[書誌情報] [全文HTML] [全文PDF] (731KB) [全文PDFのみ会員限定][検索結果へ戻る]

日外会誌. 126(5): 408-409, 2025

項目選択

先達に聞く

臨床外科医

都立駒込病院名誉院長 

森 武生



このページのトップへ戻る


 
外科医になってなんと50年がたった.今年は昭和100年だそうで卒後54年になる.そのころは,東大紛争華やかな頃で,やれ封鎖だ,クラス討論だといそがしかった.ただし,私はそういう学生運動で,医療の世界がよくなるとは思えず,議論や角材をもつことはついになく,生涯一臨床外科医と思いを固めて,大学には残らないとして,本を読み山を駆け巡り,ひたすらマージャンをする毎日だった.なに,勉強が嫌いだっただけである.やがて卒業となり同級生の多くは,大学の各医局に散っていったが,私は初志を貫徹して,真の臨床は,現場にあるとして頑固に大学を出ることとして,市中病院の当時は数えるほどだった研修制度を受験して,給料をもらいながら働くこととした.また関東逓信病院は,働きながら,余暇に動物実験ができることも大きな魅力だった.そして4年,脳外科,胸部外科,麻酔科を自分のカリキュラムで回った.変な研修医だと思われたことだろう.実験をバックアップし,最後までいろいろと面倒を見ていただいた.外科研修医は一人で各科を回り,かなり実入りの多い研修で,症例数が少ないことだけが問題だった.
さて卒業に際し,臨床の多い施設を探していて,それまでの少ない手術例や,論文を風呂敷にくるんで,都内の手術例の多い施設を飛び込み回った.幸いにも,都立駒込病院が,改築中であることを知り,チーフが同窓であるというだけで押し掛けた.気に入られて改築中にも拘わらず採用が決まった.実に幸運だった.このチーフは先年九十六歳で他界されたが,生涯一臨床外科医という姿勢は全く共通していて,死ぬまで医療の世界での父親のように面倒を見ていただいた.実に幸運ではあったが,自分なりの考えを持って自主的に動いたことがよかったのかもしれない.同級生たちはいろいろと症例を重ねていたが,あまり気にならなかった.生涯一臨床外科医となるには,多くの経験が必要で,他人の研修には目がいかなかったのかもしれない.確かに駒込での初期に,乳がんや胃がん,大腸がんなどの悪性腫瘍の手術を経験できたことは大いにためになったが,当時の副院長をはじめ,駒込の外科は自由な雰囲気で,新しいものに挑むことに許容度が高かった.骨盤内臓全摘や学会のシンポジウムはここで初めてだった.わずか10年足らずの間にさまざまな経験を積むことができた.今思えば,上の先生方の大きな理解があったのだが,当時は自分の力と確信していた.
この間手術や外来も極端に忙しく,外来が一日100人を超えることも普通であった.外国も日中韓三国シンポジウムを任されて何回も行った.これを,実臨床の一番下がやるのだから大変だった.そして子供が3人,かみさんには頭がさがる.臨床外科医は,最も楽しく,患者と共に生きることが出来た.患者の悩みを聞くのも楽しかった.10年を過ぎて,他施設への転勤や,昇任の話などたくさんあったが,この施設を離れる気はなかった.
最近患者として,わが出身病院に夜中に緊急入院した.頻脈と房室ブロック,呼吸困難感,起坐呼吸などで,なんとなくただ事ではない感じがした.コロナ真っ盛りで,救急車を呼んで,受け入れ先病院を探したら3時間かかっても決まらなかっただろう.そこで,わがままとは思ったが,かみさんに頼んで,私が40年もいた駒込病院に連れて行ってもらった.何一つ文句も言わず,こちらの病態についても質問せず,ひたすら夜道を東京都を横切ってつれて行ってくれた,かみさんに感謝する.でも,ひどくなる喘鳴を感じながら,脈拍は120近くで,しかも4段脈,ははあ,死ぬ時はこんなものなのかなあと,車中では妙に白けた感じで思っていた.救急外来で,幸いにも夜勤婦長や主任当直医は,やめて12年にもなるのに顔見知りで,「先生どうしたの!!」と走り寄ってきてくれた.いやあ!地獄に仏!!! 心の底からほっとして,まあこれから,どうにかなってもいいやと思いきれた.酸素を使って,痛い静脈ラインを取り,患者の創痛に関係なくバルーンカテを入れられた.尿は朝まで1600,うっ血性心不全.一種の熱中症だった.その後,他の疾患で入院・手術を経験した.
こうした一連の出来事の中で,感覚が如実に外科医から患者へ入れ替わった.基本的に患者は苦痛を軽減してくれることを第一に考えて医療側に期待するし,患者としての私もそうだった.しかし医療側はそうはいかない.何度そのたびに悲鳴を上げ,遂にベテラン看護師に「男でしょう」と怒られる始末.男でも女でも痛いものは痛い.糖尿病があって,一日に何十回刺されたことか.新米外科医は,いろんなことをしまくったり,自信がなくて念のために何回も採血をし点滴をする.その都度針の痛みに耐え,種々の前処置の痛みと屈辱に耐える.そして術後は,無慈悲に繰り返される採血と術後疼痛に耐えて,やっと退院である.私の場合は機能不全で再手術になった.まあそれを,いとも簡単に明るく告げてくれることよ!文句の言いようもなく,黙って暗く下を向いている.あの疼痛をもう一度か.
さて,話は戻って,駒込病院では院長を経て,離職となった.さすがに手術は指導を含めて辞めたが,外来は患者と話をするのが楽しく,いまだに続けている.これが生きがいなのだろうか.外来の看護師たちは,先生の外来は,医者らしくなく聞いていて楽しいという.家族のことや毎日のこと,一般的な悩みなど医療に関係のないことが半分近く,人生相談になっているらしい.そうして楽しみながら外来で医療を続けている.

 
利益相反:なし

このページのトップへ戻る


PDFを閲覧するためには Adobe Reader が必要です。