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日外会誌. 121(5): 483, 2020

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Editorial

「生きる」ということ― 個人として,医師として ―

日本赤十字社医療センター 小児外科

中原 さおり



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この原稿を書いているのは,明日にも安倍首相が新型コロナウイルス感染拡大抑制のための「緊急事態宣言」を発出するという日である.もともとの原稿の締切りは3月末日であり,全く別のテーマで原稿を練っていたが,この2週間ばかりは思考の多くをCovid-19に占拠され,また,イタリア,スペイン,ニューヨークの医療崩壊を目の当たりにするにつけ,もともとのテーマでは考えがまとまらず,編集部に1週間の猶予を頂いて新たに書き直している.
まず思うのは,免疫もワクチンも薬もないと,病原体に対し,ヒトはこんなにも弱いものであるのかということ.とはいえ,太古の昔からホモ・サピエンスは,幾度となく今回のような感染症を乗り越えてきたのだろうということ.そして,感染のスピードを抑制しなくては,本来助かるべき人を「助けられなくなる」という焦りの気持ち.その次に思うのは,医療資源の不足のために「命の選別をしなくてはならない事態」に直面した時,自分は冷静でいられるのかということ.そして,直近では「医療者の殉職」を意識するようになった.
常々,私は医者になって(自分にとって)1番良かったのは,「日常的に生老病死を感じられること」だと思ってきた.普通に生きていられることのありがたさを日々思い知らされ,まさに「生きてるだけで丸儲け」と思うことができるようになったからである.
そもそも「生きる」とは何か?いまだ明確な答えには至らないが,第一子を出産したときに,「生命の鎖を一つ繋いだ」という不思議な,しかし明確な感覚を覚えた.「これで一つ役割を終えた」と思うと同時に「この子が一人立ちするまでは絶対に死ねない」とも思った.その息子に「くそ婆あ」と言われた時,「ああ,これでいつ死んでもいいんだな」と,とても気が楽になったのも覚えている.そして,50を越えたある時突然,自分の肉体は自分のものではなく,患者さんのものだと感じるようになった.それからは,患者さんのために身体を動かすことが億劫でなくなった.どうやら,ヒトは他者に貢献しているという感覚を生きるエネルギーにしているのではないだろうか.
もちろん,「美味しいものを食べ,気に入ったものを身に着け,家族と語らい,友人と笑い合い,認めてもらうこと」が大好きである.しかし,たぶん自分のためだけには生きていかれないような気がする.「生きるとは?」という問いに対する,還暦が見え隠れする今の私の答は「社会に貢献すること」だろうか.集団の利益を最大限にするために,大きな視野と覚悟を持ち続けたいと思う.一度きりの人生,やりたいことをやれればいい.

 
利益相反:なし

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