[書誌情報] [全文HTML] [全文PDF] (1606KB) [全文PDFのみ会員限定][検索結果へ戻る]

日外会誌. 125(6): 475-482, 2024

項目選択

特別寄稿

医療になぜ倫理が必要か

日本外科学会名誉会頭,九州大学名誉教授,公立学校共済組合九州中央病院院長 

前原 喜彦

内容要旨
医療の目的は,「病む人から苦しみを除き,健康へと導くこと」であり,その目的達成のために,「医療人にとって人格形成が何よりも重要であり,終生研鑽して,努力することが求められる」と考えられます.
われわれには,人格を磨いて,倫理観(人の進むべき道を判断できる力)を養い,医療倫理に基づいた良質な医療を実践することが求められています.
ここでは,医療倫理をも包括した生命倫理に関して,われわれが直面している様々な事例・問題点を提示し,それを解決できる人材の育成と倫理教育の重要性について述べたいと思います.

キーワード
医療の心, 医療倫理, 生命倫理, 倫理教育, 外科医の教育

このページのトップへ戻る


I.はじめに
私が九州中央病院院長に就任して7年が経とうとしています.これまで職員一丸となって,患者さんに喜んでもらえる良質な医療の実践に心がけて参りました.この7年の間,そのような医療を提供するためには,職員全員が「医療倫理」を理解して,日々の医療を行うことが大事ではないかと考えるようになりました.
通常,医療倫理や倫理委員会と聞きますと,堅苦しい話だ,自分と関係ない,などと思いがちですが,そうではなく,人間の日々の営みに関係した身近な事例でも,倫理で考えないといけないということ,日頃の医療に至っては,すべて倫理と言う観点から医療を実践しなければならない,ということをお伝えしたいと思います.

II.医療の心
「医療の目的」が「病む人から苦しみを除き,健康へと導くこと」に異論はないと存じます.では,医療の目的を達成するために何が必要か.酒井シズ先生は「医療人にとって,人格形成が何よりも重要であり,終生研鑽して努力することが求められる」と述べています1).私は,この人格形成への努力が倫理を判断できる力になると思います.
わが国で最古の医学書に,平安時代に丹波康頼(912~995年)が編纂した「医心方」があります1) 2).冒頭に医療の心について,下記に記しますような文面が出てまいります(図1).現代語訳で,「医師が患者さんの治療にあたる時は,必ず心静かに精神を統一し,何かを欲したり求めたりすることもなく,患者さんを慈しみ,いたわる心で,生命あるものを病気から救いたいと念じなければならない.もし病気にかかった者が来て救いを求めるならば,誰にでも同じような態度で親が子を思うような態度で接しなくてはならない.患者さんの苦悩を見ては,自分の出来事のような気持ちで悲しみ,辺鄙な場所や嶮しい山中だからといって患者さんのもとに行くのを避けてはならない.疲れていても,空腹でのどが渇いていても,一心に赴いて救い,自分の利益や名誉を考えてはならない」となります.医療の心は千年経った今でも,何も変わっていないと実感することができます.同時に,「医心方」が著され,現代まで伝えられていることに,日本人として誇りに思うものです.
余談ではありますが,丹波康頼(俳優丹波哲郎の先祖)が生きた時代は,2024年現在放映中のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公,紫式部と藤原道長が活躍した時と重なります.丹波康頼は花山天皇と一条天皇に仕えたと記されていますので,両天皇の勅命のもと,丹波康頼は悲田院で,当時天然痘など疫病に苦しむ多くの民の治療に力を尽くされたものと考えられます.ドラマでは,丹波康頼は登場しませんでしたが,紫式部(まひろ)は患者として,藤原道長は悲田院を視察に訪れた権大納言として描かれていました.
しかし,千年経っても変わらない医療の心で,患者さんに接したとしても,患者さんに良かれと思って行った医療行為であっても,患者さんが死亡する事例が発生します.家族は納得がいかず,医師を訴えることになります.
そのような事例では,「説明と同意」に関して,患者さんと家族は病気を理解し,医療行為について納得していたか,手術の適応に問題はなかったか,術者の技量に問題はなかったか,などが検証されることになります.さらには,患者さんに真摯な姿勢で向き合っていたか,患者さんの信頼は得ていたか,患者さんの心に寄り添っていたかなど,医師としての人間性が問われることになります.ただし,このような事例が起こってしまう理由は,元来,医療行為は合法的ではあっても,人体に侵襲を加える危険な行為であること.医療行為の選択肢はいくつも考えられますが,患者さんにできることはひとつしかなく,それを決めなければならないこと.しかし,何が正しいか,前もってだれにも解らず結果は思い通りにはいかないからであると考えることができます.だからこそ,倫理という観点で,症例ごとに,前もってどのような医療を行えば適切か,だれもが納得できる方策を皆で考えてゆくことが必要となってきます.

