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日外会誌. 125(6): 522-526, 2024

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特集

小児心臓外科医の育成

7.Diversityからみた小児心臓外科医育成の現状と未来

筑波大学 心臓血管外科

平松 祐司

内容要旨
小児心臓外科の持続性を担保するためのキーワードとして,やりがい,労務環境,待遇,心理的安全性,ダイバーシティ,ワークライフバランスなどが挙げられるが,やりがい以外のアイテムは何一つまともに備わっていない.待遇という観点では,今後裁量労働制の外科系文部科学教官のなり手不足が懸念される.報酬に見合わないリスク,増える一方の研究や教育に係るルール,責任やノルマなど様々なハードルが若手のアカデミア志向を弱めてしまいかねない.ダイバーシティあるいはDE&Iの概念や組織文化を定着させることも重要で,DE&Iの土台を成す心理的安全性の確保は組織としてのパフォーマンスの向上,ストレスの軽減や人材の定着につながり,外科チームにとっては欠かせない要素である.出産や育児に係る多様な働き方は今に始まったことではないが,それが十分に心臓外科のソサイエティに受け入れられるには,多様性を享受する側の覚悟や感謝の気持ちも大事である.並行して管理者側は多様な人材や働き方を受け入れる覚悟やマネジメントの工夫を示すために,イクボス宣言などを取り入れて,ワークライフバランスを重んじて行く必要がある.ソサイエティに足りないピースを一つずつはめ込んで,小児心臓外科医の人生が真に輝いて見える時代を創りたい.

キーワード
心理的安全性, ダイバーシティ, ジェンダーバイアス, イクボス, ワークライフバランス

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I.はじめに
一般の方に自分が小児心臓外科医だと話すと,きまって「それは体力のいる仕事で大変でしょう?」と言われる.一般人どころか医学生と話してもほぼ似たような反応である.「先生はどうしてそんな大変な道を選んだのですか?」と問われて,うかつに「大変だからこそやりがいがあると思ったからだよ.」などと答えてしまうともう取り返しがつかない.学生らの表情は潮が引くように翳って行って,「こういう人たちだからいつまでたってもブラックなんだな.」と心の中で呟いているかのようである.確かに命を助ける“やりがい”とか心臓に工夫を加える“面白さ”や“達成感”,悪く言えば“優越感”くらいしか小児心臓外科の魅力を伝えるポイントは思いつかない.最近PICUの整備などによるタスクシェアが徐々に進んできたとは言え,術後管理,時間外労働を含めた労務環境は依然厳しい.少人数のチームが多いので,ワークライフバランスの改善もままならない.報酬は人並みかそれ以下.一人前の技量が身に付くには果てしなく時間がかかる.昼夜問わず危険作業にかかりきりで薄給の中小企業に,どうして近頃の目端が効く若者をリクルートできようか?

II.小児心臓外科医に必要な素養
もう一つよくあるのは,「女性でも心臓外科はできますか?」という質問である.そのたびに頭の中でパラパラと何かをめくって果たして実際どうだろうと考えるのだが,ここでもまたできない理由が思いつかない.わが医局には歴代5人以上の女性リーディングサージャンがいて,彼女たちに続かんとする若手女子も2名いる.特に女子学生からは「体力的に女性は無理でしょう?」と誘導尋問されるが,私の答えはその期待を裏切りつつ,「体力より気力が大事だね」と話をかえってややこしくする.
もちろん医学生にとっては未知なる領域だから,屈強で無限の体力を備えた男子のみが闘えるラグビーの世界のようなイメージを持つのも無理はないが,アスリートのような天賦のパワー,スピードや持久力を要するわけでもなく,小中高校と体育や部活をやってきた程度の体力があれば男女問わず心臓外科医はできる.そもそも体力とは何かというと,「病は気から」と言うように,気力,つまり気持ちの張りや高まりに負うところが大きいのではないだろうか.気力と言っても特別な精神力ではない.どんなことでも面白いと思えば寝食を忘れて没頭するように,心臓外科を面白い,やってみたいと思う人なら,チャレンジする気力は自然に湧いてくるものだと思う.すなわち,小児心臓外科医になるための素養としてはじめから特別な体力,気力や器用さを持ち合わせている必要はなく,唯一必要なのは他のあらゆる分野と同様に,「人生をかけるほど面白い」と感じるかどうかであろう.というわけなので,適性と言う点でジェンダーはまったく関係がない.

