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日外会誌. 122(1): 3-4, 2021

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先達に聞く

配布されなかった意思表示カード

日本外科学会名誉理事長,日本学術振興会理事長 

里見 進



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1997年になると,国会において臓器移植法を巡る動きが活発になった.
このとき出された法案の骨子は,家族が故人の意思を忖度し,家族の同意があれば臓器の提供が可能とした「中山・森井案」から後退し,故人が生前に臓器提供の意思を書面で明らかにしている場合のみ臓器提供が可能とする,いわゆる「中山案」に修正されていた.そして衆議院でもっぱら議論されたのは,脳死を人の死と認めて臓器の提供を可能とする中山案と,脳死は人の死ではないが臓器を提供できるとする金田案を巡ってであり,生前の書面による意思の表明は至極当然のこととされた.
採択の結果,金田案は否決され,中山案が参議院での審議を経て成立する可能性が高くなったが,われわれ移植医にとってこの法案の成立は移植を進める上でプラスになるのか意見が大きく分かれていた.法案が成立することで移植への道が開かれることは前進ではある.しかしながらわが国には遺言を書く習慣が少ない.ましてや生前に臓器移植に賛同し,自分が脳死になったとき,移植のために臓器を提供すると書き残す人は皆無と思われた.従って,これは臓器移植法ではなく,臓器移植禁止法になる恐れがあると考えたからである.当時の世論調査では約6割の国民が臓器提供をしてもよいと答えていた.この思いを書面で明らかにしてもらえる方策はないかと考えた私は,日本移植学会の評議員会で,「今国会でわれわれの夢であった臓器移植法が成立しようとしている.しかし,われわれが今何も行動しないとわが国は永遠に移植ができない国になる.何らかの形で臓器提供の意思を全国民に表明してもらえるような仕組みを作らなければならない.意思を表明できるカードを作成し,それを全国民に配布する運動を何よりも優先すべきだ」と訴えた.振り上げた拳の責任はとらねばならない.私は雨宮弘理事のもとに設けられた委員会の実行委員長に就任することになった.どのような意思表示カードにすべきか,患者団体,臓器移植ネットワーク,腎バンク,厚生省などの関係者に集まってもらい検討したが,各団体の思惑もあり議論は紛糾した.それでも最後はなんとかせねばとの思いで一致点を見いだすことができた.エンジェルを配したシンボルマークも決まり,厚生省からはこのカードであれば法で求める書面による意思の表示として認めるとのお墨付きも得られた(図1).カードの発行元は,当然,臓器移植ネットワークか厚生省になるものと思っていたが,法が成立する前は関与できないとのことで,日本移植学会と患者8団体からなる意思表示カードを普及する会を立ち上げることにした.200万枚のカードの印刷も終わり,いざ配布をと考えていた矢先,参議院では臓器移植に反対の議員から脳死は人の死ではないとする法案が再度提出され激しい論戦となっていた.そして,脳死は人の死かを巡る議論を避けるために「中山案」はさらに修正され,「臓器提供をする場合に限り脳死を人の死とする」,さらに「脳死判定を受け入れるという意思を本人が生前に書面で表示していることが必要」であることが付け加えられ,最終的に臓器移植法として成立した.この大きな修正を受け,われわれの意思表示カードは要件を満たすのかと厚生省に問い合わせると,厚生省からは脳死の判定に従うとの記載がないのでだめであるとの返答が返ってきた.カードを保管していた会社からはカードの引き取りを催促され,途方に暮れた私は日本移植学会野本理事長に相談した.理事長は即座に「おまえを孤立させない」と話され,古いカードは破棄し新しいカードを至急作るようにと命ぜられた.1枚のカード作成に何円かかったか,もう忘れてしまったが,日本移植学会の苦しい予算の中から快く工面してくださったことに今でも感謝している.
臓器移植法の施行までにできるだけ多くのカードを配ろうと,私の教室から全国の大学や腎バンク,病院,患者団体,市町村,コンビニなどにカードを郵送し配布を依頼した.今,私の持っている意思表示カードは全国に配送する最初の1枚で,その意味ではわが国の最初の意思表示カードだといえる.
意思表示カードはその後,厚生省と臓器移植ネットワークの連名で発行されるようになり,また運転免許証や健康保険証にも組み込まれてかなりの数が配布された.ただ,それが脳死移植に結びつくまでには2年弱を要した.
1999年2月に高知赤十字病院から提供された臓器は,心臓は大阪大学,肝臓は信州大学,腎臓は国立長崎中央病院と私どもの東北大学で移植された.東北大学での腎移植を希望して登録していた患者さんはそれほど多くなかったので,偶然とはいえ第1例目に関与することになった時,私は,振り上げた拳の責任をとって第1例目でも苦労しなさいと,移植の神様に言われているような気がしたものである.
その後2009年に臓器移植法は改正され家族の承諾で臓器の提供ができるようになり,意思表示カードの配布の必要性はなくなった.
もう10年ほど前に臨床の現場を離れたので現在の移植の状況がどうなっているかよくわからない.あれほど騒がれた移植の報道がもうなくなったことを考えると臓器移植が当たり前の医療になったといえるのかもしれない.

図01

 
利益相反:なし

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