日外会誌. 126(1): 57-59, 2025
会員のための企画
医療訴訟事例から学ぶ(142)
―歯科麻酔後に急性リドカイン中毒で2歳児が死亡した事例―
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1) 順天堂大学病院 管理学 岩井 完1)2) , 山本 宗孝1) , 浅田 眞弓1)3) , 梶谷 篤1)4) , 川﨑 志保理1) , 小林 弘幸1) |
キーワード
歯科用局所麻酔剤, オーラ注, 抗痙攣薬, 急性リドカイン中毒
【本事例から得られる教訓】
小児の治療においては想定外の事故も起こり得るが,その予兆が確認される場合もある.患児と毎日接している両親は,患児の状態の変化にも敏感である.小児事例では,両親の申告内容が重要であることに改めて留意したい.
1.本事例の概要(注1)
今回は,歯科用局所麻酔剤(オーラ注)により2歳児が急性リドカイン中毒に陥り死亡し,刑事起訴された事例である.オーラ注の事例については,約3年前にも4歳児の死亡事例を紹介させて頂いている(注2).歯科事例は医療訴訟の最高裁統計(令和5年速報値)をみても,内科,外科に次ぎ3番目に訴訟件数が多い(令和3年は外科を抜き,訴訟件数は2番目に多かった).歯科の重篤な事故については,救急搬送され外科医が対応する場合もあり,また小児の想定外の事故については外科医も遭遇し得ることから,外科医の参考になると思われ,紹介する.
平成29年7月1日,患児(2歳・性別不詳)は,父母に連れられ,本件歯科医院を訪れた.患児の主治医は院長のA医師で,既に4回治療を実施していたが(それまで麻酔剤の使用はなし),同日は患児の来院が予約時刻より遅れたため,B医師が担当した.
B医師は,16:25頃,A院長了解のもと,リドカインを主成分とするオーラ注を使用し,患児の下顎左側の歯間乳頭部に4か所,下顎の齦頬移行部に2か所に,オーラ注合計約1.3mlを注射し浸潤麻酔をした.
16:30頃から17:05頃にかけ,B医師らは所要の歯科治療を行い,その後,A院長に治療終了を報告した.17:06頃,衛生士が患児に希望するフッ素の味を尋ねたところ,患児は「ぶどう」と答えた.17:09頃,B医師は帰宅した.
患児は,治療終了直後の17:07ないし17:10頃,顔色が悪く,唇が薄紫色で,目の焦点が合わず,手足が固くなり,背中が反り,震えがある状態であり,その後も患児が本件歯科医院に滞在している間,目の焦点が合わないことや,背中の反りが断続的に発生し,17:38頃,普段容易にできる水分を摂る行動もとれず,足には紫色の斑点があり,体と頭は熱いが,手足は冷たく,言葉にならないような発言しかできず,17:50頃,全身をがたがたと震わせた.
患児の異変を感じた父母は,17:10頃から,その旨を訴えてA院長と何度かやり取りしたものの,A院長は「大丈夫である.患児は疲れて寝ているだけである」等と答えるにとどまった.
父母は患児をC病院に連れて行き,18:15頃に診察を受けたが,患児に自発呼吸はあったものの,体温は41.9度,顔色不良,手足の末梢部位の冷感が著明,意識レベルはJCSⅢ-300,痙攣持続という緊急な治療を要する危険な状態であった.酸素マスクを用いた酸素投与や,抗痙攣薬の注射等の救命治療を行ったものの,平成29年7月3日の12:29頃,患児は死亡した.
2.本件の争点
争点は多岐にわたるが,本稿では,過失の有無を中心に記載したい.
なお,本件では患児の死因も激しく争われたが,死因は急性リドカイン中毒に基づく低酸素脳症と認定されている(誌面の都合上,詳細は割愛する).
3.裁判所の判断
裁判所(第1審)は,A院長は,患児に対する治療でリドカインを主成分とするオーラ注が使用されたことを認識しており,治療後間もない17:10頃の時点で父から患児の異変を訴えられていたため,少なくともこの時点で,患児の詳しい様子や父が異常と考える点等を尋ねるべきであるとした.そうすれば,A院長は父から患児の身体の硬直,背中の反り,顔色の悪さ,身震い等の重要な情報を取得可能で,問診,視診や触診等により患児の全身状態を十分に確認していれば,放置すれば患児の死亡もあり得ることに気付くことは可能であった等と認定した.その上で,A院長には,17:10頃に十分な問診等を行い,直ちに気道確保および酸素投与等の応急処置を行い,医療機関に患児を救急搬送するなどの救命処置を講じる義務があったとし,これを怠った過失があると認定した(救命処置により患児の死亡も回避できたと認定した).
なお,裁判所は,本件では適量を超えるリドカインの使用が予想されておらず,現に適量のオーラ注約1.3mlが使用されたのみであることや,浸潤麻酔に際しオーラ注全量(1.8ml)を使用したとしても,急性リドカイン中毒の発生は通常考えられないことから,A院長が,患児に発生した症状が急性リドカイン中毒に基づくことを確定的に認識することはできなかったと言及した.
しかし,A院長は,患児に現れていた痙攣,チアノーゼ,意識障害等の症状を認識することは可能で,これらは急性リドカイン中毒の典型的症状であり,かつ,オーラ注の使用の約40分後に現れていたのであるから,A院長は急性リドカイン中毒を含む偶発症の可能性があることを認識し得たとして,過失の判断は変わらなかった.
控訴審では,A院長は,死因は急性リドカイン中毒ではなく横紋筋融解症の可能性が高いことや,患児に起きた異変の程度は,患児の父が供述したような深刻なものではなかった等の反論をしたが,いずれも認められなかった.
4.本事例から学ぶべき点
本件は上告中であるため,裁判所の判断当否についての見解は控え,判決内容を前提に,以下,記載させて頂く.
小児の治療では予想外の事故が生じ得るが,本件のように予兆がみられる場合もあることから,医師としては,症状の異変を訴えられた際には,患児の状態を丁寧に確認し,普段の患児の状態をよく知る父母等の訴えには(時には過敏な訴えもあるかもしれないが)十分に耳を傾ける重要性を実感する.また,本件ではA院長自身は患児の治療を行っておらず,治療前や治療中の患児の状態を見ていない.他の医師が治療した患者の急変対応の際には,急変前の状態を知る者の声には特に耳を傾ける重要性も感じる.
なお,A院長は,患児の症状が父親の供述する内容ほど深刻ではなかった旨を主張したが,認められなかった.症状の異変をカルテに記載すべき重要性にも改めて留意したい.
利益相反:なし
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