III.小児心臓外科が備えるべきもの
医学生を教える者として,小児心臓外科が「人生をかけるほど面白そう」と彼らに思わせることができているかというと,かなりいい線はいっていると思う.さまざまな循環生理の理論を駆使して複雑な先天性心疾患に段階的にアプローチし,しまいにはFontanなどという素人には予測不能な結末に導くようなレクチャーをすると,居眠りしかけた医学生もたいてい刮目する.「何か不思議なものが出てきたぞ.何とかその手品みたいな手術を見てみたい,いやもしかしたら自分だって頑張ればそんな手術ができるようになるのかもしれない.」と,男女問わず低学年の医学生の何人かは思い始める.高学年になって臨床実習が始まるとしかし,「すごい技術だけど自分ができるようになるとは思えないし,レジデントは朝早くから夜遅くまで大変そうだし,ちょっと遠い世界だな.」と現実的な判断をするようになり,結局卒業する頃にはほとんど志望者は残らない.もっともなことで,若者とて生活はかかっているし,体も大事だし,プライベートや家庭もあるし,「人生をかけてみたくなるほど面白そう」だけで本当に人生をかけてしまうのはむしろ冒険が過ぎるというものだろう.
すなわち,この先小児心臓外科が後継者不在を免れるためには,“やりがい”以外の現実的な売りを人並み以上に備えて行く必要がある.さもなければダイバーシティのあり方を取り沙汰する余地もなく,とある中小企業の女性社長のように,「うちは結婚や出産でやめてしまう可能性のある若い女性を雇う余裕などありません.」となってしまう.柱となるのは“労務環境”と“待遇”だが,労務環境については,そもそも心臓外科医はさほど長時間勤務が不満でもないし,むしろ一律の労務管理ルールを窮屈に感じる外科医も少なくない.その議論は他に譲るとして,強調したいのはこれまで誰も本気で切り出してこなかった“はしたない”カネの話である.これだけ楽に稼げそうな仕事が世の中に増えると,若者ならずとも心臓血管外科のコスパの悪さは気になるし,あえてこの道に挑んでくれる若手たちのために何とか汚名返上したいと思う.この春ようやく法律に則った働き方改革が全国で始まって,時間外勤務にはもれなく手当が支払われる仕組みになった.一見正当な評価がなされ人並みの待遇になった感もあるが,ベースの給与体系には変化はなく,手術技術レベルやリスクに応じた評価は依然十分とは言えない.時間外手当が支給されない裁量労働制の医師においては,同一施設にいる変形労働時間制の医師に不合理な給与格差が生じていることもあると聞く.今後懸念すべきことの一つは,裁量労働制教員待遇で働いている大学病院の外科系文部科学教官のなり手不足である.報酬に見合わないリスク,増える一方の研究や教育に係るルール,責任やノルマなど様々なハードルが若手のアカデミア志向を弱めてしまうことが危惧される.大学全体への運営費交付金も減っている中,文部科学教官の給与体系を改善することは容易ではないだろうが,社会もわれわれベテランも,心臓血管外科を志す純真な若者たちの犠牲や献身に期待するのはもうここまでにして,彼らが何の憂いもなく指導者や教育者を目指して診療,研究や教育に没頭できる環境や給与体系を整えて行くことを真剣に考え始めないと手遅れになる.

IV.心理的安全性とダイバーシティ
さて,そうしたインフラを整える作業とともに外科志望者の裾野を拡げて行くために肝要なのは,外科の世界においてもダイバーシティあるいはDE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)の概念や組織文化を定着させることである1).ダイバーシティと言うととかくジェンダーバイアスに話が偏りがちだが,職場に悪影響を及ぼすアンコンシャスバイアスとしては他にも正常性バイアス,集団同調性バイアス,確証バイアス,慈悲バイアスなどがある.例えば集団同調性バイアスと言うのは,集団内で自分の考えを封印し,周囲や相手の言動に無条件で合わせてしまう心理現象のことだが,このようなバイアスを無意識のうちに肯定してしまうことなく,いつでも安心して自分の意見を述べたり質問したりすることのできる組織文化が醸成されることが望ましい.こうした心理的安全性の確保はDE&Iの土台を成すものであり,組織としてのパフォーマンスの向上,ストレスの軽減や人材の定着につながると考えられ,特に手術室を活動の中心とする外科チームにとっては欠かせない要素である.チームの心理的安全性を保つ上で女性の存在が重要であると強調するとこれもまたアンコンシャスバイアスとの指摘を受けかねないが,女性メンバーは炭鉱のカナリア的存在であって,組織の空気の悪化を敏感に感じ取って知らせてくれ,リーダーはそれによっていち早くチームの不協和音に気づくことができるという女性識者の視点もある2).いずれにせよ,心理的安全性の保たれたチームや組織であれば,たとえ当初は重労働や低賃金であったとしても自由闊達で建設的な改善への議論によってそこからの脱却が図られてきたはずである.小児心臓外科がいまだにブラックの代表的存在に甘んじているならば,心理的安全性の確保によるDE&I推進への取り組みが十分になされているかどうかについて,あらためて謙虚に省みる必要があるのではなかろうか.
先に適性の点でジェンダーは関係ないと述べたし,女性のキャリアをステレオタイプに出産や育児と結びつけないでほしいという女性医師の声も少なからず聞く.しかしながら,生物学的,社会学的に女性というジェンダーを考えるとき,あるいはその人なりの人生観の中で,出産や育児というのは母にとっても子にとってもとても大切なライフイベントであり,かけがえのない時間であろうと想像される.しかもその大切さは実体験して初めて身に沁みるものであろうから,高いモチベーションを持って小児心臓外科を志望した女性医師がライフイベントに重きを置いてある日道を変えたとしても,本人にすら予測不能な進路変更であるのだから,非難されるべきものでは到底ない.育児というのは育休の期間内に完結するわけもなく,母と子あるいは家族内の関係性によって強弱はあっても,子どもが扶養家族であるうちは何かと手間暇がかかる.それは父親も同じで,子育てと外科医の二刀流をやり抜く上での唯一の適性があるとすれば,「多様な働き方,限定的な勤務時間の中でも最善を尽くす覚悟があること」ではないかと思う.出産や育児に係る多様な働き方は何も今に始まったことではない.それが未だ十分に心臓外科のソサイエティに受け入れられていないなら,多様性を享受する側の覚悟,努力や感謝はこと足りているのだろうかという振り返りも必要かもしれない.奇しくも日本産科婦人科学会ホームページのキャリアアップ特別企画に若手産婦人科医のコメントが示されており,「周囲への感謝を忘れず前に進み続けてほしい」,「男女関係なく,家庭や地域社会の一員として役割を果たしながら,プロとして良質な医療を提供できる環境を整えること」,「プロ意識とは,支援を駆使しつつ可能な限り努力すること」など,配慮を受ける側の努力や感謝の大切さが熱く語られている3).もちろんこれは管理者側が多様な人材や働き方を受け入れる覚悟やマネジメントの工夫を示しているからこその若手の前向きな呼応であり,その点心臓外科のソサイエティは,日本産科婦人科学会およびサステイナブル産婦人科医療体制確立委員会の取り組みに学ぶべきことが多々あると感じる.

