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日外会誌. 122(1): 126-129, 2021

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定期学術集会特別企画記録

第120回日本外科学会定期学術集会

特別企画(4)「希望と安心をもたらす医療安全管理―無過失補償制度の可能性も含めて―」
10.外科における無過失補償制度―その可能性と課題―

1) 慶應義塾大学 外科
2) 慶應義塾大学法科大学院 
3) 参議院議員 

古川 俊治1)2)3) , 北川 雄光1)

(2020年8月14日受付)



キーワード
無過失補償制度, 外科手術, 医事訴訟, 医療事故, 損害賠償

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I.はじめに―「過失責任主義」と無過失責任の趣旨―
「過失責任主義」(故意・過失による損害にのみ賠償責任を負う)は近代私法の原則であり,これによって個人の行動の自由が保障されている.その中で医療に関して「無過失責任」を制度化する趣旨としては,二つの方向が考えられる.一つが,①内在する不可避の危険の平等な負担(危険が現実化することによる不可避の損害を平等に負担)という考え方で,例としては,予防接種健康被害救済制度,医薬品副作用被害救済制度,生物由来製品感染等被害救済制度を挙げることが出来る.もう一つが,②科学技術の発達による,過失と損害の不均衡(些細な過失による大きな損害)という観点で,「人は誰でも間違える」以上,些細な過失に責任を問うことは不合理であり,不幸な結果には皆で危険を分担して負担しようという考え方である.例としては交通事故や医療事故が挙げられる.①では,前提として,医療行為には過失が無く,使用された医薬品にも欠陥が無いことが求められる.この趣旨において外科における無過失補償制度を定める場合には,現在の民事・刑事の過失責任に上乗せした,外科診療を受ける患者の特別な救済制度ということになる.例えば,不可避の(医師に責任の無い)術後肺炎等が救済対象になるであろう.一方,②の場合,誰にでも起こり得る些細な過失については,本来は過失責任を問わないのが論理的である.しかし,現在の法体系では,交通事故でも医療事故でも軽過失で行為者の責任を問い,行為者の損害賠償保険への加入でリスク負担を分担するようにしている.外科における無過失医療制度の趣旨は,①と②の両方の考え方に基づいていると考えられるが,主として外科手術後の合併症等について,結果的な紛争化の低減を意図しているものと考えられる.

II.諸外国の医療における無過失補償制度
医療における無過失補償制度は,一部の外国において制度化されている.①ニュージーランドでは,患者は医療機関を通じて事故補償公団(Accident Compensation Corporation:ACC)に治療費や補償を請求し,ACCは審査・支払いや医療事故の分析・公表を行う.一方,患者は裁判で医師の民事責任を問う権利が無く1),この点で,過失責任主義から無過失責任主義への完全な転換となっている2).ただし,民事責任を問えないため,刑事訴訟が利用されたと推測できるという報告もあり,また,補償額は1件100万円程度3)と社会生活への復帰に必要な限りでの補償にとどまっており,他の支援制度と合わせた社会保障の1機能として存在しているもので4),われわれが議論している無過失補償制度とは大幅に異なる.②スウェーデンでは自治体の医療事故保険会社が審査を行い,「十分な経験を積んだ医師であれば回避できた障害」のみ補償を行う.逆に言えば,「十分な経験を積んだ医師であっても回避できない障害」については補償されず,本来の意味での無過失補償制度とはなっていない.しかし,医療行為と障害との間に51%以上の因果関係のある場合には「回避可能できた」として補償する運用が行われており5),認定水準を大きく緩和することで,補償対象を拡充した制度となっている.高社会保障国であるため,後遺障害や休業損失は他制度から補填されるため,補償額は1件当たり約150万程度にとどまる3).患者は医師に対し民事訴訟を提起できるが,高福祉国家であるという同じ理由で賠償額も低額にとどまるため,わざわざ立証困難な民事訴訟に訴える実益が無く,ほとんど利用されない5).結果的に医療事故に関する争訟の低減に成功していると言えるが,一定の場合は医療従事者の処分が可能で,制裁システムと連動した制度となっている3).③フランスでは,患者の申請により「地方医療事故損害調停委員会」が審査を行い,過失ありの場合は保険会社が,無過失の場合は「国立医療事故補償公社」が重大な損害を補償する.基本的に過失責任構造を維持しており,一定の重篤な障害に限って補償対象とし,その他は民事争訟手続に依る.すなわち,過失責任では救済されない重篤な事案を限定的に補償する,過失責任に上乗せした無過失補償制度である.補償額が十分でないため,賠償額が大きいと見込まれる事案では,訴訟抑止効果は乏しく,人口比で,日本の数倍の民事訴訟が提起されている1)2).また,刑事訴訟が提起されると,被害者が,加害者に対する損害賠償請求を,弁護士費用無く検察官に委ねて遂行出来る(附帯私訴制度)ため,刑事訴訟が少なくない2).医療事故に関する争訟の低減という観点からは,成功していない制度と言えるだろう.

