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日外会誌. 123(4): 301-302, 2022

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若手外科医の声

よりよい外科修練とは―三つの肝移植施設での経験を通じた考察―

熊本大学病院 小児外科・移植外科

蛭川 和也

[平成25(2013)年卒]

内容要旨
異なる3施設の肝移植診療チームでの経験を通じて,修練医の立場から日常診療と外科教育,両者の質の向上に必要な要素を考察した.

キーワード
肝移植, 診療体制, 外科教育, 働き方改革, Asan medical center

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I.はじめに
私は執筆現在医師9年目・外科医7年目の修練医として,学生時代から希望していた肝移植診療に従事している.3~6年目に母校の大学病院に勤務し外科大教室の一員として外科診療全般,基礎研究,そして肝移植に従事し,その間に世界有数の肝移植施設である韓国のAsan medical center(AMC)で,SG Lee教授率いる通算6,000件以上の肝移植を執刀したチームの中で1カ月間過ごした.そして現在は肝移植診療に特化した研鑽を行っている.特殊な経歴をふまえて,修練医の立場から外科診療と教育のあり方を考察する.

II.より良い診療と働き方 divisionとintegration
私が経験した3施設はそれぞれ主治医制,チーム制,分業制であった.
主治医制のメリットは患者把握が比較的容易で意思決定が速やかに行われやすいこと,それに対してチーム制のメリットは互いを補完し合うことで診療の時間的空間的なムラが減り仕事のon offのメリハリがあることだ.一方の長所が他方の短所でもあり,うまく割り切らないと時に両者の短所をとったような体制にもなりうる.
分業制(division)は術前評価,手術,ICU,病棟,外来などに分業し,ターム毎に担当業務を交代するシステムで,担当業務のみを反復するため効率的である.また,詳細なマニュアルを運用することで,誰がどの業務を担当しても同様のoutcomeを導くことが可能となる.そして,その反復の先には一連の患者診療に習熟した専門医が育つ.ただし,十分な医師数と組織内での技能・価値観のintegrationが必須であり,システムの外殻だけを変えても機能しない.これらの課題を乗り越えるためには,高度な医療の反復練習を可能にするだけの十分な症例数とそれを遅滞なく診療するだけの医師数と,診療と教育の中核となるセンター施設の存在が不可欠と考える(integration of institutes).また,業務量の適正化についてはsurgical assistant(手術助手専門の非医師職種)といった日本にはない職種も取り入れるべきだと考える(integration of manpower).働き方改革を追い風として建設的な変革が進むことを期待する.

III.外科教育におけるdivisionとintegration
私は書道を幼少期に始めて今も趣味として続けている.書道ではとめはねはらいの練習から始まり,字体の変化の妙を学び,名書の臨書(模倣)を通じて書の広がりと深みを知ったその先に自運(自己表現)がある.
外科修練初期〜中期においては様々な指導医に師事することになる.指導医とは書道でいう名書であり,より多くの指導医から学ぶことで外科を広く深く学ぶことができる.指導医によって術式立案,器具の持ち方使い方,術後管理に至るまで様々であるが,その違いを意識するかしないかは修練医次第である.
道を極めるという過程で最も時間をかけるべきは丹念な模倣だと私は考える.臨書においては手本を完全に模倣するために,字形だけでなく墨の付け方や筆のスピードなど細部に至るまで研究する.一見下手に見える文字さえその手本どおりに真似る.そうすることで書家の膨大な運筆経験が筆の息遣いとして感じられ,ようやく自己表現の糸口が見える.
手術や術後管理も同様で,指導医のそれまでの知識と経験から術野における刹那の判断が下され,患者状態の微妙なゆらぎからオーダーが変わる,そういった日常の息遣いをどこまでも細かく分析し,真似ることで指導医に近づくことが可能だと考える.その模倣の細かさ精巧さは,結局修練医自身の手術や診療の精度につながるものだと思う.
このことを考えるにつけ,AMCのICUでの一場面を思い出す.AMCではフェロー1年目が肝移植専属のICU病床(12床)を1人で365日管理するが,Lee教授は毎朝カンファレンス後に1人でICUに赴き,全患者をフェローと回診する.回診でLee教授は直接患者を診察しフェローとディスカッションをしてその日の方針を決める.フェローが回診中熱心にメモをとっているので何を記載したのか尋ねると,Lee教授が患者のどのあたりに聴診器を当て,胆汁量の少ない患者ではどのような診察を行い,自分にどんな質問をし,患者にはどのような言葉をかけたか,事細かに記録をしていたのである.普通なら言われた指示をメモして終わるところである.ICUに配属後6カ月経ってなお,ここまで徹底して師を観察しそれを真似ようとする姿勢に感動した.また,AMCの手術室にはLee教授によるPearls and pitfallsが壁中に貼られており,ひしめく‘べからず集’に見守られながら世界最高峰の肝移植チームが一つの手術哲学の元で執刀する姿はある種の荘厳さを湛えていた.
1人1人の指導医を徹底して模倣する,そういった割り切った(division)姿勢は地道だが指導医に近づく唯一の道だと思う.当然,論文を読み自ら執筆する姿勢も模倣するべきだし,食生活の乱れなどは反面教師として別物にする(division)べきである.
自分が指導医の立場になる上で注意したいことがある.それは再現性と言語化可能性である(self-integration).やり方やこだわりが毎回ばらばらで,かつそれを言語化して説明できなければ,真似る側も患者も信頼できないだろう.

IV.おわりに
外科修練の質は環境以上に本人の学びの姿勢によって決まると私は考えており,その姿勢の1例を示した.また自分が指導医になった時に後輩に苦労をさせないように努めるべく,診療と教育のあり方を常に意識したい.最後に,この考察は私の頭から出たものではなく,今までご指導医いただいた先生方の金言集といっても過言ではない.その先生方に恩返しをするべく,自己研鑽に加えて後輩指導も誠心誠意行っていきたい.
謝  辞
日頃からご指導賜っております慶應義塾大学一般・消化器外科の北川雄光教授,熊本大学小児外科・移植外科の日比泰造教授, AMCでご指導賜りましたSG Lee教授,本執筆にあたりご推薦ならびにご指導賜りました国際医療福祉大学の篠田昌宏教授に深謝いたします.

 
利益相反:なし

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