日外会誌. 124(2): 163-167, 2023
特集
糖代謝異常と外科医療
3.糖尿病患者の術前評価と手術リスク
山梨大学 第一外科 庄田 勝俊 , 河口 賀彦 , 赤池 英憲 , 市川 大輔 |
キーワード
糖尿病, 外科治療, 術前評価, 手術リスク
I.はじめに
糖尿病はわが国の10人に1人が罹患する疾患であり,糖尿病有病率増加に伴い手術施行症例における糖尿病合併率も20%に上るとされ,糖尿病患者の術前評価や手術リスクについて理解しておくことは外科医にとって重要である.術前には血糖コントロール状況を把握するとともに,糖尿病に関連した疾患(microangiopathy:網膜症,腎症,末梢神経障害,macroangiopathy:虚血性心疾患,脳血管障害,閉塞性動脈硬化症)の存在を評価する.糖尿病患者が手術を受けた場合,非糖尿病患者と比較し術後合併症が多い.周術期の高血糖は白血球遊走能,貪食能の低下による易感染性をきたすとされ,術後感染症のリスクを増加させるばかりでなく,急性腎不全や心筋梗塞,脳血管障害などの血管イベントの発生も増加させる.一方,低血糖も周術期合併症を増加させる.特に胃切除では,術後低血糖のリスクが増加することを理解して血糖管理を行う必要がある.つまり,手術の緊急度や侵襲性と血糖管理状況,合併症状況とを総合的に判断し,適切な術前血糖管理を行った上で手術に臨む必要がある.
本稿では糖尿病患者における周術期血糖管理の必要性や術前の評価項目,管理目標値,糖尿病治療法ごとの具体的な血糖管理方法について述べる.
II.糖尿病患者に対する術前評価
外科手術の適応となる糖尿病患者が受診された際に評価すべき項目について表1に示す.これらの評価は可能であれば外来で行う.糖尿病型としては2型が大多数であるが,周術期に低血糖やケトアシドーシスを合併しやすい1型糖尿病であるかどうかを知ることは重要である.1型糖尿病患者の殆どが既に自身が1型であることを認識しているが,病型がはっきりしない場合は糖尿病専門医へのコンサルトを要する.インスリン使用患者,特にインスリン強化療法を施行されている患者は周術期の絶食で低血糖などの合併症を起こしやすい.HbA1cは過去1〜2カ月間の平均血糖値を反映しているため,手術直前の病勢と相違がある可能性について留意する.また,悪性疾患や出血などにより貧血が進行している場合には偽低値をきたすことがある.可能であれば,血糖自己測定値やグリコアルブミンなども参照し周術期の血糖管理方針を決定する.活動性の網膜症を合併した患者に対しインスリンを使用した急激な血糖管理を行うと網膜症の悪化をきたすことがあるので注意が必要である.糖尿病は心血管イベントのリスクが高く,周術期イベント発生予防のため,術前に心疾患に関する評価も必要である.術後のインスリン導入や自己血糖測定の必要性が想定される場合には術前に準備も進める.膵切除や胃切除のように術後血糖コントロールの悪化し得る場合には事前に患者家族に説明し,術前から自己注射や血糖測定の準備を進める.糖尿病患者に胃切除を行うと,術後は術前より平均血糖値は低下し血糖変動も高度になるため,低血糖のリスクが高まる.また,術前評価の結果手術の延期を考慮した方が良い場合もある.Association of Anaesthetists of Great Britain and Irelandは緊急性の低い待機手術において術前HbA1cが8.5%以上の場合には血糖コントロールが改善するまで手術を延期する,としている1).糖尿病性ケトアシドーシスや高浸透圧高血糖状態はそれ自体が緊急性を要する病態であるので緊急手術でなければ数日間は入院管理をした上で治療を検討する.