III.日本の産科医療補償制度
日本における産科医療補償制度の創設以来,産婦人科関係の第一審新受医事訴訟数が減少しており,このことも,外科における無過失補償制度創設への期待の根拠となっている.ただ,図1に示すように,産婦人科における訴訟数の減少は,全体の診療科における訴訟数低下の中で起こっており,補償制度創設が訴訟数減少にどの程度寄与しているのかは定かではない.ただ,産科医療保障制度に倣い,外科における無過失補償制度を創設するとした場合,主要な問題は,①財源をどのように集めるか,②対象事案をどうするのか,の2点であろう.産科医療補償制度の場合,高齢出産の増加に伴いハイリスク分娩が増える中で,分娩取扱い医療機関の減少が社会問題となり,公的保険財源より財源を得る論拠となったが,外科診療について同様の社会的要請があるか否かは明らかではない.また,産科医療補償制度の場合,補償対象の要件を絞って,分娩過程自体のリスクに起因する一定の脳性麻痺に限定しているが,外科診療の場合,補償対象とするリスクを同程度までに類型化することは必ずしも容易ではない.産科医療補償制度の場合,1件に総額3,000万円までの補償金が支払われるため紛争化低減にも役立ち得ると考えられるが,外科で制度を創設する場合,限られた財源で,対象事案を拡げれば,1件当たりの補償金額は低くなり,十分な紛争化低減の効果は期待できないであろう.
また,産科医療補償制度では,補償対象事案での反省点を再発防止に活用する制度となっているが,医療従事者の過失の有無は問われず,制裁にも結び付いていない.仮に公的財源を用いる場合,同様に医療従事者の制裁を伴わない制度となるか否かも問題となるだろう.