V.ジェンダーバイアス
ジェンダーバイアスについて議論する時,「女性らしさ」という女性をリスペクトする言葉すら負の意味で解釈されることがある.医師という職業においても,女性ながらの丁寧さや思いやりがあるからこそ提供できる医療やサービスがあると思うし,出産や育児の経験を経た女性医師がもたらす患者への安心感というのも無視できない4).女性が「女性らしさ」を発揮しながらスキルとリーダーシップを身につけると,おそらく男性には到底かなわない最強の外科医となって,患者からは絶大な信頼を獲得するのではないかと常々思っている.女性が女性らしくいることが不利益にならない社会が,小児心臓外科においても遠からず拓けて行くものと期待したい.

VI.イクボスとワークライフバランス
イクボスという言葉をご存知だろうか?「育児」と「ボス」を合わせた造語で,一般企業においてはすでに浸透しているらしい.従業員の私生活とキャリアを応援し,自らもワークライフバランスを重んじ,組織を活性化できるボスのことである5).ボス自身は実の子の育児からは離れているとしても,従業員が業務と子育てを両立できる環境を提供するボスという意味で,“イクボス宣言”を出している企業も少なくない.企業がイクボスに取り組む際の行動指針として,理解,ダイバーシティ,組織浸透,時間捻出,配慮,有言実行などのキーワードが示されている.アウトドア衣料メーカーであるパタゴニア社の創業者であるイヴォン・シュイナードは,イクボスの元祖と言うべき人かもしれない6).彼はオーナーを務めながらサーフィンやフライフィッシングなど,多くの時間を自然とともに過ごし,「社員をサーフィンに行かせよう」という表題の経営論を著している.その中で彼は,「従来の規範に従わなくてもビジネスは立ちゆくばかりか,一層機能することを立証できた.百年後も存在したいと望む企業にとっては,とりわけそうである.」と述べている.年次有給休暇を消化しようという声がようやくかかり始めた日本の医療界は,ワークライフバランスをまだまだ別世界の話だと軽視し過ぎているように思えてならない.

VII.おわりに
小児心臓外科が絶滅を回避するためのキーワードとして,やりがい,労務環境,待遇,心理的安全性,ダイバーシティ,ワークライフバランスを挙げてきた.あらためて,やりがい以外のアイテムは何一つまともに備わっていない世界だと思い知るばかりである.そんな中でも使命感に燃えて日々の診療に力を尽くしてくれている若者たちがいることを誇りに思い,またありがたく思い,彼らが疲弊したり情熱を失ったりすることがないうちに,このソサイエティに足りないピースを一つずつ探し出してはめ込んで行くのが,われわれ指導医に課せられた責務だと思う.小児心臓外科医の人生が本当の意味で輝いて見える時代が遠くないことを祈りつつ,この稿を終える.

 
利益相反:なし

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文献
1) マシュー・ サイド : 多様性の科学.ディスカヴァー・トゥエンティワン,東京,pp 313-350,2021.
2) 藤沢 久美 : 最高のリーダーは何もしない.ダイヤモンド社,東京,pp 150-159,2016.
3) 日本産科婦人科学会ワークライフバランス.2024年7月2日. https://www.jsog.or.jp/wlb/index.html
4) 宮田 加菜 , 中嶋 優子 , 兼井 由美子 ,他: あめいろぐ女性医師,反田篤志監修,丸善出版,東京,pp 137-141,2020.
5) 厚生労働省育MENプロジェクト.2024年7月2日. https://ikumen-project.mhlw.go.jp/ikuboss/about/
6) イヴォン・ シュイナード : 社員をサーフィンに行かせよう.東洋経済新報社,東京,pp 317-323,2007.

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