図01

III.医療倫理
倫とは,たぐい,仲間,みち,筋道.理とは,おさめる,ことわり,けじめ,すじみち,という意味で,あわせて,倫理とは,人が組織や社会の中で進むべき道,組織や社会の中で人を守るための約束事と理解することができます.古くは,中国古典,老子の「道(タオ)」3)に通じる領域であるとも考えられます.
ここで,倫理と同じような意味合いの言葉に,道徳と法がありますので,三つの違いを考えてみます.倫理(Ethics)は,どのような行為が適切かを判断します.人間の集団,組織,社会における事例ばかりです.判断には理由が伴います.違反をすれば,社会的な制裁を受けることになります.道徳(Morality)は,どのような行為をしてほしいか(誠実であるか,礼儀をつくしているかなど,意思や心情を規律),個人や家庭内のことであり,文化に根差していると思います.法(Law)とは,何が正しいのかではなく,どのような行為が正しくないのかなど,秩序維持の規範であると考えられます.違反をすれば,罰則を伴い強制的に処罰されることとなります.ここでの比較からお解りのように,地球上のどの国においても,集団や組織,企業,病院,社会の中などで,人間が関係して起こる事例は,まずは,すべて倫理的問題と考えることができます.
医療の現場で,様々な医療問題に対し,医療倫理を判断する上での原則5項目を示します4) 5)
1.患者さんの意思決定を尊重すること(Respect for autonomy)
2.患者さんへの害は最小とすること(Nonmaleficence)
3.患者さんへの利益となること(Beneficence)
4.公平な正義の分配であること(Justice,Fairness)
5.患者さんに誠実であること(Integrity)
この医療倫理を判断する5項目を解りやすく一文でまとめますと,「日常診療の場において,医療を受ける患者,患者の関係者,様々な医療職専門者間の立場や考えの違いから生じる様々な問題に気付き,分析して,それぞれの価値観を尊重しながら,関係する者が納得できる,現時点で患者さんにとって最善の解決策を模索していくこと」となります.そこで,具体的にがんの外科治療の現場で倫理の観点から判断し行動することについて述べます.現時点において,確実な診断のもと,適切と考えられる治療選択肢かどうか,他の治療法(抗癌剤治療,免疫チェック阻害剤治療,放射線治療,温熱療法,緩和治療など)との比較,過去のエビデンス,患者さんの心身状態,保健医療制度などを考慮し,医師が,それだけの力量をもっているかどうか,資格,知識,技術,経験,施設の設備,医療水準などを考慮します.よくよく考えてみますと,毎週行っている治療前カンファレンスは,定期的に倫理委員会を開いているようなものです.
しかし,現実には,カンファレンスでの議論は,多忙を極める日々の診療の中で意を尽くしたものとはならず,正式な倫理委員会で議論しなければならない事例も出てきます.そして,治療が一段落つけば,患者さんの術後のケアや転院先も含めて,各部署が連携して,患者さんと相談し,適切なフォローアップを考えてゆくことになります.今後も,各診療科,各部署で関係者がしっかりと議論をしてほしいと思います.

