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日外会誌. 125(3): 191, 2024

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Editorial

考える外科医

日本医科大学 内分泌外科

杉谷 巌



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最近,甲状腺癌の世界では「過剰診断・過剰治療」が話題になっている.死亡率の減少を伴わない罹患率の上昇を指し,先進諸国で共通して認められる.その主因は超音波検査の精度向上と様々な理由で検査を受ける機会の増加であるとされ,従来であれば臨床の場に供されることのなかった潜在性の乳頭癌の偶発的な発見が増えたためと解釈されている.実は超音波検査を世界に先駆けて甲状腺結節の診断に用いたのは,わが師,藤本吉秀先生(1926~2016年)であった.しかし,ほどなくして藤本先生はその有用性がはらむ過剰検査の危険性に警鐘を鳴らし,「マス・スクリーニングにおいて超音波検査を用いることには益がない」ことが日本の内分泌外科医の共通認識となった.そのため,わが国における甲状腺癌罹患率の上昇は諸外国と比較すると,なだらかなものになっている.自ら開発した新技術を無闇に推し進めるのではなく,益と害のバランスを客観的に評価し,発信したことは,先生が常々仰っていた「考える外科医」の在り方を後進に伝える偉大な態度であったと思う.
一方,甲状腺癌,中でも超低リスクの乳頭癌に対する過剰治療対策として,即時手術を行わずに,定期的に超音波で経過観察する「積極的経過観察」の前向き臨床試験が,1990年代に日本の2施設でそれぞれ独立して始まった.神戸の隈病院(宮内昭先生)と私が働き始めたばかりの東京の癌研病院(現,がん研有明病院)においてである.当時のIRBでは「癌を放置するとは何事か」,「外科医が手術を放棄してどうする」といった意見を頂戴し,まともに返答できなかった私の後ろから,藤本先生が研究の妥当性を理路整然と述べてくださったことを忘れることはない.おかげで研究は無事遂行され,超低リスク乳頭癌の積極的経過観察は世界のガイドラインで受け入れられる管理方針となった.今では様々なシーンで“Less is more”な態度がグローバルなトレンドになり,これまでの診療方針のde-escalationがエビデンスを持って主張されるようになったが,その源流が日本の「考える外科医」たちにあったことは誇らしい.自分が当時の藤本先生の年代に近づいた今,その哲学を後輩たちに伝えたいと思うが,好奇心を抱き続けるには相当なエネルギーと相応の心の余裕が必要である.
ところで,米国では医療におけるdisparitiesが問題となっている.人種,教育,収入,保険制度等に複雑な事情を抱える米国ならではの課題かとも感じるが,対岸の火事ではないかもしれない.日本内分泌外科学会が会員を対象に行った2019年の調査では,超低リスク乳頭癌の積極的経過観察の普及率は,非専門医施設,マンパワーの少ない施設,そして大都市圏以外の施設では低いことが示されている.医療者および被医療者のリテラシーを向上させるために,「考え行動する外科医」でありたい.

 
利益相反:なし

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