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日外会誌. 122(2): 208-210, 2021

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定期学術集会特別企画記録

第120回日本外科学会定期学術集会

特別企画(5)「地域を守り,地域で生きる外科医たちの思い」 
1.私が外科医を目指した理由 東日本大震災を経験して

総合南東北病院 

小鹿山 陽介

(2020年8月14日受付)



キーワード
総合南東北病院, 福島県立医科大学, 地域医療, 東日本大震災

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I.はじめに
私が育った広野町は福島県の沿岸部に位置する小さな町です.おおよそ世田谷区と同じ面積に約4,000人の町民が暮らしています.郊外にはサッカー日本代表の合宿地として有名なJヴィレッジがあり,また,温暖な気候を利用してミカン栽培が行われる長閑な町です.この町の住民の健康を守るのが私の父の仕事です.父はもともと比較的大きな総合病院で脳外科医として勤務していましたが,20年前にこの町で開業し,以来日常外来診療,往診,地域企業の産業医,学校医として地域に根差した医療を行ってきました.医療過疎が進む中,十分とは言えない環境で奔走し,町民から頼りにされる父に憧れて私も医師を志しました.しかし,医学部入学の翌年,東日本大震災がありました.まだ大学1年生であった私は,震災直後に父の実家のある石川県に避難しましたが,父は避難所で生活する広野町の住民のために,まだ危険な状況にあった福島県へたった一人で帰っていきました.私は学生でも何か手伝えることがあるのではないかと考え,父について戻ろうと大いに悩みましたが,周囲の引き留めもあって現場で父の手伝いをすることはできませんでした.あの時の悔しさや無力感がずっと心の中に残っています(図1).

図01

II.初期研修を経験して
時は経ち地域医療に貢献できる医師を目指して初期研修期間を過ごしていましたが,様々な診療科をローテートしていく中で,高度な技術と専門性を追求する外科医に強く憧れを抱くようになりました.それと同時に患者の全身状態を把握し管理をする外科医のgeneralな姿は地域医療に求められているものではないかと気付き,自分が求める二つの要件を満たす最適な選択肢だと考え外科を専攻することを決めました(図2).

図02

III.震災後の広野町
広野町のように,医師の少ない地域では,全身を診ることができ,プライマリーケアからある程度の治療をこなし,高度な医療へつなぐことが出来る外科医が求められていると思います.更に震災後の広野町は,町民の帰還率は80%程度ですが,復興事業に携わる方々の居住が増えた影響で居住率は150%と震災前より増えて患者数も増加しました.そのため,近隣の中核病院では以前よりも町民の搬送受け入れが困難な場面が増えており,地域の診療所にもある程度の診断から初期対応が求められるようになっています.外科医の需要がますます増えていると感じます.実際に福島の外科医の先輩方の中には,非常に幅広い守備範囲で地域医療に貢献している医師がたくさんいます.

IV.外科専攻医となって
専攻医になった1年目は初期研修を行った都市部の中核病院に残り,高度な手術手技を学ぶ毎日を過ごしました.2年目からは福島県立医科大学病院で勤務し,手術を中心に学ぶ傍ら,診療応援として規模も役割も様々な施設で診療をする機会が増えました(図3).
県内の様々な地域での診療を経験することにより,中核病院に勤務していた頃には気がつかなかった各地域の実情や実際に必要となる技術を学ぶことができました.この専攻医期間は私が求めていたspecialtyとgeneralityのバランスが取れた研修ができていると感じています.県内で活躍する先輩方を目標とし,今はまず,専門施設で自分の核となる専門分野を修め,その上で地域に貢献するために必要な知識を吸収していきたいと思っています.

図03

V.おわりに
現在,卒後5年目となり,少しずつ手術の経験もできるようになってきました.高度な手術手技を勉強しつつも,あの震災の時に感じた歯がゆい思いを大切にして,幅広い知識と経験を積めるよう,今後も外科研修に精進していきたいと思います.

 
利益相反:なし

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