IV.生命倫理
ここからは,医療倫理の枠を越えて,生命倫理(Life ethics)4) 5)という観点で具体的問題点を考えてみます.大きく四つに分けることができます.
1.これまで述べた医療を巡る問題(Biomedical ethics)
2.生命科学研究をめぐる問題 (Bioethics)
3.生物の生態系と環境をめぐる問題(Environmental ethics)
4.人間の生存と社会的・経済的・政治的要因に関する問題(Global bioethics)
一つ目の医療をめぐる問題(Biomedical ethics)は思い浮かべるだけでもたくさんあります.患者の権利,説明と同意,守秘義務,エホバの証人と輸血拒否,宗教虐待,脳死,臓器移植,尊厳死,出生前診断,人工授精,クローン生殖,医療過誤,医薬品被害,高齢者問題,ヤングケアラー問題,子宮頸がんワクチン問題,性病問題などです.この中には,法律によって認可,あるいは規制されている項目もありますが,個々の患者さんにどのように対応するのか,実際に施行するのかどうか,それが患者さんに本当に良いことなのかどうかは倫理と言う観点から議論されることになります.
二つ目に生命科学研究をめぐる問題(Bioethics)について述べたいと思います.遺伝子診断,遺伝子治療,再生医療,同性生殖研究,個人情報,生物学的特許,動物の権利,臨床試験,医学研究の不正,利益相反,生成AIの利活用などがあげられます.
医療倫理,生命科学研究倫理に関して,これまでの規則について示します.最も古いものが,紀元前4世紀に記されたヒポクラテスの誓いで,医師の倫理・任務について述べられたものです.ジュネーブ宣言は,ヒポクラテスの誓いの精神を現代文化したものです.ニュールンベルグ綱領は,人間を被験者とする研究に関する倫理原則です.最も有名なヘルシンキ宣言は,人間を対象とする医学研究の倫理指針です.ベルモントレポートは,人体研究における対象者保護のための倫理原則です.リスボン宣言は,患者の権利,自己決定権に関する指針です.
三つ目に生物の生態系と環境を巡る問題(Environmental ethics)について示します.環境汚染,受動喫煙,食の安全問題,食品被害,遺伝子組み換え食品,感染症パンデミック,地球温暖化,森林破壊,プラスチックごみ問題,宇宙ごみ問題,動物虐待,ブッシュミート問題,環境中の遺伝情報など,どの項目も重大な問題ばかりです.
四つ目に人間の生存と社会的,経済的,政治的要因に関する問題(Global bioethics)について示します.少子化問題,子供の自殺問題,児童虐待問題,人種差別,貧困問題,トランスジェンダーの戸籍性別と結婚問題,共同親権問題,最高裁の裁判記録廃棄問題,戦争(内戦,国家間),人への拷問など,人間の生存に関わる深刻な問題ばかりです.
ここまで述べた生命倫理問題の数々は,今のままで良いのか.もっと適切な方策はないのか.本当にそれで良いのか,と考えれば解決への道筋が理解しやすいのではないかと思います.しかし,前もって正解は解らず,現実には,考え方や思想,文化が異なる様々な方の思惑が交錯して,なかなか解決への道筋が見出せないのも確かです.今後,生命倫理問題が科学研究によって解決できるよう,エビデンスの積み重ねが望まれます.

