日外会誌. 122(3): 320-324, 2021
特集
乳癌診療の現状と課題
6.リスク低減乳房切除術の現状と課題
聖路加国際病院 乳腺外科・遺伝診療センター 喜多 久美子 , 山内 英子 |
キーワード
遺伝性乳癌卵巣癌症候群, BRCA, リスク低減乳房切除術
I.はじめに
2020年4月より遺伝性乳癌卵巣癌症候群(Hereditary Breast and Ovarian Cancer Syndrome:HBOC)診療に対する保険適応が拡大され,BRCA1/2病的バリアント(以下,BRCA変異)を有するHBOCにおける遺伝学的検査やリスク低減乳房切除(risk reducing mastectomy:RRM)が保険適応となった.これに伴い,本邦でのRRMのニーズが高まることが予想されるが,体制整備など取り組むべき課題は多い.本項では,RRMを取り巻く現状と課題について検討する.
BRCA変異保持者の生涯乳癌罹患率は50〜85%と高く,その対策はHBOC症例の命を守るために非常に重要である1)
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3).BRCA変異が同定された場合の乳房に対する介入の選択肢としては,RRM,サーベイランス(綿密な定期検診),化学的予防(薬物療法による予防)の三通りがある.そのうちRRMは乳癌を発症前に予防するという点からは最も有効な介入法であり,予後改善効果も示されている1)
2).本邦でRRMが広く知られる契機になったのは,2013年に米国で女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが,BRCA変異を理由に癌未発症の状態で,両側RRMを受けたことを公表したことである.本件は,アンジェリーナエフェクトと称されるほど世界的にインパクトを与え,本邦でもこれ以降遺伝学的検査やRRMを希望する症例が増加した.これ以前にも,予防手術という介入法自体は,乳腺以外の領域では家族性大腸腺腫症に対する大腸全摘術が本邦でも知られていたが,昨今では多発性内分泌腫瘍症に対する甲状腺全摘など,さまざまな癌腫の遺伝性腫瘍に対して適応が広がりつつある.がん診療の進歩に伴い,「癌になってからの治療」から「癌になる前に予防」することを求める世の中のニーズの中で,女性での罹患率第一位である乳癌に対する予防策であるRRMは注目されている.保険適応に伴い全国的に需要が高まるなかで,RRMに関する現状と取り組むべき課題について自験例とエビデンスを交えて考察する.
II.遺伝カウンセリング・連携体制の充実
まず第一に,臨床遺伝診療のうえで重要となるのは,各診療科で家族歴などの遺伝学的な情報聴取を丁寧に行い,ニーズに応じて円滑に遺伝カウンセリングにつなげる連携体制と,遺伝カウンセリングの体制の充実である.しかし本邦では,遺伝カウンセラーをはじめとする遺伝診療に関わるマンパワーが人数的に十分ではなく,保険適応拡大となったものの体制整備が追いついていないという面がある.
当院では,保険適応前からHBOCをはじめとする遺伝性腫瘍の診療に注力し,多くの遺伝カウンセリングとリスク低減手術を経験してきた.当院における乳腺領域の遺伝診療体制としては,認定遺伝カウンセラー2名と遺伝看護専門看護師1名,遺伝診療を兼任する乳腺外科医4名がメインとなってHBOCカウンセリングに当たっている.具体的な診療の流れとしては,まず乳腺外科での初診の段階で全例に問診担当の乳腺外科外来看護師が家族歴聴取を綿密に行う.続いて初診診察で,家族歴や発症年齢・乳癌のsubtypeなどの背景からHBOCの可能性がある症例に対しては,乳腺外科医が患者用パンフレットを用いてHBOCに関する情報提供を行い,遺伝カウンセリングを案内している.遺伝カウンセリングを案内する具体的な対象基準としては,米国National Comprehensive Cancer Network(NCCN)のガイドライン4)に基づき,①45歳以下での乳癌発症,②トリプルネガティブ乳癌(発症年齢不問),③両側乳癌(同時・異時含め),④片側での多発乳癌(同時・異時含め),⑤男性乳癌,⑥家系内に乳癌・卵巣癌・前立腺癌・膵癌になった血縁者がいる,のいずれかに該当する場合と設定し,初診担当医によって対象基準のばらつきが出ないよう努めている.カウンセリングの日程は,遺伝学的検査結果を術前に知りたいケースが多いため,手術予定日を意識しながら円滑に対応できるよう遺伝カウンセラーが中心となって調整を行い,必要に応じて初診時にあわせて遺伝学的検査に対応する場合もある.遺伝カウンセリングの場では,遺伝カウンセラー1名と遺伝診療を兼任している乳腺外科医・臨床遺伝専門医1名の2名体制でカウンセリングを行っている.