III.周術期の血糖コントロール
実臨床では最初からインスリン強化療法を施行せず,まずスライディングスケール法が用いられることが多い.スライディングスケール法は血糖値が不安定な術直後には有用であるが,高血糖が持続する場合は漫然と継続することは避け可及的速やかに,基礎インスリンと追加インスリンを用いるインスリン強化療法に移行することが重要である2).周術期血糖コントロールの目標値については十分に確立されたものはない.厳格な血糖管理が有用とする報告と,低血糖のリスクがあり有害であるという報告が混在し,現状では各学会が独自にガイドラインを作成している.日本糖尿病学会は周術期血糖コントロール目標に関する明確なガイドラインは作成していないが,「糖尿病専門医研修ガイドブック」では表2のように基準を設定している(表2)3).Society of Ambulatory Anesthesiaのconsensus statementでは術前血糖管理が良好な患者は手術中の血糖値<180mg/dLを目標とするが手術侵襲度などを考慮して目標血糖値を設定するとしている4).American Diabetes Association(ADA)や米国内分泌学会のガイドラインでは血糖値を140〜180mg/dLに維持することを推奨している5)6).ガイドラインの根拠となる主要な臨床試験の一つにNICE-SUGAR studyがある7).NICE-SUGAR studyはICU患者6,104例を対象としたランダム化比較試験で強化療法群が従来療法群に比べて90日後の死亡率が有意に高い結果であり,厳格な血糖コントロールが必ずしも術後生存率を改善しない可能性が示された.低血糖が重症心血管リスクと関連があることも報告されており,糖尿病に長らく罹患している患者では低血糖を避けることが重要である8).
胃癌手術の際に,Roux-en-Y再建を施行した場合,術前と比較して平均血糖値が低下することは知られているが,近年高度肥満症患者に対する効果的な減量手段としての代謝手術(metabolic surgery)を応用し,糖尿病治療も胃癌手術でコントロールを行う,oncometabolic surgeryという概念も出てきている9).従来の癌治療のみならず,糖尿病のコントロールも手術で制御するという,より幅広い視野での外科治療が必要となるかもしれない.
IV.高齢者糖尿病
わが国は,2035年には3人に1人が65歳以上という超高齢化社会を迎える.高齢者の周術期管理では,術前にすでに複数の慢性疾患を有する場合が多く,糖尿病,高血圧症,慢性心疾患,慢性閉塞性肺疾患,慢性腎臓病,脳梗塞の既往などの合併頻度が若年者に比して高く,また複数を合併していることも稀ではない.手術を前提とした病歴聴取や検査により未治療の疾患が初めて明らかになる場合もある.また高齢者では術前に顕在化していなかった臓器障害が術後に出現することもあり,術前からの口腔ケアや嚥下訓練,周術期リハビリなどの介入が重要である.糖尿病は特に頻度が高く,術前からの糖尿病に対する対策は重要である.しかし,高齢者では特に重症低血糖発症のリスクを考慮して,厳格な血糖コントロールよりも,安全性を重視した適切な血糖コントロールを行う必要がある.血糖コントロールの目標は日本糖尿病学会の目標設定に準じる(表3)10).周術期における具体的な血糖値は強化インスリン療法ではなく血糖180mg/dLを目安とし,インスリンを併用する管理が推奨されている.
V.周術期の糖尿病薬
近年,術前入院期間の短縮化が顕著であり,糖尿病治療薬の増加により治療も複雑化している.周術期の血糖管理は内服薬を中止し,インスリンで行うことが望ましい.しかし手術を施行する全糖尿病患者をインスリンで管理することは現実的ではない.と糖尿病診療ガイドライン2019ではインスリンの絶対適応として全身麻酔を要する中等度以上の外科手術,とされている11).糖尿病治療薬の推奨中止時期やそれぞれの薬剤による副作用の注意点などを表4に記す5)12)13).術前の血糖コントロールが不良な場合は,原則的には強化インスリン療法へ切り替えて管理する.術前にメトホルミン,SGLT2阻害剤は中止し,スルホニル尿素薬も高容量であれば手術2〜3日前までに中止しておいた方が良い.手術前日や手術日に内服をしてしまった場合は,薬剤効果遷延による低血糖発症の可能性を認識する必要がある.
VI.おわりに
糖尿病患者における周術期の血糖管理について概説した.糖尿病患者では術前のリスク評価を行い,高血糖に伴う周術期合併症の予防を行うとともに,特に高齢者では低血糖を発症させない適切な血糖管理が重要である.原疾患や患者背景を考慮した幅広い視野での血糖コントロールが重要である.
利益相反:なし
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