V.わが国における倫理教育
 丹波康頼の「医心方」の編纂から理解できることは,平安の時代より,医療倫理の精神は,時を経てもわが国の医療人の心にしっかりと根付き,現在まで受け継がれてきているということです.また,広くわが国の社会に目を向けても,仏教よりも早く日本に伝えられた儒学の四書五経による倫理の考え方が学ばれ続け,特に江戸時代に入ってからは,全国の各藩に藩校が設立されて,儒学に基づいた倫理の精神が広く浸透してゆきました.よく知られている倫理教育について紹介します.
薩摩藩では,戦国時代の1587年,17代藩主島津義弘の命で郷中(ごじゅう)教育6)が始まったとされています.郷中とは武士の居住地区(方限(ほうぎり))内に設けられた青少年(6~25歳)の自治組織で,山坂達者,武道修練で体を鍛えるとともに,忠孝実践,うそを言うな,負けるな,弱い者をいじめるな,そして四書五経を通して,解り易い言葉で人の生きる道(倫理)を学んだとされています.薩摩藩からは,幕末には,西郷隆盛,大久保利通,大山巌らの明治の元勲とともに,海軍軍医総監で東京慈恵会医科大学を創立した高木兼寛7)を輩出しています.
会津藩では,1750年,第5代藩主松平容頌(かたのぶ)の命により,什(じゅう)の掟と呼ばれる倫理規則8)が制定され,藩校日新館に入学する前から,倫理教育が続けられました.
一,年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
二,年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三,虚言(うそ)を言ふ事はなりませぬ
四,卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五,弱い者をいぢめてはなりませぬ
六,戸外で物を食べてはなりませぬ
七,戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
この規則から,年長者への尊敬の念,自律の心,仲間への思いやりの心が育くまれ,明治に入って,会津藩の倫理教育から山川浩9),山川健次郎10),山川捨松11)兄弟や山本八重12)(新島襄夫人)らを輩出しています.山川浩は,明治政府の陸軍少将を務めるとともに高等師範学校(現:筑波大学)の校長も兼任し,わが国における教育体制の確立に尽力されました.山川健次郎(物理学専門)は,九州帝国大学初代総長,のちに東京帝国大学総長となり,京都帝国大学総長も兼務されています.山川捨松は薩摩藩の大山巌の夫人となり,明治の代に入り,旧薩摩藩,旧会津藩の隔和を図るとともに,津田梅子が設立した女子英学塾(現津田塾大学)の運営に協力し,女子教育,看護婦教育に尽力されました.新島八重は新島襄とともに,同志社大学,同志社女子大学の設立に尽力されました.
奇しくも,薩摩藩と会津藩,両藩は明治維新の戦いの中で最も激しい戊辰戦争で相見えることとなりました.戦の歴史では,勝者が常に正義であるということは世の常でありますが,戊辰戦争が始まった経緯,戦争の実情,そして事の顛末を考えますと,両藩における人々の戦争後の生き方には深い感銘を覚えます.それは戊辰戦争が,両藩それぞれで長い時間をかけて続けられた倫理教育によって築き上げられた,崇高な信念どうしの戦いであったからではないかと考えることができます.
現在,自然科学研究の広がりによって,わが国の高等学校において,倫理で判断する領域に関する授業の拡大は必要かという議論がなされています5).確かに,中学校では1969年の学習指導要領改訂で「公民」が,高等学校では1963年から「倫理・社会」,1982年からは「公民」が科目として登場していますが,これらはすべて授業時間数も少なく,重要科目とはみなされていません.中学校・高等学校の授業で扱う内容は,受験勉強でもありますので,すべてに答えがあり,正しい答えにどのように到達するかを教育することであります.一方,科学研究は,答えがあるのかどうかもわからず,また,答えに至るためにはどのような実験や観察をすればよいかも,その「正解」はだれにもわからないことであります.指導者はただ,科学研究の基礎的な手法や倫理的な問題を指摘することしかできません.授業でも,問題の解き方を生徒に質問されて答えられないなどの理由で,その授業を進めることの難しさが指摘されています.それでも,中学校,高等学校で倫理に関する授業を行うことの意義は,(1)将来,科学者を志望する生徒が,社会や自然の中で科学のあるべき姿について考察し,科学者としての資質を養うこと.(2)科学技術の革新がもたらした,身体,生命,環境に対する影響を倫理的側面から学習すること.(3)法と倫理のあり方について考察すること.(4)最新の先端技術を理解し,科学者の新しい役割と将来像について考察することとして,一部の高等学校では,授業のカリキュラムに課題研究が組み込まれ,放課後の部活動とリンクされる形で,アクティブラーニング教育の一環として自然科学の探究活動に取り組んでいます.
社会に目を向けてみますと,古くは,福島原子力発電所事故問題13)をはじめ,最近では,政党や企業による裏金問題,知事学歴詐称工作問題,知事パワハラ職員自殺問題,県警不祥事隠蔽問題,高速船浸水隠し運航問題,自動車認証不正問題など,事例の当事者には政治倫理,行政倫理,企業倫理,組織倫理や社会倫理の認識が完全に欠落しているのではないか,軽視しているのではないか,としか考えられない事例が頻発しています.そして,どの事例においても,当事者自らは何の問題もない,あるいは道義的責任が何なのか解からないなどと,悪びれもせず述べています.先に示しましたように,これらの事例は人の命の尊さを思い,国民の幸福に貢献しなければならない領域の問題であり,生命倫理に包括される問題と考えられます.私の個人的意見としては,日本の将来を考えますと,高等学校と言わず,小学校,中学校からでも,解り易い言葉でこれまで以上に倫理教育に力を入れることが是非とも必要であると考えています.