遺伝カウンセリングでの方針決定の際には,選択の自律性・自己決定をサポートする対話を心がけている.全例で遺伝学的検査をすることを前提に話を進めるのではなく,症例それぞれの価値観やパーソナリティに応じた選択を尊重し,選択に悩む場合にはその背景を考察し自己選択を支援していくよう留意している.実際に遺伝カウンセリングに来談したクライエントのうち,3~4割はカウンセリングのみで遺伝学的検査は受けない選択をしており,検査を受けないとしてもHBOCに関する情報提供を行い,知識を持って選択をしてゆくことをサポートしている.遺伝学的検査を受ける場合には,結果が出てから対応を考えるのではなく,事前にもし病的変異が同定された場合にはどのような選択肢があるのか,クライエントはどうしたいと考えているのか,をあらかじめ話し合っておく.変異がなかった場合にも,サバイバーズギルト(家系内に遺伝子変異保因者がいる場合に,変異陰性がわかることで罪悪感を持つこと)などの精神的ストレスを抱えるケースもあり,結果開示の際には心理的サポートに留意する.遺伝学的検査結果,病的変異がわかった場合,遺伝診療部がハブとなって,乳腺外科と婦人科の診療予約を調整し,その後の診療にスムーズにつなげられるよう努めている.
遺伝診療に関するカンファランスとしては,遺伝診療に関わる各部門の関係者(遺伝診療部・乳腺外科・婦人科・消化器科・甲状腺外科・小児科・泌尿器科・臨床検査部・病理部・医事課)で月1回遺伝診療ミーティングを開催し,情報共有や運営体制の話し合い,症例検討などを行っている.
III.保険適応の整備
2020年4月より,乳癌発症者では以下のいずれかに該当する場合に,BRCA1/2遺伝学的検査やリスク低減手術が保険適応となった.保険適応条件としては,乳癌発症例で①45歳以下の発症,②60歳以下のトリプルネガティブ乳癌,③2個以上の原発性乳癌,④第3度近親者に乳癌・卵巣癌発症者が 1 名以上,⑤男性乳癌,⑥PARP阻害薬のコンパニオン診断の適格基準を満たす,⑦すでに家系内にBRCA1/2の病的バリアントが同定されている場合,⑧卵巣癌の既往,が挙げられる.保険適応拡大に伴い,適応前と比較して当院でも遺伝学的検査を希望される方が増えてきている.
保険適応に関する問題点としては,癌未発症者では,たとえ家系内にBRCA変異が同定されている場合においても遺伝学的検査やリスク低減手術に保険適応が認可されておらず,自費診療となることが挙げられる.癌の既発症・未発症に関わらず,BRCA変異保持者では乳癌・卵巣癌の生涯罹患率が高いことは明らかであるにも関わらず,癌発症の有無で保険適応を区分し,癌を発症するまで保険が効かないというシステムは倫理的ではないとの考え方もあり,今後未発症者への保険適応拡大が望まれる5).
IV.Occult cancer(潜在がん)
HBOC症例での乳房予防切除検体におけるOccult cancer(潜在がん;ここでは,術前に画像検査で癌の所見を認めなかったが,検体の病理学的検索によってはじめて同定された癌のことを指す)の発見率は5~7%といわれている.国内多施設共同のHBOCデータベースを用いた研究では,術前にマンモグラフィ・乳腺エコー検査・乳房造影MRIを併用し明らかな病変が指摘されなかった場合にも,53乳房のRRM検体のうち,11.3%にあたる6乳房にOccult cancerを認めた6).
予防切除検体では,どの部分にがんが潜在しているか事前にわからないため,病理診断の際には切り出し方法に注意を要する.現在,予防切除検体において推奨されている切り出し方法は,全割法とサンプリング法の二通りある.全割法とは,切除乳房の乳腺領域全域を5~10mm毎にスライスし,全割面の病理学的検索をする方法である.サンプリング法とは,切除乳房の乳腺領域全域を5~10mm毎にスライスし,乳腺A,B,C,D区域から各区域1~4ブロックずつ,乳頭・乳輪部から1~2ブロック,さらに所見が疑われる箇所のブロックを作製し,それらの病理学的検索を行う方法である.これらの方法は,病理部門にとって,癌検体の病理検索よりも負担が大きい場合もあり,病理部門との連携や病態認識の共有が重要といえる.
