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日外会誌. 126(2): 212-215, 2025

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会員からの寄稿

地球環境と医療―プラネタリーヘルスを考える外科医となるために―

玄々堂君津病院消化器外科,Doctors for Future(持続可能な社会を考える医療者の会) 

島田 拓

内容要旨
近年,医学・医療界において「プラネタリーヘルス」という言葉をよく耳にする.地球環境と人類の健康を包括的に捉える概念である.令和4年度には全国の医学部の必修項目「医学教育モデル・コア・カリキュラム」が改訂され,「気候変動と医療」が加わった.また外科系の学会などでは「グリーンサージャリー」と呼ばれる手術室に起因する環境への負荷を軽減する概念が紹介されるようになった.気候変動やプラスチックによる海洋汚染をはじめ,この世界の環境の変化は人類の存続に深刻な危機をもたらしている.地球環境の保全と医学・医療の目的は本質的には同一のものであり,われわれ医療者こそ社会に対して発信し,自ら行動を起こさねばならない.

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I.暑い夏
2024年8月のある日,車で千葉県内の混雑した道路を運転していると,窓から入る温風に違和感を覚えた.温度計を確認すると40℃を示していた.やはり気のせいではなかった.何十年もこの土地で暮らしているが経験したことのない数字だ.驚きと同時に恐怖を感じた.
この夏も全国各地で災害級の猛暑が続いた.きっと来年も,そしてその次の年も続いていくだろう.すでに多くの人々が健康被害を訴え,経済活動やスポーツなどの文化活動にも大きな負の影響を与えている.有史以来経験のない様々な変化がわずか十数年の間に起きていることに大きな不安を感じる.一体この世界はどうなってしまうのかと,大人たちでさえ恐怖を覚えるのであるから,若者たちが絶望的な気持ちになるのも無理はない.
努力してやっと大人になり,大切な仕事や家族ができたとき,すでに地球が人間の住めない惑星になっているかもしれないと言われたら平常心を保つ方がむしろ難しい.
欧州連合の気候観測プログラムであるコペルニクスの最近の報告1)によると2023年の1年間の平均気温は有史以来最高を記録し,産業革命前のそれと比較して1.63℃上回っていた(図1).2024年はさらにそれを更新する見込みであるという.これはパリ協定における1.5℃目標が達成できない可能性が高いこと,そして氷河の融解や海水での熱量吸収などによる緩衝可能な温度変化の限界を超え,もはや気温の上昇に歯止めのつかない恐ろしい状況が近づいていることを意味する.
気候変動のみならず現在世界で起こる様々な環境変化はすでに人類の健康で文化的な生活や経済活動に甚大な影響を与えており,こうした変化は人類の活動によるものが大きいことが既に疑いではなく様々な科学的知見として証明されている.
世界的権威のある医学雑誌でも報告2)されたように,海洋や大地を汚染する莫大なプラスチックは心血管疾患をはじめ多様な疾病の原因となることが示唆され始めたし,生命多様性の消失は健全な食生活の破壊や疫病の蔓延によりわれわれの暮らしを蝕んでいることは日々の報道や日常生活における体験から明らかである.

図01

II.医療者によるリーダーシップを
各国の指導者や政財界,法曹界などは早くから危機感を覚え,持続可能な世界の実現を訴え続けてきた.世界銀行は洪水や砂漠化などにより生じた「気候難民」は2050年までに全世界で2億人を超えると推計する3).住む場所や職を失った莫大な数の人々の移動により治安が乱れ,異なる集団間の衝突は絶え間ない紛争の原因となる.これにより経済活動が停滞すれば富の消失につながる.人々の不安が増して社会が不安定になれば規律ある世界が維持できなくなるから,彼らが危機感を抱くのも当然のことだ.
気候変動をはじめとする環境変化に最も早く深刻な影響を受け,脆弱なのはまだ自立して生きる力のない子供たちや途上国などの貧しい人々であるのは間違いないが,こうした弱い立場の人々が気候変動や環境破壊を是正するためのインパクトある行動を起こすことは難しい.実際に変化を起こせるのは既に社会的影響力を持ち,一定の富や地位を築いた人々によるものが大きい.私たち医療者はどうであろうか.
本来人類を豊かにするはずである医療を含む様々な社会経済活動が,私たちの存在すら脅かしつつあることは大きな矛盾であり,こうした現実から目を背けることは私たち自身の未来を放棄することと同義である.
人類が過去に経験したことのない気候や,生態を蝕むプラスチック汚染,新興感染症の蔓延などは健康で文化的な生活を危機に陥れる要因であり,こうした問題に取り組むことは長い科学の歴史で培われた医学・医療の目的そのものと同一である.しかしわれわれ医療者の中でどれほどの人間がそれを意識して生きているか.今こそ各界のリーダー達と足並みをそろえ,この問題に対峙せねばならない.