VI.外科医の教育
ここからは,若い方々が倫理観あふれる医療人となるために為すべきことについて述べます.生涯に亘って,一生懸命勉強して,確実な手技を習得し,人格を磨くこと,となりますが,特に人格を磨くにはどうしたらよいのか,が最も難しい点だろうと思います.米国では,外科専門医に求められる12ヶ条というものが伝えられています.米国で,外科のレジデント,スタッフをされていた九州大学第二外科の先輩(昭和40年入局)からお聞きした内容です.
1.Appearance/身なりの正しさ
2.Attitude/謙虚な姿勢
3.Mind & Heart(Honeset, Obedient)/誠実さ
4.Communication/対話能力
5.Presentation(Brief & Succinct)/簡潔な説明
6.Documentation/正確な記録
7.Reading & Knowledge/生涯学習
8.Clinical judgment(Decision making)/決断力
9.Technique(Slow & Steady, Anatomical)/確実な技術
10.Complications/合併症に対する対応
11.Autopsy/自分が行った医療行為の真実に立ち向かう勇気
12.Patient’s privacy/守秘義務
この12ヶ条が持つ意味は,日々の医療現場で,真摯な姿勢で患者さんに向き合い,患者さんの心に寄り添い,患者さんから信頼を得て,外科医療に一生懸命取り組むことで,人格が磨かれ,立派な外科医が育成される,ということを示したものであると思います.
そして,この12ヶ条をよく見ると,知識の修得や手技の習得よりも,人格形成に関する条項が上位に位置していることがわかります。
さらに私が考えますに,もう1点大事な点は,基礎科学研究に従事することであると思います.基礎科学研究に従事するとは,(1)世界の医学雑誌を熟読する.→現在,何が問題で,人は何を考えているのかを理解する.(2)研究計画を立て,実行する.→自分で考え,手を動かさないと何も進まないことを理解する.(3)自分の思い通りのデータは出ない.→生命現象のからくりは解らないことだらけであることを理解する.(4)努力を積み重ね,共同研究者の協力を得て,データを蓄積する.→自分の力の限界を知り,仲間の協力の有難さを実感する.(5)真実に近いところに到達したデータを基に,考察して論文を作成し,第三者の評価のもと雑誌掲載となる.九州大学においては,公開発表会において,質疑も含めて,論文の内容が厳しく審査され,博士号が授与されます.以上の過程を経験することによって,知識の修得と手技の習得とともに,生命現象と生命の尊厳への深い理解,そして創造力,思考力,洞察力,判断力,決断力が備わり,病態の本質を見抜き,問題を解決してゆく能力,倫理を判断する力が養われる,と考えることができます.
具体的に基礎科学研究の対象となる人間の体のサイズを考えてみます.人間の体は50兆(5×1013)個の細胞よりできています.1個の細胞は,22対+XY(XX)=46の染色体(DNA)を持っています.1個の細胞に含まれる46染色体を一対のDNAの糸にすると,2mになります.1個の細胞には,2万(2×104)個の遺伝子が存在しています.これらの数字を基に,人間の体における数字の上での壮大さと多様性を考えてみますと,人間の体は46×5×1013=2.3×1015(2千3百兆)個の染色体を持つことになり,2×104×5×1013=1×1018(10京)個の遺伝子を持つことになります.人間の体に含まれる染色体すべてを一対のDNAの糸にすると2m×5×1013=100兆mになります.100個のがん関連遺伝子があり,そのうちの10個が変異をおこして癌化したと仮定すると,遺伝子学的多様性は100C10=1.7×1013 (17兆)通りとなり,同じ癌腫であってもその生物学的特性は大きく異なってきます.地球上の人口は81億人,地球一周は4万kmでありますが,人間の体の方が,はるかに壮大な数字に満ちています.よって人間の体は解らないことだらけの,小さな宇宙であるとも表現できます.われわれには医療の現場で,人間の体という小さな宇宙の中で起こった事例への適切な対応が求められているのです.
ここで,大江雲澤が記した医則を紹介します14).大江雲澤は江戸後期の大分中津藩の藩医で,華岡青洲の弟である華岡鹿城が開いた家塾合水堂で学んだ方です.大江雲澤は華岡青洲が麻酔薬の通仙散を開発し,近代外科学の歴史の中で,世界で最初に全身麻酔下,乳房切除手術を成功させた過程15)を見て,医則の第一則に,「医は仁ならざるの術,務めて仁をなさんと欲す」と記しました.患者さんに良かれと思って,開発に成功した麻酔薬であっても,今で言う,臨床試験の過程で華岡青洲の母於継の死,妻加恵の失明という大変な事態を招いてしまう.よって,医療とは決して仁と言える行為ではない.だからこそ,驕ることなく謙虚に,医療が仁となるような日々の努力が必要なのだ,という意味です.医療が仁となる努力こそが,倫理の実践であると考えることができます.

