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日外会誌. 124(1): 65-66, 2023

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会員のための企画

医療訴訟事例から学ぶ(130)

―横隔膜ヘルニアの小児に関し医師の転送義務違反が否定された事例―

1) 順天堂大学病院 管理学
2) 弁護士法人岩井法律事務所 
3) 丸ビルあおい法律事務所 
4) 梶谷綜合法律事務所 

岩井 完1)2) , 山本 宗孝1) , 浅田 眞弓1)3) , 梶谷 篤1)4) , 川﨑 志保理1) , 小林 弘幸1)



キーワード
横隔膜ヘルニア, 転送義務, 転送元, 転送先(受入先)

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【本事例から得られる教訓】
転送の問題については,転送元だけでなく,転送先も過失を問われる可能性は考え得る.患者の受入要請があった場合には,患者救命のため,適切に患者の情報を聴取し判断していくべきことに改めて留意したい.

 
1.本事例の概要(注1)
今回は,転送義務違反が問われた事例である.転送義務は,緊急を伴い外科医が関与する場合も多いと思われ,また,本事例では,転送先に関する事情に言及されており,転送先の対応の教訓にもなる事例と思われたことから,紹介する次第である.
患児(事故当時2歳・男児)は,平成22年8月17日,夕食後から腹痛と水が飲みたい旨を訴え,平成22年8月18日の9:05頃,本件病院(以下,病院)を受診し,担当医が診察した.患児の顔色は蒼白であり,チアノーゼ著明で全身状態は不良であり,聴診では,胸部は清明で水泡音や喘鳴等はなかったが,呼吸促迫(70回/分)が認められ,腹部は膨隆しており,意識は清明であったが,SpO2を三回測定したところ,89%,92%,89%であった.
担当医は,患児の呼吸困難の程度は非常に悪く,原因は分からないものの急性呼吸循環不全で初期集中治療による救急救命処置が必要であると判断した.
担当医は,病院では小児科医が自分一人しかおらず,また小児の気管内挿管の手技に慣れていなかったことや,いつ呼吸が止まるかわからないためできるだけ近い病院が良いと考えたこと等から,病院から約5kmで,救急車で10分程度のA病院への搬送を選択した.
9:15頃に診察を終了し,9:17頃,担当医はA病院に搬送依頼の電話をし,A病院で電話応対をした女医に対し事情を伝え受入れを依頼したところ,A病院の女医は了承した上で,同日は同院のレントゲン技師がお盆休みで不在なので,至急病院でレントゲン写真を撮ってくるように依頼した.
担当医は,レントゲンを撮ってもB医療センターへ搬送するよりは早く済むと考え,すぐに胸腹部レントゲンの撮影を行い,9:37から9:40頃に現像まで終了した.同レントゲン画像では,左肺が激しく圧迫されており,胸郭に胃や腸等の腹部臓器が入り込んでいるのが確認でき,胃が上下逆転した状態で左胸腔内に嵌頓し,さらに鏡面像が見られることから,胃が極度に膨隆し空気と液体を満たしており,ヘルニア門で絞扼されていることが見て取れた.担当医は同写真を見て横隔膜ヘルニアを疑った.
担当医は9:45過ぎ頃に救急車を依頼し,9:50頃に救急車が病院に到着した.その頃(9:51頃)の患児の状態は,呼吸は40回/分,脈拍は112回/分,血圧測定不能,SpO2は81%であった.
9:53頃,救急隊員はA病院に電話をかけ,受入れを依頼したところ,A病院から受入れは決まっていないと断られた.
救急隊員のA病院への電話連絡の結果を受け,担当医はその後すぐA病院に電話をかけ,女医に対し(先ほどの電話で応対した女医と思われる),レントゲンを撮ったところ横隔膜ヘルニアが疑われ,早急の搬送・処置が必要で,B医療センターへ転送したのでは「もたない」かもしれないことなどを伝えたところ,当該女医は最終的に受入れを承諾した.電話では電話口で応対した女医がその上司と思われる人物と相談している様子で,そのため電話が何度か中断され,時間がかかった.
10:11頃,患児を乗せた救急車が被告病院を出発したが,10:18頃,救急車の中で患児の心肺が停止した.10:21頃,救急車はA病院に到着し蘇生処置等がなされたが,心拍再開には至らず,12:15頃,患児の死亡が確認された.患児は,横隔膜ヘルニアと穿孔であったことが判明した.
2.本件の争点
争点は,診療を終了した9:15頃,またはレントゲンの現像の終了後である9:45までに,患児をA病院でなくB医療センターに転送する義務の有無である.
3.裁判所の判断
裁判所は,9:15頃の患児の客観的所見等を踏まえ,患児は緊急性のある重症の呼吸不全患者であり,直ちに気道確保や血管の確保を行える医療機関に転送すべきであったと認定した.
そして,A病院は,小児外科は標榜していないものの小児救急体制を有し,気管内挿管や骨髄針による末梢ラインの確保等の手技ができる病院で,病院から10分程度と近く,患児の当時の呼吸困難の重篤さに照らして,転送に要する時間が短いことは転送先を決める際の重要な要素の一つであると述べ,A病院を転送先に選んだ担当医に過失はないとした(B医療センターは,緊急手術も可能な病院であるが,病院から約25kmあり,救急車で30分強を要する).
レントゲン撮影後の9:45における転送義務違反の有無についても,9:45時点では,レントゲン画像の所見から仮に横隔膜ヘルニアの確定診断がついたとしても,すぐに緊急手術を行うのではなく呼吸循環状態が落ち着くのを待つのであり,まず呼吸循環状態を落ち着かせなければならないという点に変わりはない等として,A病院を選択した担当医の判断は適切であったとした.
裁判所は,本件ではA病院への転送に予想外の時間を要した等の事情もあるが,それらはあくまで不幸な結果が生じた後に言える結果論であり,当時担当医が置かれた状況から考えれば,担当医は患児の救命のためより良いと考えられる判断をその時点時点で行っていたと認定した(注2).
4.本事例から学ぶべき点
本件では,担当医とA病院の女医との間で転送のやり取りがうまくいっておらず,転送に予想外の時間を要している.転送義務については転送元の義務違反が検討されることが多いが,例えば,転送先(受入先候補)に関しても,患者の受入拒否について,転送先の過失が認定された裁判例も存在する(注3).本件は受入拒否ではなく,また転送先の対応は争点になっていないものの,一般論として,転送先もその対応によっては過失を問われる可能性は考え得る.A病院への転送に時間を要してしまったという事情は,転送先の対応の在り方に関しても教訓になろう.

 
利益相反:なし

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引用文献および補足説明
注1) さいたま地裁平成26年5月29日判決.
注2) 判決の中では幾つか最高裁判例も引用されているが,紙面の都合上,あえて割愛する.
注3) 神戸地裁平成4年6月30日,千葉地裁昭和61年7月25日など.

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