日外会誌. 121(2): 151-152, 2020
先達に聞く
継続は力なり
日本外科学会特別会員,国際親善総合病院病院長 安藤 暢敏 |
「現役,若手会員に対する助言や過去の経験談など」の内容で,本稿の執筆依頼をいただいた.1971年の医学部卒業と同時に外科学教室へ入室したので,来年で50年となる.半世紀のわが外科医人生を振り返るとき,大きな波乱もなく己の好きな道を歩んで来られた基に,食道外科をはじめとする幾多の先達との出会いと,私が座右の銘としている恩師の教えがある.私の来し方を振り返りつつ,若き外科医が岐路に立った際の判断の一助になればとの想いで,拙文をしたためてみた.
I.「まず始めなさい.始めたらやめずに続けなさい.」
医学部最終学年の夏休みに,友人に誘われて国立がんセンター病院(現 国立がん研究センター中央病院)外科で見学実習を行った.担当指導医は三富利夫先生(本会特別会員 東海大学名誉教授)で,夏休み中という甘えは実習初日から通用せず,厳しいながらも刺激的な2週間となった.食道癌手術とくに胸骨後胃管再建術は学生の目にはアクロバティックで,食道外科への憧憬の念を抱いた.このような単純な経験が動機となって外科を志望する医学徒が,これからもたまには出現して欲しいものである.大学病院でのフレッシュマン研修1年の後,卒後2年目に県交通救急センターを併設する関連病院へ教育出張した.当時は年間交通事故死亡者数が昨今の5倍超の交通戦争という用語が新聞紙面をにぎわす時代で,救急医学,外傷外科を通して全身管理に強く興味を持った.翌卒後3年目に出張した地方関連病院で,私としての食道癌手術初例を経験する機会を得た.76歳,女性のLt 1型症例で,たまたま近隣の関連病院へ症例指導にみえていた当時慶應義塾大学外科助教授の掛川暉夫先生(本会名誉会員 久留米大学名誉教授)から,術式として中下部食道切除胸腔内食道胃吻合とのアドバイスをいただいた.食道癌手術などめったにない地方病院ゆえに,術後3病日に患者は配膳ミスで出された全粥を食べてしまった,という冷や汗もののハプニングなどはあったが無事に退院できた.
卒後4年目に慶應義塾大学外科に帰室し研究班所属を決める際に,これらの体験をもとに迷うことなく掛川先生率いる一般・消化器外科食道班を志望した.食道班での研究テーマとして,自ら術後肺合併症の克服を目標に掲げ,当時日本に導入されて間もないSwan-Ganzカテーテルを用いて食道癌術前術後の呼吸循環動態を解明しようと全手術例の周術期データを採り分析した.われわれ教室員は臨床・研究に臨む姿勢として,掛川先生から常々「まず始めなさい.始めたらやめずに続けなさい.」と鼓舞された.これは日本のみならず世界の食道外科の大先達でいらっしゃる中山恒明先生から掛川先生が直接受けた教えで,「成功の秘訣は始めることが50%,残りの50%は始めたらやめないこと」をわれわれに世代を越えて伝授いただいた.まさに「継続は力なり」の格言に通ずる教えで,50%・50%という表現に人生訓として素直に納得でき,私の座右の銘となった.2010年9月に鹿児島において,愛甲 孝教授(本会特別会員 鹿児島大学名誉教授)をCongress Presidentとして第12回国際食道疾患会議ISDE世界大会が開催された.ISDEは中山恒明先生が創設し,鹿児島大会は1980年の第1回大会(東京)から30年目の記念大会として日本開催となった.それを記念したNakayama Memorial Lectureを磯野可一先生(本会名誉会長 千葉大学名誉教授)が担当され,その中で中山先生のこの教えを “Starting is half of success. Don’t quit once you start.”として紹介され多くの聴衆が感銘をうけた.
II.「曲がり角に宿命がある,曲がり角に来たら運命に従う」
私の外科医人生の後半生は,JCOG食道がんグループに軸足を置いた.JCOGの前身である厚生省がん研究助成金指定研究「がんの集学的治療の研究」班の1978年発足時より,集学的治療という用語の意味するところも十分理解しないまま班会議などには陪席していた.その後掛川先生の後任班員としてグループ代表者の飯塚紀文先生(国立がんセンター病院手術部長)の指導を受けながら,食道癌治療に一家言をお持ちの名だたる先達班員の百家争鳴の議論に揉まれて,標準治療のエビデンスを創出するがん臨床試験の重要性に大きな関心を持つようになった.
1994年飯塚先生の退任時に,飯塚先生からJCOG食道がんグループ後継代表者の推薦指名をいただいたが,多くの先輩班員の中で重責を担うことができるか逡巡した.そのような時に私の背を押してくれた言葉が,学生時代に部活動を通して師事した佐々木正五先生(慶應義塾大学名誉教授 微生物学,東海大学初代医学部長)の「曲がり角に宿命がある,曲がり角に来たら運命に従う」であった.佐々木正五先生は樺太(サハリン)のお生まれで,太平洋戦争中は海軍士官として真珠湾攻撃をはじめ終戦まで幾多の作戦に従軍された.まさに命拾いの連続であったと述懐していらした勇者で,戦後の復員後に大学の研究生活に戻られさらに医学部新設に邁進された先生の波乱にみちた人生の教えは,平和な時代しか知らないわれわれには大変重い.一方で運命は自ら切り開くものとの先人の教えもあるが,それは必ずしも全てに当てはまるものではなく,運命に従うべき場合もあると理解したい.
これまで述べてきた私の経験が,若き外科医がこれからも向き合い判断しなければならない場で,そのよすがの一つにもなれば幸甚である.
利益相反:なし
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