術後にOccult cancerがわかった場合には,全摘後のためセンチネルリンパ節生検を追加施行しづらいなどの弊害があり,できるだけ術前にマンモグラフィ・MRI・エコー検査を用いた病変の有無をよく検索する必要がある.読影の際には,通常のスクリーニング読影ではなくHBOC症例の画像であることを意識した読影方法を心がけることが重要である.1例を挙げると,BRCA1変異保持者ではトリプルネガティブ乳癌を発症する率が高いことが知られているが7),このタイプの乳癌では充実性の内部エコーレベルの低い腫瘤を呈することが多く,発症初期では嚢胞と見誤りうることが報告されている8).遺伝情報を加味したうえで,新規発生の小腫瘤の場合には,良性を考える画像所見であっても積極的に針生検を行うなど,慎重な対応を要する.
V.日本人に適したサーベイランス方法の探索
RRMを選択しない場合やRRMを受けるまでの期間には,サーベイランス(綿密な定期検診)を行っていくこととなる.サーベイランスにまつわる課題としては,遺伝的ハイリスク症例に対する日本人の乳房に適したサーベイランス方法の検討が挙げられる.
BRCA変異保持者の乳房に対するサーベイランス方法に関しては,乳房造影MRI検査を併用することで,乳癌の検出精度が高まり死亡率低減効果が示唆されることが欧米の研究にて示されている9)
10).NCCNガイドライン4)や,本邦では乳癌診療ガイドライン11)および遺伝性乳癌卵巣癌症候群診療の手引き12)にて,BRCA変異保持者への年1回の乳房造影MRIが推奨されている.ただしMRI併用の短所として,偽陽性率の増加,造影剤の副作用,保険適応外の場合の高額な検査費用などがある.費用面の問題から,本来ならばMRIによるサーベイランスを希望しているが,受けずにいる症例も少なくない.また,欧米人と日本人の乳房は背景乳腺の性状や大きさが異なるため,日本人でのMRIの有用性に関するデータや,本邦で頻用されている乳腺エコー検査によるMRI代替の可能性に関して国内でも検証が望まれており,臨床研究が予定されている.
VI.BRCA以外の変異への対応
以前はBRCA1/2のみを単独で検査することが多かったが,昨今ではgermline mutationに対する遺伝子パネル検査が日常診療においても普及してきており,それに伴ってBRCA以外の遺伝子変異が同定されるケースが増加している.また,がんゲノム医療の一環として保険適応となっているsomatic mutationを検索するNCCオンコパネル検査においてもsecondary findingsとしてgermline mutationがわかるケースも散見される.BRCA変異は,遺伝性腫瘍のなかでも最もその対策とエビデンスが確立されてきている遺伝子変異である一方,それ以外の遺伝子に関してはエビデンスやガイドラインが充分でないものも多い.代表的な遺伝子変異に関しては,遺伝性腫瘍に関するNCCNガイドラインにて対策が講じられており,参考にできる13).対策が明らかに示されていない遺伝子に関しては,遺伝子変異がわかったものの対策に反映できないため,行き場のない不安を抱えるケースもあり,遺伝子検査前・後の充分な遺伝カウンセリングが肝要である.
VII.おわりに
本項では,HBOCに対するRRMを取り巻く現状と課題についてエビデンスを交えて検討した.がん医療の歴史を振り返ると,当初は「癌を治すことを最優先に副作用は我慢」する医療から,「Quality of lifeを保ちながら治療の質も担保する」医療へと移り変わり,これからは「癌を発症前に防ぐ」医療の時代を迎えている.これからのがん医療の中で,予防医療は鍵であり,RRMはその先駆けともいえる.そのニーズと保険適応拡大に伴い,RRMの需要が全国的に高まっているが,本項の通り取り組むべき課題はまだまだ山積している.今後も充分な遺伝カウンセリングやリスク低減方法・サーベイランスに対応できる施設連携体制を整え,一つ一つ課題に取り組みながら医療の質の担保・均てん化を図っていく必要がある.
利益相反:なし
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