III.変わる医学教育
文部科学省は令和4年度,わが国の医学生が修得すべき必須の実践的診療能力に関する学修項目である「医学教育モデル・コア・カリキュラム」を改訂した.そのうち「社会の構造や変化から捉える医療」という章の中で新しく「気候変動と医療」という項目が追加された.つまり医師が医療を継続するにあたり,地球環境の変化が医療および人々の健康に与える影響を意識する必要があると公式に明示された.
もとより医療行為を行う意味を理解し,この世界に起こる様々な問題に目を向け,医療者としてどうあるべきかを問い続ける姿勢の医師であれば当たり前に思えるが,このように明確な形で医学部教育の到達目標の一つに記されたことに私は少し驚いたのと同時に安堵した.現在の医学生たちが医療の中心を担う時代はどのような様相か,楽しみでもあり,残された希望だ.

IV.医師と社会のつながり
私たちが住む世界の海と大地を保全する責任は,自分が支える家族や患者達への責任を背負うことと本質的には同一であろう.
欧米では近年「グリーンサージャリー」の名のもとに,手術室から排出される大量のごみや汚染水,温室効果ガスなどを削減する取り組みが進んでおり4),わが国の外科関連学会などでもこの分野をテーマにしたセッションが設けられるようになってきた.私自身も手術の際にできるだけ無駄な材料を使用しないように心がけている.
外科医は日々強いストレスの中で仕事を行っている.非常に緊迫した医療現場から,気持ちを切り替えて一般社会に目を配ることは強靭な精神力だけでなく技術や訓練を要するし,その人の性格も影響するであろうことからなかなか難しい.しかし疾病を抱えた患者の術前から手術治療,そして退院後のフォローまで一人の人間の社会生活に深く長くかかわるわれわれ外科医であれば,社会の中で医療の意味をとらえるべきであり,それを日常生活において意識すべきであることは言うまでもない.
医療現場のみならず人々の健康と生活を支える医療者こそ自ら社会へ働きかけるべきであるとの信念から,われわれは 2020 年から近隣の医療者や地域の仲間たちと毎月1回の海辺のごみ拾い活動を続けている(図2).
これは医療者が院内だけでなく実際に身近な自然環境の変化を体感し,さらに地域の人々と共に環境保全への意識を高め合うことが大切であるとの思いによる.東京湾岸の小さな海辺の保全団体としてスタートしたわれわれであったが活動の輪は次第に広がり,現在では毎月のごみ拾いだけでなく「気候変動と医療」をテーマにした環境フォーラムの開催や郊外の耕作放棄農地における里山再生,生命多様性復元の取り組みなど活動内容も多岐に及ぶ.医療者が主体となる環境NPOとしては私の知る限り全国で唯一の団体である.ご興味ある方はホームページ(特定非営利活動法人さざなみ https://sznm.org)をご参照いただきたい.
かつて誰も経験したことのない世界で,地球環境の保全と医学・医療の目的が本質的には同一のものであるとの認識に基づき,われわれ医療者が社会に対して何を残せるかが問われている.

図02

 
利益相反:なし

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文献
1) The Copernicus Climate Change Service. [cited 4 July 2024]. Available from: https://climate.copernicus.eu/
2) Marfella R , Prattichizzo F , Sardu C , et al.: Microplastics and Nanoplastics in Atheromas and Cardiovascular Events. N Engl J Med, 390 : 900 – 910, 2024.
3) World bank group. [cited 13 sep 2021]. Available from: https://openknowledge.worldbank.org/
4) Pietrabissa A , Sylla P : Green surgery : time to make a choice. Surg Endosc, 37(9) : 6609-6610, 2023.

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