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日外会誌. 123(2): 192-193, 2022

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会員のための企画

医療訴訟事例から学ぶ(125)

―妻が夫の同意を得ず融解胚移植を受け妊娠・出産した事例―

1) 順天堂大学病院 管理学
2) 弁護士法人岩井法律事務所 
3) 丸ビルあおい法律事務所 
4)  梶谷綜合法律事務所

岩井 完1)2) , 山本 宗孝1) , 浅田 眞弓1)3) , 梶谷 篤1)4) , 川﨑 志保理1) , 小林 弘幸1)



キーワード
不妊治療, 融解胚移植, 配偶者の同意, 自己決定権

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【本事例から得られる教訓】
医療機関が患者以外の者から署名を求める機会は少なくない.その署名が記載された氏名本人の署名で間違いないか,適切に確認したい.思わぬトラブルに巻き込まれる危険もある.

 
1.本事例の概要(注1)
今回は,妻が,別居中の夫の同意を得ずに,夫の署名欄に署名し同意書を医療機関に提出し,融解胚移植を受け妊娠・出産したという事例である.ご想像の通り夫婦で激しい争いになり,医療機関も被告として訴訟提起された.外科医も患者本人以外からの署名を求める機会は少なくなく,参考になると思われ紹介する次第である.
本件夫婦(以下,単に夫婦と記載)は,平成22年に婚姻し同居していたところ,他院にて人工授精を4~5回実施するも妊娠に至らなかった.
平成25年9月頃から,夫婦は不妊治療のため本件クリニック(以下,単にクリニックと記載)への通院を開始した.
平成26年4月10日,夫婦は,同日に実施する体外受精について,①「体外受精・顕微授精に関する同意書」,②「卵子,受精卵(胚)の凍結保存に関する同意書」,③「凍結保存受精卵(胚)を用いる胚移植に関する同意書」(以下,本件同意書1)に各自,署名押印し,妻Aはこれをクリニックに提出した.
本件同意書1は,①~③等が一体となった1枚紙であり,それぞれの同意文言の下に夫婦それぞれのイニシャルを記載する欄があり,書面末尾に,クリニック院長宛てで,日付および夫婦それぞれの氏名を署名押印する欄が設けられている.なお,本件同意書1は,公益社団法人日本産科婦人科学会の見解(会告)に準拠したものである(注2).
また,学会によれば,同意は署名のみで足り,押印は求めておらず,医師の面前で署名をすることも必要とされないし,直接電話等で意思確認を行うことを推奨してはいない.
平成26年4月10日,夫は精子を採取し,新鮮精子として使用することに同意の上,これを提供した.そしてクリニックにて4度目の採卵が実施され,これを夫の精子と受精させた上,当該受精卵(胚)の培養が行われた.
平成26年4月12日,夫は同居していた居宅を出て,妻と別居を開始した.なお,別居原因は夫婦間で争いがあるが,夫は不妊治療に反対であることを妻に伝えてはいなかった.
平成26年4月15日,受精卵は冷凍保存された.
平成27年3月19日,妻の居宅に,クリニックから夫婦宛で書面が届き,同書面には,平成26年4月15日に凍結した胚盤胞について,平成27年4月末日をもって保存期限が満了となるため,期限までに保存の継続または胚盤胞の廃棄処分のいずれかを選択し所定の手続を行うよう求める記載がなされていた.
平成27年4月22日,妻は,「融解胚移植に関する同意書」(以下,本件同意書2)を記入しクリニックに提出し,融解胚移植を受けた.
本件同意書2には,「私たち夫婦は,現在凍結保存中の胚を貴院にて融解し胚移植を受けることに同意します」との記載があり,夫氏名および妻氏名をそれぞれ記載する欄が設けられているところ,妻は,妻氏名欄に自署するとともに,夫の意向を事前に連絡するなどして明示的に確認しないまま,夫氏名欄に自署し,筆跡を変え一般的に男性が書きそうな字体で夫氏名を記載して夫の自署であるように装った.
平成27年5月2日,妻はクリニックにおいて妊娠判定採血で陽性判定を受けた.その後,妻は,当該子を出産した.
夫は,平成29年に,妻およびクリニック側を被告として訴訟を提起した.
2.本件の争点
争点は幾つか存在するが,本稿では,クリニックが夫に直接意思確認をすべき義務があったか否かを中心に説明する.
3.裁判所の判断
裁判所は,妻が夫の同意を得ずに夫名義の署名をした点について,夫が妻との間で当該子をもうけるかどうかという自己決定権を侵害した等を理由として,800万円の慰謝料を認定した.
次にクリニックの責任については,本件同意書2(平成27年4月22日)の夫の署名は,夫の従前の署名と対比して異なることが容易に判明するものとはいえない上に,本件各同意書の書式および作成方法は学会の見解(会告)に沿ったものであり,学会は同意書への署名以外に,本人に直接電話をかけるなどしてその同意を確認することまでを推奨してはいないから,クリニックの取り扱いが不妊治療についての医療水準として不相当なものとはいえない等として,クリニックが本件融解胚移植に際して,夫に対し,直接の意思確認をすべきであったのにこれを怠ったとはいえないとした(注3).
4.本事例から学ぶべき点
本件において,クリニック側の過失は否定されている.とはいえ,クリニックは現実に訴訟に巻き込まれており,訴訟の負担等は軽くはなかったであろう.こうしたトラブルを未然に防止できるに越したことはなく,本事例は,医科全般において参考になるものと思われる.
医療機関において,患者本人以外の署名等を求める機会は,例えば入院時の保証人の署名や,高齢者の医療行為において子や親族から署名を求める場合など少なくないと思われる.
署名が偽造等であったとなると,訴訟に巻き込まれるリスクもあるため,署名が当該名義本人によるものかについては,適切に確認するようにしたい.

 
利益相反:なし

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引用文献および補足説明
注1) 【第1審】大阪地裁令和2年3月12日,【控訴審】大阪高裁令和2年11月27日(確定).
注2) 学会によれば,体外受精・顕微授精について文書にて同意することを求めており,書式は定めていないものの,5年ごとの会告の更新時に,各施設で作成された同意書について様式を確認の上,施設認定を行っているため,本件同意書1は,学会の見解(会告)に準拠したものと認定されている.
注3) 夫は,クリニックに対しては控訴せず,妻に対してのみ控訴したが,控訴審も,結論として妻の自己決定権侵害を認定した(慰謝料は諸々の事情を考慮し500万円に減額されている).なお,その他の夫婦の争いの詳細は割愛する.

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