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日外会誌. 121(4): 403-404, 2020

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先達に聞く

働き方改革は将来医療の質を維持できるのか?

日本外科学会名誉会員,慶應義塾大学医学部 医療政策・管理学教室訪問教授 

髙本 眞一



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患者のために医療の質を上げる目的で,日本心臓血管外科手術データベース機構(Japan Cardiovascular Surgery Database,JCVSD)は2000年に,日本外科学会のNational Clinical Database(NCD)は2010年に事業を創設し,本年はJCVSDにとっては20年,NCDにとっては10年とめでたい年を迎えた.特にJCVSDではアメリカ胸部外科医会(The Society of Thoracic Surgeons,STS)から教えを受け,将来お互いに比較し合うためのことも考えて,調査項目も同じ定義として,導入した.
これらデータベース事業は各施設で手術データをWebで登録した後データ分析をして,各施設にもそれぞれの分析データを送り,本邦全体のデータは各学会,各学会誌で発表し,医療の質の向上を考慮することになっている.施設の成績に問題があるときは,特別サイトビジットとして学会のリーダー達がその施設を訪問して,問題点を施設のメンバーと相談して,質の向上を目指している.冠動脈バイパス術や弁膜症手術における本邦の成績は米国よりわずかの差で平均手術死亡率が上がっており,米国の入院日数などシステムが違うために起こっている可能性がある.しかし,胸部大動脈瘤の成績は本邦が世界のトップで,米国,欧州のどの国よりも平均手術死亡率ははるかに良好である.
このような医療の質は医師各個人が各施設で時間外労働をあまり気にせずに頑張っているからであると考えられる.心臓血管外科は手術後夜間に当直が必要で,出血,血圧低下,呼吸低下などの突然起こりうる合併症に対処しなければならない.しかし,このたびの働き方改革で今まであった全国平均の手術成績を守ることができるのであろうか.
厚生労働省の働き方改革は患者に質のいい医療を提供するためではなく,長時間労働後の,自殺者への対応として時間外労働の時間を減少させる必要があったから,行われた.メディアでは労働者が時間外労働をするとほぼそれだけの理由で肉体的な問題が起こり,自殺に追い込んだと報告しているが,子供の自殺の場合は周囲からの精神的ないじめが主な原因とされている.どのような長時間労働でも上司や周囲の人間が気持ちよく本人に対応していれば,自殺は起こりにくいと考えられるのに,長時間労働だけを原因にするのは大きな誤解であろうと考えられる.
働き方改革で医師は特別な職種として考えられて,一般的には年間960時間の時間外労働が認められ,地域医療医,基礎的な能力を習得する研修医,高度技能の育成のためには1,860時間の時間外労働が2024年から10年間認められることになった.外科の多くの医師には1,860時間が認められるように期待したいし,それを実行するためには大きなタスクシフトが必要と考えられる.この時間外労働を守るためには看護師を特定研修させ,医師の仕事を看護師に移すことが考えられているが,この看護師のタスクシフトは外科医の労働を減らすために十分であるとは考えられず,外科医,心臓外科医は決められた時間外労働は守ることが難しいと考えられる.
現在新型コロナウイルス感染症に対して担当の医師や看護師などは決められた時間外労働で働いているとはとても考えられないし,特に外科,心臓血管外科はもともとある程度決まった労働時間が必要でもあるので,この制度を改善するためにはアメリカで普及している医師と看護師との中間の職業が必要である.それはPhysician Assistant (PA)とNurse Practitioner(NP)制度であるが,看護師,技術検査士,人工心肺技術士などが臨床経験2年後に2年間教育研修するPA制度がうまく達成できれば,効率よくタスクシフトを達成できると考えられる.2034年の時間外労働時間が縮小されるときにこの制度がないと医療の質が降下すると考えられる.
外科,心臓血管外科にはそれなりの労働時間が必要であるし,現在心臓血管外科医2~3人の施設が本邦も結構多くあるので,施設数(現在590施設)を少なくして,施設の外科医師数を多くする集約化が必要であると考えられる.地方では施設数はそんなに多くないが,都会では他国に比べても多すぎる施設数であり,一つの施設の中で時間外労働を減らすためにも最低5~7名の心臓血管外科医が必要と考えられる.
このような働き方改革ですべてがうまくいくと医療の質は現在の状態をさらに上向きにしてくれると考えられるが,特定看護師制度など不十分な制度で行うと,最初に述べたデータベースでは医療の質の成果である手術死亡率は現在よりも年々レベルが下がってくるのではないかと心配する.成績が悪くなるのは現場の外科医,心臓血管外科医の責任ではなく,この制度を作り上げた時間外労働の減少政策そのものの不十分さと考えられる.その時に,被害を被った患者がこの制度そのものの不十分さを認識してくれれば,いいと思うが,そのような体制にはなかなかならないと思う.1,860時間の時間外労働が2034年に960時間に戻すとなっているが,上記のことが解決できないときはこの時間をさらに継続することが必要と考える.
どのような場面であろうとも,医療は患者のために質の高さを維持あるいは改善する必要があるので,厚労省にもそのことをしっかり理解してもらわないといけないと考えるし,われわれ現場の外科医は第一に患者のために頑張るということ,その次に外科医としての休み,健康を考えることが医療の本来のあり方だと考える.医療の質も考慮に入れて「患者とともに生きる」ということを医療の在り方としていろいろな場所で話している1)が,若い医師諸君も是非大切なミッションとして身に着けて欲しい.

 
利益相反:なし

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文献
1) 高本 眞一.「患者とともに生きる」精神宿った医療改革を.朝日新聞,論座. https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019100300009.html

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