴訟に引用される判決が増加している.平成27年4月までにガイドラインが判決文中に引用されている判例が211件あり,判決文中に推奨度の引用がある判決は21件(10.0%)であった.このうち,9件は平成21年以前のものであったが,12件は平成22年から平成26年の5年間のものであり,判決文中に推奨度の引用がある判決文は増加傾向にあった.
一方,判決文中にエビデンスレベルの引用がある判決は10件(4.7%)であった.このうち2件は平成21年以前のものであったが,8件は平成22年から平成26年の5年間のものであり,判決文中にエビデンスレベルの引用がある判決文も増加傾向にあった.
さらに重要な事として,ガイドライン不遵守と過失認定の間には強い相関が認められた.ガイドライン不遵守があると判断されているものについては,その66件のうち過失があると判断されたのは31件(47.0%),過失がないと判断されたものは35件(53.0%)とほぼ拮抗していたのに対し,ガイドライン不遵守がないと判断されたものについては,その92件のうち,過失があると判断されたのは2件(2.2%),過失がないと判断されたものは90件(97.8%)と,過失がないと判断されたものが圧倒的に多かった.

VI.おわりに
ガイドライン不遵守がすなわち医療過誤とはならないものの,遵守した医療行為と比較して,医療訴訟において過失責任を問われる可能性が高まるため,患者に十分な説明と同意を得るばかりでなく,第三者からも妥当とみなされる内容であるかを慎重に検討して実施する必要がある.

 
利益相反:なし

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文献
1) Eddy DM: Clinical decision making:from theory to practice. Designing a practice policy. Standards, guidelines, and options. JAMA 263: 3077, 3081, 3084, 1990.
2) 大腸癌研究会編:大腸癌治療ガイドライン2019年版医師用,金原出版,東京,2019.
3) 桑原 博道,淺野 陽介:特別寄稿2,ガイドラインと医療訴訟について―弁護士による211の裁判例の法的解析―.Minds診療ガイドライン作成マニュアル.小島原典子,中山健夫,森實敏夫,山口直人,吉田雅博編.公益財団法人日本医療機能評価機構.2015, http://minds4.jcqhc.or.jp/minds/guideline/special_articles2.pdf,2015年12月1日参照

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