日外会誌. 121(5): 489-490, 2020
若手外科医の声
日々前進
順天堂大学医学部 小児外科・小児泌尿生殖器外科 越智 崇徳 [2008(平成20)年卒] |
キーワード
小児外科, 外科医
I.はじめに
私は卒後12年目,順天堂大学小児外科入局から10年目の小児外科医である.まだまだ短い外科医人生ではあるが,様々な環境で,素晴らしい先生方との出会いがあり,私の考え方や価値観は変わっていった.そこで本稿では,感謝の意を込めて自身の外科医人生を振り返り,今思うことを書き記したい.
II.順天堂大学小児外科入局
小児外科とは,自分の腕次第でその子を幸にも不幸にもしてしまう,小児外科医として働くには中途半端ではいけない,そんな思いで山高篤行教授率いる順天堂大学小児外科に入局した.
実際,入局1年目は過酷であった.年間手術総数1,100件,重症患児・新生児の周術期管理,「絶対にお断りしない」という方針のもと救急外来患者の対応など,緊張感の絶えない毎日であった.さらに,「臨床だけやっていてはダメ,研究の視点を持つことが大事,論文を書くことで勉強するから臨床の力もつく」という山高教授の方針で,入局と同時に大学院に入り,臨床業務の傍ら英文論文作成にも取り組んだ.三人の同期とともに,何とか1年を乗り切ったという記憶がある.
III.関連施設での研修
2年目からは関連施設である東部地域病院,聖隷浜松病院の成人外科,小児外科で研修させていただいた.多くの執刀の機会をいただき,日々成長を感じる,まさに手術が楽しくて仕方のない時期であった.そして,当時聖隷浜松病院小児外科部長をされていた鳥羽山滋生先生からは多くを学ばせていただいた.鳥羽山先生は定年退職されるまでの30年以上に渡って,昼夜,休日平日を問わず,その地の小児外科症例を一手に引き受けて来られた.その中で築かれた新生児科,小児科との協力体制,紹介元の先生方への誠実な対応など大変勉強になった.
IV.米国ミシガン大学留学
前任者が予定より早く帰国することになり,入局5年目と予想よりも早く留学の話をいただいた.基礎実験の経験もなく,何を研究したいかなどの具体的なプランもなかったが,英語が話せるようになりたい,海外で勝負してみたいという漠然とした理由から,留学行きを志願した.
留学先のミシガン大学小児外科Daniel H. Teitelbaum教授のラボでは,中心静脈栄養モデルマウスを用いた小腸の腸管免疫に関する研究を行った.Teitelbaum教授の研究に対する情熱は凄まじく,週1回のリサーチカンファレンスは私にとって毎回気の抜けないものであった.一方で,謙虚で誠実な人柄で,私だけでなく家族のことも気にかけてくださる素晴らしいボスであった.渡米して最初の数カ月は実験手技を身につけるのに必死であったが,いつしか論理的に実験を組み立て,真実を追求していく基礎研究の面白さに没頭していた.渡米から7カ月で米国内学会での発表の機会をいただき,実験も軌道に乗ってきた頃であった,Teitelbaum教授に片麻痺の症状が現れ,画像検査の結果Glioblastomaと診断された.腫瘍切除の後,速やかに化学療法が開始されたが,程なくして治療継続が困難となり,緩和ケア施設に転院となった.それでも,Teitelbaum教授は研究に対する情熱を失わず,私は月に数回は施設を訪れて実験の進捗報告を行った.私は,研究(仕事)とはここまで情熱をかけてやるものであると教わった.
その後しばらくしてラボは閉鎖され,最後の半年はミシガン大学消化器内科の鎌田信彦先生のラボで受け入れていただいた.鎌田先生には,留学当初から実験の相談をさせていただいていたが,実力もさることながら人望も厚く,留学に来なければ出会えなかった尊敬するボスの一人である.Teitelbaum教授のラボで始めた私の研究も,鎌田先生のご指導の下で無事に論文化することができた.そして,その論文を施設に持って行き,Teitelbaum教授と奥様にお見せした時は,涙を流して喜んでくださった.その時の光景は忘れられない.私が帰国する1カ月程前に,Teitelbaum教授はご逝去された.2年間の米国留学を経て,研究,論文に対する私の意識は大きく変わった.そして,人生は貴重でいつ終わりが来るか分からない,あまり先のことは考えずに,今大切と思うことに全力を尽くそうと考えるようになった.
V.現在の心境
帰国から3年半が経過したが,“留学から戻ってからが本当の勝負” と思い,臨床と学会発表,論文作成に力を注いできた.一昨年からは医局長を任され,医局運営に携わる中で臨床以外のことも勉強させていただいている.
最近は,メジャー手術や内視鏡下手術の執刀,また若手医師と手術をさせていただくことが増えて,より一層の責任を感じて日々を過ごしている.「徹底的に準備をしないと,神様は味方してくれない」と,今でも難手術の前には誰よりも勉強し,緻密な準備をして,最善の手術をする山高教授の姿勢は良いお手本である.私も,自分が関わった患児には幸せになってもらいたいという思いで,日々の診療に臨んでいる.
VI.おわりに
精神論ばかりになってしまったが,日々覚悟を持って手術に臨み,術後は心配したり悩んだりしながら過ごしている今の私の正直な心境である.目の前のことに真摯に取り組み,少しずつでも前進していくことが,外科医としての成長に繋がるものと考えている.
最後になりますが,本企画の執筆にあたり,ご推薦を賜りました順天堂大学小林弘幸教授に深く感謝申し上げます.
利益相反:なし
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