図01

IV.日本外科学会の無過失補償制度の具体化に向けて
(1)財源の問題
日本外科学会で無過失医療制度を創設する場合,最も簡単なのは,会員の会費に保険料を上乗せする方法であろう.仮に現行会費と同様の一人1万円の保険料を徴収すると仮定した場合(※1),約4億円の財源となるが(会員数:40,269名,2020年9月),争訟低減に意味のある救済とするためには,やはり,1件当たり1,000万円は考慮しなければならないのではないだろうか.そうすると,年間40例の補償しか行えないことになる(※2).一方,年間の外科の新規訴訟数が110~140件程度で推移していることから考えると,和解事例も含め,少なくとも年間200件程度の紛争化事案は見込まれるため,相当の対象の限定化が必要になる.
一方,筆者らは,仮に外科手術の診療報酬に1%の上乗せを行って財源とする場合,どの程度の額となるか試算を行った.年間の全手術の医療給付費総額は約2兆9,760万円であり(※3),その中で外科の占める割合は,少なくとも10%はあると考えられるので(※4),これに1%の上乗せを行って財源とする場合,年間30億円程度の額となると考えられる.相当に粗い試算ではあるが,仮にこれを無過失補償制度の財源とすることが出来るならば,1件1,000万なら300件,1件3,000万円なら100件の補償が可能という計算になる.ただし,公的保険から財源を得る以上,保険者および保険料を支払う国民の理解が得られることが前提となる.産科同様,「外科医が居なくなる」が十分な社会的認識になっているか,公的保険財源を用いる社会的合意が得られるか,が問題となる.
また,公的財源が拠出される以上は,一部の補償対象事案については,医療機関や医療従事者の責任が問われたり,制裁に結び付いたりする制度となる可能性も考えられる.
(2)対象事案の問題
補償の対象事案としては,過失が無い場合にも一定割合での発生が不可避な合併症(例えば,特に基礎的病態が無い患者での縫合不全や術後感染症など)の場合が制度に馴染むと思われるが(※5),産科の場合に比し多様で類型化が困難なため,補償対象となるか否かの境界領域の設定が容易ではなく,患者の年齢やがんの病期など,或る程度客観的な指標で限定して,対象事案数を推計する必要がある.また,外科の紛争事案には,画像診断の読影や麻酔などが強く関与する場合も少なくないため,関連する他科の学会を含めた検討も必要だろう.加えて,紛争化低減の問題は,外科だけでなく,整形外科,脳神経外科,耳鼻咽喉・頭頸部外科,眼科等の外科系診療科でも同様の要請があると考えられるため,より大きな枠組みで取り組むことも考えられる(※6).

V.おわりに
医療の過程は不確実性を本質とし,外科手術のインフォームド・コンセントにおいては,多様な合併症の不可避の危険性について説明をし,同意を得る実践が定着している.法の原則から言えば,患者の同意を経た,過失の無い診療行為による不可避のリスクは,患者が受忍すべきことになる.無過失補償制度の創設については,限られた予後の,過失の無い結果にまで医療側が対応する必要があるのか,患者の受忍すべき部分は無いのか,慎重な検討も必要であろう.
※1 2019年9月11日に開催された日本外科学会将来計画委員会の訴訟対策WGでの平野聡座長の試案を検討中である.
※2 補償実務は保険会社に委託するのが現実的であるため,一定の制度運営費(審査費用等)は不可欠で,実際には,更に少ない数となる.
※3 令和元年社会医療診療行為別統計を元に,年間給付費総額は,6月の審査分の点数×10円×12カ月で計算した.
※4 データは診療所に関してしか公表されていないため,診療所のデータを用いており,かつ,診療科は,医療施設調査時の申告を基に分類されているため,内科にも13%のシェアがある.したがって,病院における場合は,より外科のシェアが増えると考えられる.
※5 この場合は,訴訟を提起したとしても過失が認定されるか否かが微妙なため,患者側も,補償の支払いを受ければ訴訟を提起する動機付けが弱まり,訴訟低減効果が期待できる.
※6 外科系全体の動きとなった方が公費拠出への政治力は強化されるが,一方,補償対象事案が増えて拠出額も増えるため,財政的な障壁は大きくなると考えられる.

 
利益相反:なし

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文献
1) 岩田 太:医療事故における無過失補償制度の可能性と限界 諸外国および他分野における補償システムとの比較研究.平成23-23年度・厚生労働科学研究費補助金(地域医療基盤開発推進研究事業)総合報告書.
2) 和田 仁孝:無過失補償理念導入の二つのモデル-スウェーデンとフランスの医療事故補償制度.法政研究79-3-647, 855-889, 2012.
3) 厚生労働省「第2回医療の質の向上に資する無過失補償制度のあり方に関する検討会」(平成23年9月30日)資料4参照.
4) 水野 謙:医療事故に関するニュージーランド法の対応.比較法研究,72: 10-24, 2011.
5) 千葉 華月:医療事故による損害の賠償:スウェーデン

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