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日外会誌. 122(1): 7-8, 2021

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若手外科医の声

女性医師として下部消化器外科を選んだ理由

帝京大学医学部附属病院 外科

岡田 有加

[平成27(2015)年卒]

内容要旨
女性の少ない下部消化器外科に入局した理由,外科医として女性として生きていくにあたり今後の展望および葛藤について考える.

キーワード
女性外科医, 女性下部消化器外科医, 女性肛門外科医

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I.はじめに
私は2015年に帝京大学医学部を卒業し,帝京大学医学部附属病院にて2年間の初期臨床研修の後に,帝京大学医学部附属病院下部消化器外科に入局した.同時に帝京大学大学院博士課程に入学し,現在大学院4年生である.まだ医師6年目,外科医として4年目の半人前以下の立場であるが,なぜ女性の少ない下部消化器外科に入ったか,そして今後について述べさせていただく.

II.下部消化器外科に入局するまで
私の祖母はParkinson病を患っていた.医学生の頃から神経内科への関心が非常に強く,授業も熱心に聞き,勉強していても興味深く楽しかった.将来は神経内科医になると公言していた.一方で外科には全く興味がなかった.
研修医1年目で1カ月間の外科ローテーションが必須であった.当時は同時期にローテーションする研修医が2名おり,医局長から提示された2グループをどちらかが研修するという仕組みであった.私の時は上部消化器外科と下部消化器外科だった.私と同時期に外科ローテーションをする研修医は上部消化器外科志望だったため,私は選択の余地なく下部消化器外科を回ることとなった.手術に入り,回診で簡単な処置をさせてもらった.Bed Side Learningの時眺めていてもさっぱりわからなかった腹腔鏡手術も,何をやっているのか分かったので楽しいと感じた.種々の検査から手術,化学療法まで多岐に渡る診療をこなす外科医の姿を見て,非常に感銘を受けた.外科の先生方にも非常にかわいがっていいただき,楽しい研修ができた.その後研修医2年目となり,私は大本命の神経内科を2カ月研修することとなった.しかし,想像していた世界と現実は違っていた.筋電図を前に目を輝かせながら何時間も熱心に議論を繰り広げる姿を見て,尊敬と同時に間違いなくついていけないと絶望した.そして何より,今更すぎるが「治らないって悲しい,自分の手で治る姿が見たい」と感じた.同時期に豚を使った腹腔鏡ラボの誘いを頂いた.初めて腹腔鏡手術の執刀をして,医師になってから1番楽しいと感じた.
その後の研修を経て進路を決めるにあたり,非常に悩んだ.長年憧れ続けた神経内科は,自分にはついていけない世界だと諦めた.楽しいと感じた外科と,体力的に余裕のある内科で迷った.自分は何がしたいか,将来結婚,出産もしたいし,出産後も医師として働き続けたい.そのためには手に職があった方がいいと考えた.ありきたりだが内科医から外科医にはなれないが,その逆はなれる(と思った).だったらまず外科に入ろうと考えた.医師の世界では女性は何かと不利な面があるが,逆に女性であることを活かせる分野は何か.下部消化器外科は肛門疾患もみるため,女性にとっては診療時に羞恥心を伴う.同じ女性であればその羞恥心を少し軽減できるのではないかと考えた.下部消化管内視鏡検査にも興味があり,是非習得したいと考えていた.私は体力がない方で,第一線で走り続ける自信がなく,かつ結婚・出産後にも働き続けるという点で肛門外科に魅力を感じた.肛門外科における女医の需要は非常に高いはずだと確信した.
手術が好き,内視鏡が好き,女性であることを活かせる,消化管手術の世界から離れても肛門外科医として生きていける.これが下部消化管外科入局を決意した理由である.

III.外科に入局してから
当科ではまず1年半にわたり,各外科グループ(肝胆膵,上部消化器,乳腺,心臓血管,呼吸器)をローテーションし症例を経験する.その後自分の所属するグループに戻るという流れだ.2018年9月に下部消化器外科に戻り,下部消化器外科医としての歩みを始めた.徐々に腹腔鏡手術の術者件数が増え,楽しみながら悩みながら日々診療にあたっている.
今後結婚,出産をしたいと考えているが女性には妊娠・出産の年齢的なリミットがある.誰しもが簡単に妊娠できるわけではないし,場合によっては不妊治療が必要になる.今の環境でそれができるかと考えると非常に難しい.仮に妊娠できたとして,周りへの影響が大きいことは間違いない.妊娠中は放射線被ばくをする業務はできないし,週数にもよるだろうが当直もできなくなる.私が出来なくなった仕事を誰かに負担してもらわなくてはいけない.私は自他ともに認める気の強さはあるが,一方で非常に気が小さい人間でもある.自分のために誰かに負担がかかることを想像するだけで心が重いのだ.産休後復帰したとして,両親は遠方のため頼れる人はいない.院内には病児保育つきの保育所があるようだが,一定期間すれば退園しなければいけない.子供を産んでもなお,外科医として生きていけるのか.子供の急な発熱で急遽早退しなければならなくなった時の周囲への影響を想像するだけで辛いものがある.
当科含め帝京大学医学部附属病院外科には,複数人の女性外科医がいるが,子供がいる医師はいない.ロールモデルが無い中で人生の妊娠・出産という一大イベントをどう乗り切っていけばいいのか想像もつかないのが現状である.

IV.今後必要と思うこと
現在外科医不足が叫ばれている中,女性外科医を積極的に増やしていくことが必要だ.その中で妊娠・出産という人生のイベントを機に脱落することがない制度を確立する必要がある.妊娠から産休までの業務負担軽減,病児保育つきの保育園の確保(年数制限は設けるべきでない),時短勤務への理解.当たり前すぎる内容だが,男性の多い外科医の世界では決して当たり前ではないと思う.この内容が本当に当たり前の世界になる必要があると強く思う.

V.おわりに
今後消化器外科医として手術をこなしてキャリアアップを目指すのか,肛門外科医となり緊急手術とは縁のない世界で生きていくのか.当グループに女性外科医が在籍した歴史はなく(外科には女性医師はいるが下部消化器外科には在籍歴がない),いずれの選択肢をとってもロールモデルとなることができる.外科医として細くでもいいから長く生きていく道を模索していきたい.

 
利益相反:なし

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