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日外会誌. 124(3): 289-290, 2023

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会員のための企画

医療訴訟事例から学ぶ(132)

―医療事故調査報告書に基づきESDの適応が否定された事例―

1) 順天堂大学病院 管理学
2) 弁護士法人岩井法律事務所 
3) 丸ビルあおい法律事務所 
4) 梶谷綜合法律事務所 

岩井 完1)2) , 山本 宗孝1) , 浅田 眞弓1)3) , 梶谷 篤1)4) , 川﨑 志保理1) , 小林 弘幸1)



キーワード
ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術), 適応, 胃癌, 医療事故調査制度

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【本事例から得られる教訓】
医療事故調査制度に基づき作成された調査報告書は,訴訟になればほぼ間違いなく証拠として提出される.調査報告書を作成する際は,遺族側と紛争に発展する可能性も意識し,病院の主張にブレが生じないよう,厳格に調査した上で作成したい.
1.本事例の概要(注1)
今回は,ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)の適応がないにも拘わらずESDを実施し,患者が死亡した事案である.今回この裁判例を紹介したい一番の理由は,医療事故調査制度(注2)に基づく調査報告書の内容に沿って,医師の過失が認定されたという点にある.医療事故調査制度は個人の責任を追及する目的の制度ではないことから,調査報告書を基に医師の法的責任が認定された裁判例としては稀ではないかと思われる.
患者(事故当時84歳・男性)は,消化管出血等の疑いのため,平成30年4月4日および4月13日に本件病院(以下,「病院」)で,造影CT(腹部・骨盤),上部・下部内視鏡を受検し,胃に腫瘍が認められたため生検が実施され,平成30年4月25日,病院で胃癌疑い(病理検査:Group4)等と診断された.その後,腹部超音波・胃透視検査等を受け,ESDを受ける方針となった.なお,担当医は,本件がESDの適応外であるとして患者に説明しているが,患者が内視鏡術を強く希望したためにESDが実施されたという事情がある(詳細は,紙面の都合上割愛する).
平成30年7月18日の13:24,ESDを開始した.担当医は13:52から,切離面に太い血管が何度も確認されたため,止血をしながら施術を継続した.
15:00頃から,大きなしこり部分の切除を開始し,16:20頃,血圧が86/53mmHgに低下,これを出血のためと判断し,ボルベン輸液(循環血液量の維持に用いる薬剤)の急速投与が開始された.16:25には血圧が103/40mmHgと回復したことから,ESDを継続した.
18:00頃から血圧が急速に低下し,18:07には胃の穿孔が確認されたが,担当医は,18:43の採血結果からHb値が10.4g/dlであった等から,出血量は多くないと考え,直ちに輸血する必要はないと判断した.なお,前記18:43の検査結果にはエラー表示がされていたが,担当医はこれを見落としていた.
19:15,血圧は68/20mmHgと急激に低下したが,担当医は鼠径部の脈拍が触知できることを確認した上で,補液をしながら続行した.
20:00頃の採血の結果,Hb値が4.5g/dlと急速に貧血が進行し,担当医は輸血が必要であると判断,輸血は21:30に病院に到着した.担当医は輸血により血圧が徐々に回復していることを確認,22:25に止血を確認し,Hb値が8.4g/dl等に改善したことを確認して,22:54,患者を内視鏡室から病棟へと移送した.患者は帰室後も低血圧状態が続き,輸血等が行われた.その後,胃カメラで複数箇所から細やかな出血があることを確認し,内視鏡で止血したが,翌日の平成30年7月19日の01:29に心停止,蘇生処置を行ったが,02:44,死亡した.
【医療事故調査制度に基づく報告書について】
本件事故については,医療事故調査制度の対象と判断され,病院に調査委員会が設置され,事故調査が実施された上で報告書が作成された.
報告書において,ESDの適応は否定された.胃癌の切除・治癒の可能性の点からはESDの拡大適応はあったかもしれないが,①本件病変が約9ないし10cmと非常に大きな腫瘍であること,②術前の造影CTにおいて異常に太い腫瘍内血管が認められたため,内視鏡治療で摘除することは極めて困難であると考えられたことの他,患者の耐術面,易出血性および術後の経過(潰瘍治癒瘢痕,蠕動障害)等を踏まえると,総合的にESDの適応はなかったとされた.
2.本件の争点
主な争点は,ESDの適応の有無であった.
3.裁判所の判断
裁判所は,調査報告書では,ESDの適応はなかったとされ,患者の主張に沿う見解が示されていること,一方で病院はこれに対して積極的に反論していないことを指摘し,調査報告書に示された見解は,医学的知見(ESDに係る各ガイドライン等)や本件の診療経過等に即したものである等と述べ,基本的に報告書の内容を採用することが相当であるとした.そして,概ね報告書の内容に沿った認定をし,本件ESDは適応を欠くものであったとして医師の過失を認定した.
4.本事例から学ぶべき点
病院は,ESDの適応はあったとして争っているが,上述の通り積極的な反論をしていなかったようである.その理由は判決からは明らかでない(判決には事件の全てが記載されるわけではないため,病院側に何らかの事情があった可能性もある).
最近,事故調査報告書に言及した裁判例が幾つか出てきたように見受けられるが,本制度の施行から7年超が経過していること,事故から訴訟の判決までは通常数年はかかることを考えると,想定内ともいえる.このような現状を踏まえた時,本事例は,調査報告書を作成する際の病院の心構えを学ぶ重要な教訓になるものと考える.
遺族側と紛争に発展してしまった際に,病院が調査報告書の内容と異なる主張を行うことは,病院に他意はなくても遺族の不信感を招き,訴訟になれば裁判所の印象もよくない.従って,調査報告書を作成する際には,その後に医事紛争化する可能性も意識し,病院の主張がぶれずに一貫性を保てるよう,厳格に調査した上で報告書を作成する必要がある.調査制度に沿った調査の実施と報告書の作成について,病院は膨大な作業を強いられる.そのため,その後の紛争化の可能性についてまで意識が回らないことも少なくないと思われるため,改めて留意したい(もし,調査報告書の内容と病院の見解が異なるような特段の事情がある場合には,報告書にその旨を明記等すべきであろう).
なお,本制度はあくまで再発防止が目的の制度であり,個人の責任追及の制度ではない.時折,報告書の内容が医師の過失の有無に終始しているものをみかける.本制度の目的を十分に意識したい.

 
利益相反:なし

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引用文献および補足説明
注1) 東京地裁 令和3年8月27日判決.
注2) 平成27年10月1日から施行された医療法に基づく事故調査制度.①医療起因性のある,②予期せぬ死亡または死産が対象.一般社団法人医療安全調査機構(支援センター)に報告し,調査を実施し,調査結果を遺族に報告することになっている(医療法6条の10以下等).

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