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日外会誌. 125(5): 385, 2024

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Editorial

医療と政治・経済―中米最貧国ホンジュラスから見える日本の現状

東京大学小児外科,ホンジュラス国立自治大学附属教育病院 

中原 さおり



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現在,私は理由あって中米ホンジュラスに在住している.医療を含む様々な分野における開発支援,母子手帳普及やバースコントロール,成人病予防などに対する啓蒙活動などに関わりつつ,当地の大学病院小児外科で臨床現場に参加する機会を得て間もなく2年になる.日本では気づかなかった「当り前のこと」について考える機会も多く,この場を借りて共有したい.
ホンジュラスの人口は約1,060万人,2024年の国の名目GDPは世界189か国中102位(日本4位),国民一人当たりのGDPは約3,040ドルで日本の約1/11である(141位,日本37位,2022年).貧困率は60%を越えており貧富の差が激しい.このような国では,長期的なインフラ整備や一般国民の医療・福祉に回る財源は乏しく,世界各国からの開発・人道援助によりなんとかその日その日の暮らしが成り立っている感が強い.
具体的には,この国最高学府の大学病院は築60年が経過しており,その老朽化は激しく,壁,床の至るところでペンキやタイルが剥がれ,天井が落ちている.手術室の扉は閉まらず,ガス滅菌装置も壊れたまま.手術に使用する針糸にも窮乏し,14才の閉腹時皮膚縫合も残っていた6-0で行われたりする.国からのサプライが最も滞った時には,呼吸困難で挿管の必要な乳児に対し,点滴バッグ一つ無いという状況で,呼吸苦で喘ぐ乳児を目の前に何もできることがなかった,と当直明けの小児科医は涙をこぼしながら私に語った.なんと悲しい現実であろうか.医師達のモチベーションは高く,貪欲に最新の技術やトピックについて学んでおり,材料さえあればグローバルスタンダードな医療を提供できるにも関わらず,である.
日本の医療現場では,病院の経営状況や自科の「売り上げ」を意識することはあっても,国の政治や経済の故に意図した治療ができないなど想像したことすらなく,ひたすら最高水準の治療に邁進するのがわれわれの努めという環境にあったが,そのありがたさに気づかされた.当然のことではあるが,医療はわれわれの努力だけではなく,政治・経済・社会構造によってこそ守られているという認識をもった.また同時に,いつの間にかわが国の国民一人当たりのGDPは今や37位にまで下がっていることにも目を向けるきっかけとなった.2030年には医療・福祉事業は製造業を越え,2040年にはわが国の最大産業になると試算されているようであるが,その原資は国民の負担金から支出されるわけであり,いわゆる「儲け」を生じるわけではないので,今後,日本経済はますます厳しい状況となることが予想される.
日々の職務に忙殺される毎日ではあるが,われわれ医療者は,自分達の知識や技量を生かし職務を全うするためにも,今後このような社会状況にも目を向け,医療・福祉の効率化や将来にわたる安定した財源確保などについて,現場からコミットしていく意識も重要であると考える.そしてそれは,特にわれわれ年長者の役割の一つであると自覚する.

 
利益相反:なし

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