VII.おわりに
最後に,先日放送されたNHK教育番組「世界史:世界宗教 誕生の条件」が,興味深い内容でしたので,お伝えしたいと思います.
紀元前6世紀ペルシアで生まれたゾロアスター教(拝火教)の教義は,シルクロード経由で,中国に伝わり,仏教の教義に取り込まれ,奈良時代にわが国にも伝えられました.拝火に関しては,奈良東大寺のお水取りや京都五山の送り火として,現在に至るまで伝統の行事として続けられています.核心をなす教義については,ゾロアスター教では,人として倫理観を醸成し,身に付けることが一番に求められていたとのことでした.丹波康頼の言葉で言うと「惻隠の心」(図1),現代語で解り易く言うと「人への優しさと思いやりを身に付けること」,であると言えます.前述した,米国の外科専門医に求められる12ヶ条と照らし合わせると,1~3の条項に相当するのかもしれません。よって,冒頭でお話しした丹波康頼による「医心方」の編纂は,信仰に根差した丹波康頼の高い倫理観によって成し遂げられたものと理解することができます.そして,千年前には「医療倫理」という言葉はありませんでしたが,今と変わらぬ医療の心で,これまで連綿と医療が継承されてきたことになります.これからも,医療関係者全員が倫理観と高い見識を身に付けて,一丸となって患者さんに喜んでもらえるような良質な医療を続けてほしいと願っています.

図01

VIII.追記
人はだれしも,いつかは自分の職責を辞する時,退任する時が必ずやってきます.その時,それまでの責務の重さや務めてきた内容の彩りには,各人で大きな差があるのは仕方のないことではありますが,それでも各人が心の中で,密かに自分なりの「有終の美」で終えたという,人生の充実感を持てることができれば,それは職責の理想の終わり方であると思っています.確かに「有終の美」は,他人が判断することであり,自分が自分を高く評価するなどおこがましいと思われるかもしれませんが,その後の人生を生き抜いてゆく上で,大きな心の支え,心の糧となるに違いありません.
陳舜臣が著した「中国名言集 弥縫録」16)に「有終の美」の件が出てまいります.『易経の六十四卦の中の地山謙の意味は,高い山なのに,低い地面にいるようにみせる謙虚さをあらわすという.この卦の解釈は一謙は亨る,君子有終,吉,となっている.謙虚,謙遜,謙譲は美徳であって,世の中をスイスイとまかり通ることができ「有終」つまり,終わりを全うするというのだ.これが「吉」であるのは言うまでもない.有終の美を飾る秘訣は「謙」にありと教えているのだ』とあります.
あえて,謙虚を別の言葉で表現するなら,人格を磨く努力と理解することができます.医療だけではなく,すべての領域において,これまで述べてきたように,生涯にわたって学問の修得と技術の習得に努力し,そして,人格形成の努力17)を続けることが,その人なりの心満たしてくれる「有終の美」を実感できることに繋がるものと信じています.いわば,NHKテレビ番組「(新)プロジェクトX~挑戦者たち~」の主人公のような生き方であると考えることができます.この世に生を享けたすべての人が,「人生をいかに生きるか」を問われているようにも思います.

 
利益相反:なし

このページのトップへ戻る


文献
1) 荒井 保男 :医の名言.中央公論新社,東京,1995.
2) 丹波 康頼 :医心方.槇佐和子全訳精解,全30巻,33冊,筑摩書房,東京,2012.
3) 加島 祥造 :「老子」新訳.地湧社,東京,2013.
4) 土屋 貴志 , 丸山 マサ美 , 土田 友章 ,他:医療倫理学 第2版.丸山マサ美編著,中央法規出版社,東京,2009.
5) 青木 清 , 丸山 マサ美 , 川勝 和哉 ,他:バイオエシックス その継承と発展.丸山マサ美編著,川島書店,東京,2018.
6) ウィキペディア.2024年9月12日. https://ja.wikipedia.org/wiki/郷中
7) 吉村 昭 :白い航跡(上)(下).講談社文庫,東京,2009.
8) 會津物語.2024年9月12日. https://aizumonogatari.com/yae/material/367.html
9) ウィキペディア.2024年9月12日. https://ja.wikipedia.org/wiki/山川浩
10) ウィキペディア.2024年9月12日. https://ja.wikipedia.org/wiki/山川健次郎
11) ウィキペディア.2024年9月12日. https://ja.wikipedia.org/wiki/大山捨松
12) ウィキペディア.2024年9月12日. https://ja.wikipedia.org/wiki/新島八重
13) 杉本 泰治 , 福田 隆文 , 森山 哲 ,他:第六版 大学講義 技術者の倫理入門.丸善出版,東京,2024.
14) 川嶌 眞人 :一隅を照らす,これ即ち国宝なり,梓書院,福岡,2024.
15) 有吉 佐和子 :華岡青洲の妻.新潮社,東京,1970.
16) 陳 舜臣 : 中国名言集 弥縫録.中央公論新社,東京,1986.
17) 幸田 露伴 : 努力論.岩波文庫,東京,1940.

このページのトップへ戻る


PDFを閲覧するためには Adobe Reader が必要です。